数の力と【黒騎士】
異形の英雄、銀の杖。
その巨躯に見合った怪力と、その巨体からは信じられない敏捷性を誇る、恐るべき敵であり、英雄と呼ぶに相応しい実力を持つ正真正銘の怪物。
だが。
だが、その怪物にも弱点はあった。
それは、得物が棍──つまり、近接武器であること。
剣や斧などに比べればその間合いは広いが、それでも銀の杖を中心とした半径3、4メートルほどが棍の間合いの限界だろう。
そして、どんなに強力な攻撃であっても、標的に届かなければ意味はない。
援軍として地下空洞に現われた王国騎士と「白鹿の氏族」の戦士たちは、それぞれ弓を装備し、銀の杖を取り囲むように展開している。
つまり、銀の杖の射程外、全方向から一方的に攻撃できるわけだ。
「けけろ、げこここここ!(訳:おのれ、姑息な手を!)」
銀の杖が間合いを詰めようと踏み込むが、接近された騎士と鬼人族たちは攻撃を一旦中断して後退し、常に一定の距離を保ち続ける。
そして、一方向へと銀の杖が詰め寄せれば、他方から一斉に攻撃する好機。
ひとつひとつの矢は、それほど強力ではない。攻撃している騎士も鬼人族の戦士たちも、決して腕は悪くはないが抜きん出た実力者ではないのだ。
それでも、どんなに僅かなダメージでも蓄積されれば。
「羽虫も集えば竜をも墜とす」という諺がガラルド王国にはある。その諺どおり、「数」という名の力が異形の英雄を倒そうとしていた。
「戦争は数だ。たとえどんな英雄英傑であろうとも、たった一人で戦争に勝つことはできない」
とは、とある国にかつて仕えた将軍の、有名な言葉である。
その将軍の言葉が、今まさに証明されようとしていた。
更には、騎士や鬼人族の戦士たちが携えているのは、ジルガから借り受けた魔力を帯びた弓であり、その効果は様々だ。
単純に貫通力を増したもの、射程が通常の弓より長いもの、放たれた矢に火や雷を付与するもの、毒を付与するもの、着弾と同時に爆発するもの、中には標的に刺さると周囲に悪臭をぶちまけたり、きらきらとした光を無意味に振り撒いたりという訳のわからないものまである。
異形の英雄たる銀の杖とて、これだけ様々な効果を持つ矢を一斉に受けては、さすがに対処しきれない。
最初こそ棍で迫る矢を叩き落としていた銀の杖だが、射かけられる矢が増えると同時に、その身に刺さる矢も増えていく。
「けろろ! けろろ! けろろ! げろろんげろろ、けろけけけけけろろろ!(訳:おのれ! おのれ! おのれ! 猿どもがこざかしい知恵を使いよって!)」
銀の杖が忌々しそうに叫ぶが、もちろんそれが騎士や鬼人族たちに伝わることはなく。
全身に矢を受けて、徐々に動きが鈍くなっていく銀の杖。この恐るべき異形の英雄が、「数」という名の力の前に命の炎を吹き消されるのは、それからしばらくしてからだった。
至近距離から吐き出された、銀の弓の牙。
この無数の小さな牙こそが、銀の弓の名の由来。
銀の弓は実際には弓を用いることはないが、己の牙を「矢」として用いることから、「弓」という名で呼ばれるようになったのだ。
この異形の英雄は、人間でいえば弓兵ではなく暗器使いといったところだろう。
その恐るべき暗器が、ガラルド王国のシャイルード国王を至近距離から貫────かなかった。
なぜなら、銀の弓が吐き出した二十近い牙は、全てシャイルード国王が手にした黒地剣エクストリームによって叩き落されたのだから。
いや、叩き落されたのではなかった。吐き出された牙は全て、叩き斬られていた。
真っ二つに裂け、シャイルードの周囲に散らばる牙だったモノ。
「げ……げここっ!?(訳:な……なにっ!?)」
「馬鹿か、おまえ? そンだけ殺気を振りまいていたら、誰だって気づくってもんだぜ? なあ、おい?」
不敵な表情を浮かべながら、シャイルードは周囲にいる息子や友人たちに同意を求めた。
だが、同意を求められた方は、ただただぽかんとした表情を浮かべるばかり。どうやら、シャイルード以外は気づいていなかったらしい。
