呪詛と【黒騎士】
【黒騎士】によって落とされた、トカゲモドキの首の断面。
そこから黒いナニカが、勢いよく噴き出した。
噴き出した黒いナニカは空中で細長く伸び、まるで生きている蛇のごとく全体をうねらせた。
「こ、これは……ライナス! これは一体何だっ!?」
「俺にも分からん。だが、あの黒いのが良くないモノであるのは確かだろう」
【白金の賢者】と呼ばれるライナスとて、この世の全てを知っているわけではない。特に、ガルガリバンボン──銀の一族については知らないことの方が多い。
しかし今、空中でのたうつ黒い蛇のようなナニカが、良くないものであることは直感的に分かっていた。
そしてそれは、ライナスだけではない。この場に居合わせた全員が、生物の本能とでも言うべきモノで理解していたのである。
「ならば、さっさと吹き散らしてしまえばよかろう」
そう告げたのは、もちろんジルガである。
彼女はその巨躯を小さくまとめるように沈めると、そこから空中へと跳躍した。
そして、両手で構えた黒雷斧フェルナンドをのたうち続ける黒い蛇へと振るう。
ばちり、と帯電した黒斧の刃が黒い蛇を両断する。
だが。
「むぅっ!? 全く手応えがないだとっ!?」
そう。
ジルガが振るったフェルナンドの刃は、黒い蛇を斬り裂くことなくただ通過しただけだった。
黒雷斧フェルナンドが纏う雷は、気体や実体を持たない霊的な存在にさえ影響を与える。そのフェルナンドが何の影響を与えることもなくただ通過したということは、この黒い蛇がただの物体ではないのは明らかだ。
「これはもしや……呪詛か?」
「呪詛……? この黒い蛇のようなものは、呪いの一種だというのか?」
「俺の推測に過ぎないが、な。だが、これが呪詛だとしたら、相当強力なモノだろう」
ジルガとライナスが、空中でのたうつ黒い蛇から視線を逸らすことなく言葉を交わす。
「おそらく、銀と黒の斑模様のガルガリバンボンの体には、呪詛が仕込まれていたのだろう。そして、宿主たるガルガリバンボンが死んだことで、その呪詛が改めて活性化した、といったところか」
「おやおや」
「姉上様? どうかなされましたかえ?」
どことも知れない闇の中。銀の一族を統べる銀の巫女姫たちの声がする。
「どうやら、銀の剣に仕込んだ呪詛が動き出したようですね」
「ということは、銀の剣は……?」
「ええ、毛のない猿どもに倒されたのでしょう。ですが…………そこは想定済みです」
「おお! さすがは姉上様じゃ!」
げこここ、けろろろ、と闇の中でカエルの鳴き声が響き渡る。
「所詮、銀の剣は耳長猿に後れを取るような未熟者。未熟者に相応しい末路と言えましょう」
「かかかか。未熟者なりに我ら銀の一族と銀邪竜様の役に立ったのです。褒めてやらねばなりますまいて」
「ええ、ええ。あなたの言う通りですね。未熟者は未熟者なりに我が一族の役に立ってくれました」
「喜ぶがよいぞ、銀の剣よ! 貴様の命で我らが神を縛る、忌々しい封印が一気に弱まるであろう!」
「既に、我らが神を縛る封印の基点、その二か所は破壊しました。これで三か所目が破壊できれば……残る二か所に負荷がかかり、一気に全ての封印が解けるやも知れません」
喜色を多分に含んだ、銀の巫女姫たちの声。
「ああ……いよいよ……いよいよ、我らの神が復活されるのです……」
「我らが神よ! 銀邪竜様よ! 我ら銀の一族の栄光と繁栄を約束されるお方よ! 一日も早いご復活をお待ち申し上げておりますぞ!」
「…………倒せた……のか? ほ、本当に……?」
銀邪竜を封印する基点が存在する地底都市の廃墟、その更に地下。
棍を操る恐るべき銀色のガルガリバンボンが、大地に伏したまま動かなくなった。
針山のごとく全身に矢を突き立てられたその姿から、既に命が燃え尽きていることは間違いないだろう。
巨大な顔の両側に突き出した眼に光はなく、大きく開いた口からはだらりと長い舌が零れていて。
もしもこれが「死んだふり」であれば、この銀のカエルは相当な役者と言えるに違いない。
「どうやら、お互いに命拾いをしたようですな、ネルガティス様」
「おお、無事だったか、ストラム殿。ハーデ殿も本当に助かったよ。ところで、ストラム殿の怪我はどうだ? 相当酷くやられたように見えたが……」
