厄災の復活と【黒騎士】
乾いた甲高い音と共に、粉々に砕け散った銀邪竜を封印するその基点たる宝珠。
そしてそれは、ジルガたちがいる場所だけではなかった。
地底に広がる小人族の廃墟、その更に地下の空洞にて。
じわじわと黒く染まっていた基点の宝珠。ネルガティスたちが見つめる中、侵食する黒が宝珠全体を染め切った時。
宝珠は内側から弾けるように砕け散った。まるで、限界まで膨らませた風船のように。
ジルガたち……いや、【黄金の賢者】でさえ知らぬ、とある場所。
びょうびょうと強風が吹き抜ける、高山連なる大連邦。その最も高い山の一角に人知れず設置され、誰かに見られることもなく存在していた乳白色の宝珠が。
じわじわと黒く染まっていったかと思うと、ぱりん、という音と共に砕け散った。
その破裂音は、周囲に吹き荒れる風に飲まれて消えていく。
誰にも聞かれることもなく。
「おおおおおおっ!! 遂に……遂に……っ!!」
「感じる……妾にも感じられますぞえ、姉上様っ!! 我らが神がお目覚めになられる時が来たのじゃっ!!」
どことも知れぬ闇の中。巨大なナニかが、ぴくりと身もだえした。
それだけで、周囲の地面が大きく揺れた。
そして、ぴしり、ぴしり、という小さな音が闇の中に響く。
徐々に、徐々に大きくなっていくその音。同時に、大地の揺れも音に合わせるかのように激しくなっていく。
やがて、音と揺れが最高にまで高まり、銀の巫女姫でさえ立っていられなくなった時。
かつては巨大な美しい湖があった場所で。
今は全ての湖水が涸れ果て、黒く染まり鉢状に窪んだ地面の最深部で。
音と揺れが不意に止まる。
そして次の瞬間、黒かった地面が一気に銀へと変化した。
同時に、最深部から銀の光が噴き上がる。
地面と空を繋ぐかのように、真っすぐに立ち昇る銀の光。
その光の中。
もぞりと何かが蠢いているのを、周囲に集まっていた巨大なカエルたち──銀の一族ははっきりと見たのだった。
「げろ?(訳:む?)」
国王の執務室の中、全身から薄い刃のような物を打ち出し、更には口から小さな牙を吐き続けていた銀の弓が、突然その動きを止めた。
身じろぎさえせず、とある方向へと顔を向けたままの銀の弓。その顔に、満面の喜色を浮かべて。
もちろん、人間にはカエルの表情の変化など全く分からないが。
執務室の中は、何とも無残な有様に代わり果てていた。銀の弓が無差別に体から刃やら牙やらを打ち出し、シャイルードたちがそれを迎撃、防御、もしくは打ち払う。
結果、華美ではないものの品よく威厳に満ちていた国王の執務室は、完全に廃墟のようになっていた。
当然、シャイルードたち三人も無傷ではない。致命傷さえないものの、大小様々な傷を体中に受けている。彼らの年齢も考えれば、遠からず動けなくなるのは明らかだ。
そんな激しい戦いの中、突然銀の弓の動きが止まったのだ。
シャイルードたちは訝しく思いながらも、決して油断することなく銀の弓を観察する。
「げろろ……げろろげげげろけろんけろげろげっ!!(訳:遂に……遂に我らが神の封印が解けたかっ!!)」
天を仰ぐように喜びの咆哮を上げる銀の弓。しかしその姿は、シャイルードたちには隙だらけの完全な無防備にしか見えない。
「よく分からねえが……どう見ても好機だろ!」
だん、と大きく踏み込み、裂帛の気合と共に黒地剣エクストリームを大上段から振り下ろすシャイルード。
同時に、トライゾンもそれに応じて大カエルの懐に飛び込み、剣を真横に一閃する。
頭と腹に致命傷とも呼べる大きな斬撃を受けた銀の弓。頭蓋を割られ、腹から内臓をこぼしてもなお、異形の英雄は両手を天に向けて突き上げ、至福と歓喜に包まれて叫ぶ。
「げげ! げろろけけげげ、けろろろんげろろん! けけけけろろろげろろ、! げろんげろんげろんげげげっ!!(訳:おお! 我が一族の大願、ここに成就せり! 目覚めし我らが神よ! 銀の一族の繁栄にお力をお貸しくだされっ!!)」