しかし、同じ部屋の中に敵が侵入していると即座に悟り、慌てて警戒態勢を取る。
同時に、王太子であるジェイルトーンはポケットの中に入れておいた、小さな球体を力一杯握りしめる。
これは、王族が普段から身に付けている危急を告げるアイテムだ。
小さな球体に僅かでも魔力を流すとそれがスイッチとなり、王城の各地に設置されている警報装置が作動する。
当然、警報装置が作動すれば、王城に詰める騎士や兵士たちが動き出す。同時に、侍女や侍従といった戦えない者たちは、邪魔にならないように所定の避難場所へと移動を始めた。
余談だが、このシステムが構築されたのは先王の時代で、発案者と制作者は先王の妻の片割れだったりする。
「何者だ……なんて聞くまでもないな」
「ガルガリバンボンがどうやってこんな所まで……全く気づかなかったぞ」
「何らかの魔法でしょうか? さすがに転移魔法なんて大魔法を使ったとは思えませんが……」
予期せぬ侵入者──人間と大差ない体格のガルガリバンボンを、トライゾン、サルマン、シャイルードの三人が取り囲むように陣取る。
ここは国王の執務室だけあって、それなりの広さがある。とはいえ、この場が室内なのは変わりない。大型の武器を振り回したり、高威力の魔法を使用したりすることはできないだろう。
そんな場所で両手剣である黒地剣エクストリームを振るい、部屋の調度品に全く被害を及ぼすことなく、吐き出された牙だけを叩き斬ったシャイルードの技量。【剣王】の異名は伊達ではない。
「けけけ……げこ、げろげこけろろげろげろけろげろ(訳:おのれ……いや、我が異能を見破ったことを褒めるべきであろうな)」
自身を取り囲む三匹の毛のない猿たちを順に見回しながら、小柄なガルガリバンボン──銀の弓は、にぃと大きな口の端を吊り上げた。
銀の弓の異能は確かに強力なものだが、あくまでも認識を誤魔化すだけにすぎない。一度はっきりと認識されてしまえば、もう異能の効果は及ばない。
足元に転がる石に特別注意を払うことはなくても、その石を踏んだり躓いたりすれば石がそこにあるとはっきり認識してしまうのと同じだ。
シャイルードたちは銀の弓を確かに敵と認識した。これでもう銀の弓の異能は、彼らに効果を及ぼすことはない。
「ジェイル! 一度部屋の外に出て兵たちの指揮を執れ! 絶対にこのカエルを城から逃がすんじゃねえぞ!」
「はい!」
父であり王であるシャイルードに命じられ、ジェイルトーンは執務室から飛び出した。
シャイルードのこの指示には、王太子であるジェイルトーンを危険から遠ざけるという意味もあるのだろう。
本来なら、王太子であるジェイルトーンよりも、国王である自分が逃げるべきなのかもしれない。
だが、そこには父親として息子の安全を優先したという面も含まれていたとしても不思議ではないだろう。
「さぁて、どうやってここまで入り込んだのかは知らねえが、この城から二度と出られるとは思うなよ?」
「銀色の皮膚をしたガルガリバンボン……おそらく、こいつは銀の一族でも幹部クラスの個体だろう」
「私もそう思う。以前、レメット様がそんなことをおっしゃっておられたからな」
シャイルード、トライゾン、サルマンが、目の前の銀色の大カエルから注意を逸らすことなく言葉を交わす。
対して、王国でもトップクラスの実力者たちに包囲されているにも拘らず、大カエル──銀の弓は慌てた様子もなければ焦った様子もない。
もっとも、カエルの表情の変化が人間には分からないだけかもしれないが。
そして。
そして、顔の両側面に突き出した一対の眼が、ぎょろぎょろと周囲を見回すと、銀の弓の体の表面がざわりと蠢いた。
その瞬間、臨戦態勢だった三人が動き出す。
しかし、三人が取った行動は銀の弓への攻撃ではなかった。シャイルードとトライゾンが、ほぼ同時にサルマンの背後へと移動したのだ。
