五黒牙の真なる力と【黒騎士】
おおおおおおおおん、と咆哮を上げる、少し前まで銀の剣と呼ばれる異形の英雄だった、ソレ。
すっかり変りはて、竜のなりそこないの黒いトカゲのような姿となったソレに向かって、ジルガは重厚な金属鎧を着ているとは思えない速度で肉薄する。
そして、右手に持った黒雷斧フェルナンドを真横に一閃。常人では両手でも持ち上げることが難しい、超重量のフェルナンドをジルガは片手で軽々と振るう。
どこか禍々しさを感じさせる黒い粒子の尾を引きながら、振るわれた黒雷斧の刃が黒トカゲの首の付け根辺りを深々と裂く。
周囲に赤黒い血が飛び散るが、傷口は見る間に塞がっていく。
「させん!」
更に数歩、ジルガが踏み込む。そして、塞がりかけている傷口へと左手の黒聖杖カノンの先端を突き刺した。
ぐりり、という何とも言えない異音と共に、カノンの先端が銀の剣の肉を抉る。
カノンの先端には、特に装飾らしいものはない。その外見はただまっすぐな漆黒の杖。
かろうじて、その先端に小さな球体のようなものが取り付けられているぐらい。よって、カノンの先端を突き刺すことは普通なら不可能。
しかし、ジルガはその膂力にモノを言わせて、強引にカノンを銀の剣の体に押し込む。
槍のような鋭い穂先があるわけでもないカノンの先端が、見る見る押し込まれていく。それだけでも銀の剣に激痛を与えていることだろう。
実際、変貌した銀の剣が苦し気に身を捩り、おおおおおおおおおおん、と咆哮を上げる。
そして、ジルガは杖の後端部分を地面へと突き刺す。これもまた、彼女ならではの力業だ。
傍から見れば、トカゲのように変貌した銀の剣の首元を、カノンで支えているように見えるだろう。
「さて……カノンの能力を使うのは初めてだが、なぜか使い方が理解できるな」
誰に聞かせるわけでもなく、一人呟くジルガ。
彼女は五黒牙の四武器の全能力を理解し、そして開放することができる。これも武器の親機である黒魔鎧ウィンダムを使いこなしているからだろう。
そして親機を介することで、カノンの以前の持ち主である【黄金の賢者】よりも、更に黒聖杖の能力を引き出すことも可能となった。
「黒聖杖カノンよ……我が敵の生命力、その全てを奪い取れ!」
がつん、という重々しい音が、地下都市の更に下にある空洞に響き渡った。
鎧の上から胸を強打されたネルガティスは、後方へと吹き飛ばされてごろごろと地下空洞の硬い地面の上を転がっていった。
「ネルガティス様っ!?」
連続して襲い来る銀色の杖を両手の剣で何とか捌きながら、ストラムが心配そうな声で問う。
「だ、大丈夫だ、ストラム殿……」
げほげほと苦し気に息を吐きながら、べっこりと凹んだ鎧の胸部をちらりと見てストラムが言う。
「我がガラルド王国の騎士が制式採用しているこの鎧は、頑丈なことで有名なのだが……いや、この鎧だったからこそ、この程度で済んだと考えるべきか……」
もしもこの鎧以外の防具を装備していたら、という想像をネルガティスは頭を振って追い払う。
「……しかし、杖術がここまで厄介な武技だったとはな……」
相対してみて、ネルガティスはそのことを嫌というほど実感した。
銀の杖は、振り下ろし、突き、薙ぎ、とまさしく変幻自在な動きでこちらを翻弄してくる。
もちろん、剣や槍でも同じことができるだろう。だが、目の前の銀色の大カエルが操る杖術は、それらの武技よりも遥かに変化に富む。
上かと思えば下から。右かと思えば左から。こちらの意表と隙を巧みに突いてくる。
右腕に持っていたはずの杖が、カエルの巨体の陰──背中でくるりと回転して左腕へと移動する。
頭上から振り下ろされたはずが、気づけば下から襲ってくる。
左からの横薙ぎをいなしたかと思えば、更なる高速な攻撃が何度も牙を剥く。
一体しかいないはずの敵が、まるで何体もいるかのような怒涛の攻撃を受けて、ネルガティスもストラムも防戦一方に追い込まれていた。
「げげげげげげげ! げろろ、けけろけろけろげろろげろ!(訳:かかかかかかか! 所詮、猿の力などこの程度よな!)」
くるくると手の中の得物を振り回し、銀の杖が嘲笑う。もっとも、ネルガティスとストラムには、ただカエルが鳴いているようにしか聞こえないが。
「ネルガティス様……」
強打された胸の痛みを噛み殺しながら戦線に復帰したネルガティスに、ストラムが視線を向けることなく小声で呟く。
「私がカエルの動きを抑えます。その隙を──」
「──心得た」
ストラムは具体的なことは言わない。ネルガティスも聞かない。
おそらく、ストラムはかなり無茶なことをするつもりなのだろう。その無茶をネルガティスは止めない。
ストラムがそこまでしてくれるのなら、自分はその意思に黙って応えるのみ。
覚悟を決めて、得物である大剣の柄を強く握りしめる。
「おそらく…………もう少しです」
「ああ……もう少し、粘ってみせようじゃないか」
そう言葉を交わし、ストラムは地を這うような低い姿勢で銀の杖へと突進した。
