地下大湿地と黒騎士
魔術師たちが用いた魔力光球を始め、松明、ランタンなどなど様々な光源が照らし出したその先。
そこは予想通りの地下の巨大な湿地帯。そして、そこかしこに銀の一族であるガルガリバンボンや、その眷属であるカエルの魔物たちの姿があった。
「よっしゃ! 話に聞いていた通りだ! ここからは予定通りに散開して、パーティやソロ単位で動くぞ!」
先陣を切るのは、【雷撃団】のリーダーであるサイカス。彼の背後には【雷撃団】の面々が揃っており、周囲に鋭い視線を飛ばしている。
「湿地帯は足元が不安定です。泥に足を取られないよう、くれぐれも注意してください!」
コステロの警告に、【雷撃団】のメンバーは彼を振り返ることもなく、それぞれが得物を軽く掲げることで応えた。
同時に、周囲から激しい戦いの音が響き始める。
「どうやら始まったようだな」
「そのようだねぇ」
ヴォルカンの言葉に、ジェレイラが答える。
「…………みんな、来るよ!」
「アルトルさん、少し下がって」
暗闇の奥から、二体の直立した巨大なカエルがぬぅっと現れる。それに気づいたアルトルが矢を番えながらやや後退し、彼女に代わってアインザムが新たな得物の槍を構えて前進する。
「姉上からいただいたこの槍の力……存分に活かしてみせます」
彼が今構えている槍は、最愛の姉から贈られたものだ。
二人の兄たち同様、ジールディアは弟であるアインザムにも武器を贈っていた。
アインザムは新しい得物をくるりと一回転。なぜか穂先ではなく石突を迫る巨大なカエル──ガルガリバンボンへと向ける。
そして。
「〈爆炎網〉っ!!」
少年の口から〈鍵なる言葉〉が放たれると同時に、彼が構えた槍の石突が赤く発光、少し遅れてそこから炎が噴き出した。
噴き出した炎はまるで網のように広がって迫るカエルを包み込む。
噴き出す炎の反動でアインザムの体が後方へと激しく押されそうになるが、彼は鍛え込んだ下半身に更に力を入れ、歯を食いしばってこの反動に何とか耐え切った。
げこおおおお、という苦し気なカエルの鳴き声。ガルガリバンボンは高温の炎に包まれて地面で激しくのたうち回る。
「すげえ威力だな、その炎!」
「はい、サイカスさん。さすがは姉……いえ、我が家に伝わる神槍ですね」
この神槍に関しては、ナイラル侯爵家に代々伝わる家宝のひとつと説明していた。
怪我の治療のためにナイラル侯爵家に滞在していた【雷撃団】の仲間たちは、侯爵家の当主でありアインザムの父親でもあるトライゾンが、アインザムにこの槍を渡した時に立ち会っている。
武の名門として名高いナイラル侯爵家であれば、このような神槍が代々伝わっていても不思議ではあるまいと、仲間たちも特に疑問にも思わなかった。
実際は、ジールディアが……いや、【黒騎士】ジルガがどこぞで手に入れた神器の槍であり、いつものごとく次元倉庫に放り込んだままだったこの槍を、アインザムに渡してくれと父トライゾンに預けておいたのである。
できれば姉から直接受け取りたかった、という本音を押し殺し、アインザムは地面に倒れたガルガリバンボンに止めを刺す。
「その槍があれば、カエルどもを簡単に倒せそうだな」
アインザムと同じく、炎に焼かれたガルガリバンボンの首を愛用の斧で落としたサイカスが、気楽な様子でそう言う。
だが、アインザムはやや渋い表情で首を横に振った。
「先ほどの炎は、一度使ったら再使用できるまでしばらく時間が必要なんです。だから、連続して使うわけにはいきません」
「なるほど。強力な神器ほどそれに見合う制約が課せられているもの。アインくんの槍ばかりを当てにしては駄目ってことですよ、サイカス」
「ち、世の中そう簡単にはいかないってことか」
「それに、ここは湿地帯だから、水や泥には事欠かないからね。炎とは相性が悪いってことも考えなきゃ」
「ええ、ジェレイラの言う通りです。要はいつものように慎重に、そして確実に、ですよ」
「じゃあま、コステロの言葉に従って慎重、かつ確実にカエルどもを倒していくぞ!」
リーダーの言葉に、【雷撃団】の仲間たちはひとつ頷くと、次の敵を求めて湿地帯の奥へと足を進めて行った。
組合の勇者たちが地下の大湿地帯に突入して、どれくらいの時間が経過しただろう。
薄暗くてよく分からないが、地下の湿地に満ちている水は、それまでとは違う色を帯びていた。
泥混じりの暗灰色のそれに溶け込むのは、どろりとした赤。そして、その赤よりも更に暗い赤。