一方、シャイルードたちには、このカエルの化け物が突如おかしくなった理由にいまだ見当もつかない。
それでも、この強敵が無防備な状態を晒している以上、攻める以外の選択肢はない。
頭と腹に致命傷を与えたシャイルードとトライゾン。彼らは追撃を行うことなくすぐに後方へと大きく飛び下がった。
同時に、サルマンの詠唱が終わって魔術が解放される。
幼い頃からの腐れ縁は伊達ではなく、三人は絶妙な連携を見せる。
銀の弓の周囲にきらきらとした光が集う。光は徐々に集結し、やがて無数の氷の鏃へと変化した。
鏃となった氷は、一斉に銀の弓の体に突き刺さる。 眼を、口を、喉を、胸を、腹を、腕を、脚を。
そして、銀の弓の体内へと侵入した氷の鏃は、更に変化した。小さな鏃から全方位へと伸びる棘を一斉に発生させたのだ。
体の内側を氷の棘によってずたずたに引き裂かれた銀の弓。強靭な肉体とそれにふさわしい生命力を有した異形の英雄も、これには耐えること能わず。
命の炎をサルマンの魔術によって吹き飛ばされた銀の弓の体が、全身から血を流しながら倒れる。
この時になっても、英雄の表情から歓喜の色が消えることはなく。
もっとも、それを理解できる者はこの場には一人もいなかったのだが。
「さすがにこの状況は、私も想定外だったにゃー」
集まった皆に向かってそう告げたのは、【黄金の賢者】レメット・カミルティである。
場所は王城の一室。この部屋は軍議を開くためだけの部屋で、装飾の類は一切施されていない、無骨一辺倒な部屋である。
その部屋の中にいるのは、国王シャイルード、王太子ジェイルトーン、騎士団長トライゾン、筆頭宮廷魔術師サルマン、五王神それぞれの最高司祭たち。そして、【黒騎士】と【白金の賢者】の黒白コンビの姿もあった。
あれから──突如光の柱が出現してから、十日近くが経過している。
「見張らせている者からの連絡によれば、光の柱の中に蠢く影は認められるものの、その影が柱の中から出てくる様子はないとのことです」
部下からの報告書を片手に告げるのは、王国第二騎士団団長たるトライゾン・ナイラル侯爵。
「なあ、オフクロ。どうしてあいつ……銀邪竜は光の柱の中から出てこないんだ?」
トライゾンの報告を聞いたシャイルード国王は、そんな疑問をもう一人の母親にぶつけた。
その疑問に、レメットは「多分だけど」と前置いて答える。
「あいつ、まだ寝ぼけているか、お腹が減っているからじゃないかな?」
至極真面目な表情でそんなことを言い出した【黄金の賢者】に、その場にいる全員が不審そうな視線を向けた。
「確かに長いこと寝ていて起きた後は、腹ぁ減って仕方ねえもんだけどよ。そういう問題なのかよ?」
そんな息子の問いに、母は相変わらず真面目な表情で「そういう問題だよん」と答えた。
「銀邪竜を封印する際、私たちはあいつから相当な生命力を奪い取ったからねー。今のあいつは空気の抜けた風船のようなもの。どんな生き物だって、動くためにはそれ相応なエネルギーが必要。それは銀邪竜だって例外じゃないんだよ」
「なるほど……だから『空腹』というわけですか」
レメットの言葉に納得したとばかりに頷くサルマン。ジェイルトーンやライナス、五王神の最高司祭たちも、同じような様子だ。
「なら、今こそ攻める時じゃないのか? 攻める時だろ? さっさと攻めようぜ!」
わくわくとした様子を隠そうともしないのは、【言王】シルバーンの最高司祭であるアジェイ・サムソン。
彼は元傭兵という前歴の持ち主なためか、戦いを非常に好む気性のようだ。
「俺もアジェイに賛成だ。銀邪竜がまともに動けない今こそ、攻める好機だろ?」
アジェイ最高司祭の言葉に賛同しつつ、シャイルードがレメットを見る。