たくさんの人々が行き交う、ガラルド王国の王都セイルバード。
この街の住人の大多数は人間だけだが、妖精族や小人族、それ以外の亜人たちもそれなりの数が暮らしている。
そんなセイルバードの街並みの中を、一際異様な姿のモノが人目を避けるようなそぶりもなく堂々と歩いていた。
背丈は周囲を歩く人間とそれほど差はない。それでも、頭半分は大きいソレを、周りの人々はまるで気にもしない。
ソレは街の中を悠然と歩き続け、目的地である王城の前まで辿り着く。
もちろん、王城の前には複数の衛兵がいる。衛兵たちは金属製の鎧を身に着け、手には長柄武器のハルバード。弛んだ様子は微塵もなく周囲に鋭い視線を向けていた。
そんな彼らの前に、ソレは歩み出る。小さくげこここ、と鳴き声を発しながら。
衛兵の一人がどこからともなく聞こえてきたカエルの鳴き声に、不思議そうに眉を寄せる。
「おい、どうかしたか?」
同僚の様子に気づいた他の衛兵が訊ねた。
「いや……カエルの鳴き声が聞こえたような気がしたんだが……」
「寝ぼけているのか? この辺りにカエルがいそうな水辺はないぞ。まあ、城の中庭まで行けば美しい池もあるが、あそこは庭師たちによって厳重に管理されているから、観賞用の魚はいてもカエルなんて棲んでいないだろ」
「だよなぁ…………空耳かな?」
「まあ、交代の時間まであと少しだ。それまで気を抜くんじゃないぞ」
「おう、わかっているって」
そんなやり取りをする衛兵たちの間を、ソレはゆっくりと、そして堂々と通り過ぎた。
「げここここ。げげげ、げげげろろろろ(訳:かかかかか。所詮、毛なし猿などこの程度よな)」
にたり、と満足そうな──人間からすると全くそうは見えないが──笑みを浮かべて、銀の弓は一人呟く。
「げろ、けろろけろろけろ? げここここん、けろけろけろけろんぱ(訳:さて、猿どもの長はどこにいる? 見つけ次第、生きたまま食ってやろう)」
自分の喉元に突き刺さった鋭い異物。そして、そこから吸い出される自分の生命力。不快極まりないそれを魔獣と化した銀の剣は、体を振るってそれ──黒聖杖カノンを振り飛ばそうとした。
だが。
自分の喉元深くに潜り込んだ異物は、そう簡単には抜けなかった。それどころか、その異物が錨のように自分の体を地面に縫い付けていることを嫌というほど悟らされた。
それでも、銀の剣は必死に体を捩じろうとする。しかし、それをジルガは許さない。
地面に突き刺したカノンの石突付近をがっしと踏みつけ、柄を両手でしっかりと保持して黒聖杖が銀の剣から抜けないように渾身の力を振り絞る。
更に。
暴れる銀の剣の周囲の地面から、ぬうっと何かが起き上がった。言うまでもなく、ライナスが作り出したゴーレムである。
出現したゴーレムは全部で四体。全てのゴーレムが暴れる銀の剣の体に取り付き、押さえ込みにかかる。
おおおおおおおおおん、と再び銀の剣が咆哮する。その雄叫びには、明らかな苦痛が含まれて。
そして、変化が現れる。
今、ジルガたちがいるのは森の中にぽっかりと広がった空き地である。ここはガルガリバンボンたちが乱雑に切り拓いてできた空き地であり、最初からこうだったわけではない。
ガルガリバンボンたちが砕き、へし折り、蹴り倒した樹々に目に見える変化が現れたのだ。
へし折れた切り株から、新たに小さな枝葉が芽吹き出す。そして、芽吹いた枝葉は見る間に成長していく。
魔獣化した銀の剣から奪った生命力を、カノンを通じて大地へと流した結果、周囲の樹々が活性化したのだ。
【黄金の賢者】レメットは、かつて銀邪竜から黒聖杖カノンを使って生命力を奪い、己の体へと流し込んだ。その結果、千年以上生きてきた老人の姿から今の若い姿へと変貌した。
逆に言えば、当時のレメットは奪った生命力を自分自身という器にしか流し込むことができなかったのだ。
だが、ジルガは違う。今の彼女はヴァルヴァスの五黒牙の正統継承者ともいうべき存在であり、【漆黒の勇者】や【黄金の賢者】よりも五黒牙を使い熟すことができる。
黒聖状カノンを通じて銀の剣より奪った生命力は、大地を介して破壊された森の樹々を成長させていく。
だが、以前と全く同じではなかった。
新たに芽吹いた樹々は、なぜか真っ黒だったのだ。
芽も幹も枝も葉も、全てが黒い。その姿は、まるで邪悪な何かに呪われた樹々のようで。
もちろん、ジルガ本人にもどうしてこうなったのか分からない。
黒魔鎧ウィンダムの力なのか、それとも本来の力を発揮した黒聖杖カノンの力なのか。
黒い森が見る間に広がっていく様子を、捕らわれていた村人たち、そして、その村人たちを解放していた騎士たちは青ざめた表情で呆然と眺めるばかり。
「の、呪いだ……黒い悪魔の呪いだ……」
そう呟いたのは、誰だっただろう。
実際、この新たに成長した黒い木々が呪われているということは全くなく、それどころか成長が速く、湿気、虫食いに非常に強い極めて優れた木材なのだが、それが判明するのはもう少し未来のことである。