組合勇者とガルガリバンボン。二つの勢力に属する者たちから流れ出た血液が、湿地の水と混じり合い、その度合いは時間が経つごとに濃くなっていく。
当然ながら、どちらの勢力とも被害ゼロというわけにはいかない。組合勇者にも既に命を落としている者がいる。
今回はガルガリバンボン──銀の一族の本拠地に組合勇者が殴り込みをかけた形だ。これまでのように、【銀邪竜】を縛る封印を解くための儀式ではない。
そのため、銀の一族も一切の手加減をすることなく、攻め込んできた組合勇者を葬ろうとする。
それでも、その数は多くはない。対して、銀の一族の被害は著しい。決して容易くはないものの、組合勇者たちは優勢を保つことに成功していた。
「引き続き、魔術師は攻撃よりも味方の強化を優先しろ! 聞いていた通りそっちの方が効率は良さそうだ!」
組合勇者の一人が叫ぶ。彼が言うように、組合に属する魔術師たちは、直接攻撃する魔術よりも味方の攻撃力や防御力、敏捷性などの各種能力を魔術で強化することを重視していた。
これは、勇者組合階位一桁のとある魔術師からの助言である。
その魔術師は実際にガルガリバンボンと何度も対戦した際、補助魔術で仲間を強化することでいくつもの勝利を収めてきた。
魔術師の中には、攻撃魔術こそが「魔術の華」と考える者も少なくはない。
火炎や雷撃で直接攻撃する魔術は実際に派手である。逆に、味方を強化する補助魔術は極めて地味。ゆえに攻撃魔術を多用する術師は数多い。
だが、銀の一族──ガルガリバンボンという強敵に対して有効、もしくは致命的な打撃を与え得るだけの威力を持つ攻撃魔術を放とうとすれば、どうしても多量の魔力を消費することとなり、同時に魔術を行使するための詠唱も長くなる。
それは、「多数の強敵」と戦う上で無視できない要素だ。
魔力の消費を抑えた上で、可能な限り隙を小さく。
この二つの問題点をクリアするための対策が、補助魔術の重視である。
もちろん、今回参加している魔術師の中には、この策に納得できず攻撃魔術を積極的に使用する者もいた。
だが、その考えはすぐに改められることとなる。強靭な肉体を持つガルガリバンボンには、生半可な攻撃魔術では太刀打ちできないことを実感したのだ。
結果、攻撃魔術を多用したとある魔術師は、この戦いにおいての組合陣営最初の犠牲者となった。
そんな光景を目の当たりにした以上、作戦提案者の魔術師から与えられた指示を無視し、攻撃魔術を使用する魔術師はもういなかった。
なお噂によると、この作戦を提案した白いローブを纏った魔術師の傍には、漆黒の全身鎧を着込んだ大柄な戦士がいたらしい。
ソレは、突然組合勇者たちの前に現われた。
周囲に何体もいるガルガリバンボン。この巨大なカエルの化け物たちは、人間よりもはるかに大柄で、服を着るという習慣がないのか鎧を含めた衣類を一切身につけていない。
だが、ソレは違った。身長は人間の男性とほぼ同じぐらい。そして、神官たちが着る神官服にどことなく似ている衣類を身につけていたのだ。
更には、その手に握られているのは錫杖。禍々しくもありながらどこか神性を感じさせる、不気味な錫杖だった。
ソレに気づいたとある組合勇者が、にやりとした笑みを浮かべる。
「へ、こんな弱そうなカエルもいたのかよ」
そう嘲るように呟いたのは、勇者組合でも上位の実力を認められている剣士だ。
普段はソロで活動しながらも、組合内における階位は七位。その階位が示すように、勇者組合でも指折りの実力者である。
その剣士は、ソレに向かって鋭く踏み込むとその勢いを乗せて剣を横一閃。ガルガリバンボンに致命傷を与え得るだけの技量と威力を乗せたその一撃は、小柄なガルガリバンボンの体を上下に二分することさえ可能だろう。
だが。
「が…………げぁが…………あぁ?」
だが、二分されたのは剣士の方。自分が何をされて左右に二分割されたのか分からぬまま、その剣士は絶命した。
「人間ごとき下等生物が。我らが聖地に足を踏み入れて、生きて帰ることができるなどと思っていないでしょうね?」
「姉様の言う通りじゃ。貴様ら、全員殺して我らが神への供物としてくれようぞ」
一つの体から聞こえてくるのは、二種類の声。それも、げこげことしか聞こえない「カエル語」ではなく、人間にも理解可能なはっきりとした言語で。
「銀の一族の女王にして祭祀を司るモノ──」
「──銀の巫女姫たる妾と姉上が、貴様ら下等な毛なし猿どもの息の根を止めてくれようぞ」
上下に二つ並んだ顔が、そう告げた。