「実は、ジルガ様から弓をお借りする時、一つだけ使い捨ての治癒の道具もいただいていまして……つい、夫に使ってしまいました」
てへ、とばかりに笑うハーデに、ネルガティスも思わず苦笑する。
「まあ、それぐらいのことは良かろう。ハーデ殿がジールから個人的に譲り受けたのであれば、どこで誰に使おうがハーデ殿の自由さ。見たところ、ストラム殿以上に酷い怪我をした者も──って、他のカエルどもはどうなったっ!?」
ネルガティスは、そこで他のガルガリバンボンのことを思い出した。そして、改めて周囲を見回せば、部下の騎士たちと「白鹿の氏族」の戦士たちによって、他の大カエルも何とか倒せたようだ。
皆、様々な怪我はしているものの、命に関わるほどの者はいなかった。
そのことに安堵し、ネルガティスが大きく息を吐き出した時。
この場にいた豊王神フージーブールーの神官──結界の基点の鑑定のために派遣された者──が、焦った声を上げた。
「ね、ねねねねね、ネルガティス様っ!! 宝珠が……結界の基点たる宝珠が……っ!!」
神官の焦った声に、弾かれるように動き出したネルガティス。そして、彼は見る。
神秘的な光を湛えた結界の宝珠が、徐々に禍々しい黒へと変化していくのを。
「殿下っ!? 一体何事ですかっ!?」
王の執務室から飛び出したジェイルトーンに、今にも執務室へと飛び込もうとしていた近衛騎士の一人が代表して問う。
「侵入者です! 侵入者は銀色のガルガリバンボンが一体! 陛下はガルガリバンボンをこの城から決して逃がすなと命じられました!」
ジェイルトーンの話を聞き、一瞬だけざわりとした気配が漂う。だが、それはすぐに収まり、騎士や兵士は王命に従うためにそれぞれ動き出す。
「現在執務室の中で、陛下とナイラル将軍、セルマン師がガルガリバンボンと対峙していますが、多くの者が狭い室内に飛び込んでも邪魔になるだけ。二人ほど部屋の前に待機して、状況に応じて応援に入ってください。それ以外の者は、いつでも戦えるように準備をお願いします。ああ、そこの君、【黄金の賢者】殿に至急このことを伝えるように」
「僭越ながら、殿下は安全な場所までお下がりください。ここに留まられては危険です」
「そうですね……分かりました。どこかの部屋で今後の指揮を執ります」
「御意!」
ジェイルトーンは、個人ではなく王太子としての立場からそう決断した。
あの父がガルガリバンボンに後れを取るとは思えないが、万が一に備えることは必要だ。
仮にこの場で国王たる父が討たれたとしても、王太子である自分が健在であれば王国の混乱は最小限に抑えることができるだろう。
もちろん、ジェイルトーンとしては自分ではなく王である父に安全な場所まで下がって欲しい。だが、父の性格からしてここで下がるとは思えない。
「……あの性格、一体誰に似たのでしょうね?」
思わず零れ出たジェイルトーンの本音。もしもこの場に【黄金の賢者】がいたら、きっと「父親──ウチの宿六に似たに決まっているじゃーん」と答えていただろう。
空中でのたうつ黒い蛇。
それまでただ宙に留まっていただけのソレが、突然動き出した。
まさに蛇のごとくその長い体をうねらせ、とある地点へと猛然と突き進む。
その地点とは──
「それが狙いか!」
黒い蛇──呪詛が向かう先を見て、その目的を見抜いたのはもちろんライナスだ。
「ヤツの狙いは結界の基点を呪詛で穢して破壊することだ!」
そう叫ぶと同時に、詠唱して魔術を展開する。
彼が行使したのは魔術障壁。障壁で呪詛の進路を遮り、基点へ到達するのを妨害するため。
高速で基点へと向かう呪詛の前に、ぼんやりと輝く障壁が展開された。
これで呪詛は進路を阻まれ、基点へ到達することはできない。居合わせた者たちは、ことの成り行きを理解していなくても、誰もが何となくそう確信した。
だが、その確信は裏切られる。呪詛はライナスが展開した障壁をするりと透過してしまったのだ。
障壁を潜り抜けた黒い蛇は、遂に基点の宝珠へと到達し、ぬるりと宝珠の中へと入り込む。
途端、それまで乳白色に輝いていた宝珠が黒く染まる。
ぴしり、という小さな音を立てて、宝珠の表面に蜘蛛の巣のような細かい無数のヒビが走り抜けた。
そして。
そして、封印を支える基点の宝珠が粉々に砕けたのは、次の瞬間だった。