「確かにルードちゃんやアジェイちゃんの言う通りなんだよにゃー。でも、あの銀の柱がある限り、それも難しいと思うよん」
「つまり……あの銀色の光の柱は、先代王妃の結界ではなく……」
「うん、そう。ライナスちゃんが考える通り、あの光の柱は銀の巫女姫が作り出したもの。まともに動けない銀邪竜を守るためにね」
「ならば、話は早い」
それまでずっと腕を組んで黙っていた【黒騎士】ジルガが、地の底から響くようなおどろおどろしい声を発した。
「まずは結界を張っている銀の巫女姫とやらを討つ。銀の巫女姫さえ討てば、結界は消えるだろう。そうすれば──銀邪竜に攻撃が届く」
「確かにそれが一番だろうね。でも、問題もある」
銀邪竜が復活してから十日近くが経過している。
その間、レメットやシャイルードたちは、騎士団を始めとした王国軍を動かしながら、同時に情報も集めていた。
ガラルド王国の王都より銀邪竜が封印されていた地までは、かなりの距離がある。そのため、現地の詳しい情報を集めるのに十日近い日数が経過してしまったのだ。
もちろん、ライナスたち魔術師が使い魔を飛ばして現地を偵察もしたが、あちらは言わば銀の一族の本拠地。魔術による偵察ができないように対策──使い魔の活動を妨害する障壁のようなものが展開されていた。
それもあり、情報収集に時間がかかってしまったのである。
「で、問題ってのは何だよ? ちなみに、王国軍はもうすぐ銀邪竜のいる場所まで到達するぜ?」
シャイルードがちらりとトライゾンを見れば、彼は無言のまま頷いた。
「問題ってのは、こちらの手勢を二つに分けなければいけないってことなんだよね」
レメットはその白くて細い指を二本、突き立てながらそう言った。
銀の巫女姫さえ討てば、銀邪竜を攻撃することができる。
それはつまり、銀の巫女姫を討つ者と、銀邪竜を討つ者とに勢力を分けるとことでもある。
「分かっていると思うけど、銀の巫女姫も銀邪竜もどっちも強敵なんだよね。そして、戦力を二分するってことは……」
「こちらの総合戦力が低下するってことだよな? まあ、この際それも仕方ねえんじゃねえの?」
シャイルードがそう言いつつ一同を見回せば、皆が頷いている。
「うん、私もそこは仕方ないと思っているよん。問題は、こちらの戦力をどう分けるかなんだよねぇ」
「確かにそこは難しい問題だな。とはいえ、一人はもう決まっている……いや、二人か?」
にやり、と笑うシャイルードが、黒白の二人組を見る。
「おい、ジルガ」
「何でしょう、陛下?」
「おまえは【銀邪竜】担当な? オフクロによると、おまえのそのヴァルヴァスの五黒牙ぐらいしか、銀邪竜にはまともに通用しないそうだしよ? ってなわけで、だ」
立ち上がったシャイルードが、ジルガに近くへ来るように告げる。
そして、自分の近くまで来た彼女に、シャイルードは傍らに立てかけてあった黒地剣を差し出した。
「銀邪竜討伐にあたり、我が剣を一時貸与する。これを用いて、見事かの厄災を退けよ」
「御意。陛下に成り代わり、黒地剣エクストリームを用いて銀邪竜を討伐して見せましょう」
ジルガはその場に跪くと、恭しく黒地剣を受け取った。
【黒騎士】ジルガが、国王より黒地剣エクストリームを正式に一時貸与されたことは、後日公式に発表されることになるだろう。
「分かっているとは思うが、絶対にその剣は俺に返せよ?」
「は! 必ずや、この剣は陛下にお返しいたします」
「うんうん。ジルガちゃんが銀邪竜討伐担当なら、ライナスちゃんもそっちだよね?」
「当然だ」
レメットの言葉に、全く迷うことなくライナスは返答する。
「となると、後の戦力をどう割り振るかだな。まあ、そこはここにいる全員で考えようや」
今章が思ったよりも長くなったので、ここで一度区切りを入れたいと思います。
いつものように、2、3話ほど閑話を入れてから、次章へと。
今度こそ、最終章のはず! 多分!(笑)