そして、サルマンは構えていた杖を前方へと突き出す。
杖の先端が輝き、魔術が展開される。展開された魔術は防御の魔術。前方の魔力の障壁を張り、敵の攻撃を無効化するものだ。
障壁の展開が終わると同時に、銀の弓の体が爆ぜる。いや、正確には銀の弓の全身の体表から、小さくて薄い刃のようなものが全方位へ向けて射出されたのだ。
射出された小さな刃が、執務室の窓を砕き、壁を抉り、調度品を破壊する。
一瞬で破壊され尽くした執務室。一国の王の執務室に相応しく、重厚感と高級感と威厳に溢れたその部屋は、瞬く間に廃屋のごとき見るも無残な様相へと変わり果てた。
部屋の中で無事だったのは、障壁によって守られたシャイルードたち三人のみ。
筆頭宮廷魔術師が展開した障壁は、この恐るべき刃の嵐を見事に防ぎ切ったのだ。
「おいおいおいおい……この執務室、どれだけ金がかかっていると思ってんだよ……」
謁見の間や王の執務室は、ある意味で「国の顔」と言える。そのため、王本人の趣味よりも、国の威信や威厳といったものを重視する必要があるのだ。
そのため、この執務室にも相応の費用が注ぎ込まれていたのだ。シャイルードが破壊され尽くした執務室を見て、思わず嘆くのも無理はないというものだろう。
「…………おい、そこのカエル野郎! 俺のこの怒りといらいら、てめえをぶった斬ることで晴らさせてもらうぜっ!!」
ざん、という鋭い音と共に、ジルガが手にした黒雷斧フェルナンドを振るう。
振るわれたフェルナンドは、その刃に黒い雷を纏わせていた。この黒い雷こそが、フェルナンドの秘められた力。黒雷斧の名前そのままに、斬撃と同時に黒雷で敵を焼き尽くすことこそがフェルナンドの本領。
今まさに。
その本領が発揮された。ジルガが黒雷を纏わせたフェルナンドを振るうと同時に、竜モドキと化した銀の剣の首元に黒い線が疾った。
そして、ずるりとずれる銀の剣の首。一拍置いて、噴水のように胴体から噴き出す黒い血。
さすがの異形化した銀の剣も、首を落とされては生きてはいけない。
いや、黒聖杖カノンによって生命力を吸われた時点で、再生能力はほぼ失われていた。
刎ね飛ばされたトカゲモドキの首が地面に落ちると同時に、胴体も轟音と共に大地に沈む。
「ふむ……どうやら動かないようだな」
倒れた銀の剣をしばらく無言で見つめていたジルガが、敵の死を確認して構えを解いた。
「ガイスト殿、他の騎士殿たちや村人の様子はいかがか?」
「配下の騎士たちに大きな怪我をした者はいない。だが、村人の中には……」
救出された村人たちを見て、騎士隊長のガイストは思わず眉を寄せる。
ガルガリバンボンたちによって傷つけられた村人はかなりの数で、中には手足を失っている者もいる。
更には、大量の血を失ったからか、相当顔色が悪い者までいた。早急に手を打たねば、すぐにでも神々の下に召されてしまいそうだ。
「ライナス!」
「心得ているとも」
レアスと共にジルガのすぐ近くまで来ていたライナスは、彼女から預かっている次元倉庫の鍵を操り、「癒しの乙女」を始めとした治癒系の神器をいくつか取り出す。
どん、どん、どん、と大きな音と共に、どこからともなく現れる数個の大きな鉄塊。その表面には人間の女性の姿が刻まれているが、どう見ても邪悪なナニかにしか見えない村人たちは、その顔色を一層悪くする。
「も、もしかして俺たち……悪魔への生贄にされるんじゃ……」
「カエルの化け物の次は黒い悪魔か……」
「ああ、神様……どうして俺がこんなめに……俺、そんなに悪いことしました?」
「神よ……何卒、弱き我らに救いの手を差し伸べてください……」
口々に好きなことを言い始める村人たち。彼らのそんな様子に苦笑しながら、ライナスが神器やこれからのことを説明しようとしたその時。
倒れている銀の剣だったトカゲモドキの体。首を落とされたその断面から、血とは明らかに違う黒い「ナニカ」が間欠泉のように噴き上がった。