2 引越し・・・シロル
これまで:河口から遡上したサイナス村にすむジーナはアリスとミットを伴い、なんと静止軌道まで跳んで見せた。その上ミットにその技を仕込み始めた。
空が白んで参りました。あたくしはそろそろ朝食の用意を始めましょう。座っていた椅子から立ち上がり、各部の動きを確かめます。昨夜のお風呂は良かったです。関節部に固まりかけていた油脂が溶け、動きが良くなっています。こうやって熱で溶けるうちに新しい潤滑材と交換したいですね。
朝食は甘いフワッとしたパンに野菜の栄養たっぷりのスープ、薄切り肉をカリッと焼き、茹で野菜を添えたもの。甘めのソースがよく合います。今日も残さず食べて頂けました。
今日はお野菜を多めに詰めてもらい準備していると、アリスさまがミットさまに道中置いて来た大量の木質の回収をお願いしています。
早速ミットさまの転移の出番と言うわけですね。木質はおそらく新しい村に使うのでしょう。
アリスさまはクロを連れサイナス村へ出かけてしまいました。あたくしはお留守番でございます。村の候補地の選定を言い付かりましたが、お供するものと準備もしておりましたのに正直予想外でした。
ミケと共にこの辺りの地形を調べて回りますと候補地は2つ。
川向こうの森を一部切り拓き川と海、山との間に畑を作り村とする。
もう一つはずっと戻って森から離れ広い平原を開墾し農業を主とするもの。
言ってしまえば畑作用地を確保できる場所が他にありません。あたくしは近いこともあって最初の候補地に心惹かれますが、どうなるのでしょうね。
ミットさまの木質転移が始まりました。一瞬姿が見えたかと思うと木質が5本程その場所に転がり、目を戻すともうそこには姿が見えません。1、2メニ間隔で現れるので1ハワーで200ほどの木質が運び込まれました。あたくしの記憶では道中作成して放置した木質は1500を超えていましたが全て集めるおつもりでしょうか。
次に現れた時にあたくしはミットさまをお茶に誘いますと、楽しそうに笑ってお付き合いくださいます。
「いやー、これ、おっもしろいよー。転がってるやつに手をチョンとやると木質がどこまでもついてくるんだ。次へ飛んでチョン、次へ跳んでチョンって5、6本やるとちょっと重い感じでさー、ここに跳んできてポイッと。流石にちょっと疲れたかなー?お茶飲んだらセーシキドーに行って来るよー」
「無理はしないでくださいね」
「どーだろねー?あそこに行くのも楽しみだよー。ちっちゃい世界も綺麗だけど、他にも色々見えるんだよ。
そうだ、シロルー、このあといっしょに見に行こーよ」
それはもう切実に見たいです。宇宙ですよ?静止軌道ですよ?でも行ってもいいんでしょうか?
躊躇っているとお茶を飲み干したミットさまがあたくしの手を取りました。
「いっくよー」
「はい」
思わずそう返事をしてしまい、次の瞬間には丸いアルミの球の中に浮いていました。近くの円窓に世界が漆黒を背景に小さく浮いています。
なんの音もしません。ここまで平坦な音響データは初めて見ました。ミットさまの動きに伴って生じる衣擦れの音だけが、僅かな起伏となってデータに記録されています。
「ヒューヒュー!」
ミットさまの喜びの声にホッとしました。
「これがあたいたちの世界だよー。白と青と茶色ー、緑が少し。黒いとこは夜だねー。真ん中の濃い青が西の内海ー。ちっこいねー。あー、ハイエデンは雲の下だねー」
本当に小さな世界なのですね。あたくしはこの軌道が正しくは静止軌道ではないことに気づきました。
高度や速度がピッタリなのは驚きですが赤道上を周回していません。現に西の内海がかなり北寄りに見えています。これで正確に球の内部に転移できたのですからこれで良いのでしょう。
見ていると急に視界が切り替わります。別の窓へ転移したようです。
「ほらシロルー、あれなんだけどさー」
指し示す指の先には小さな赤い点。星空を背景に僅かに動きが見えます。唐突に惑星という言葉が浮かび検索が開始されました。
第5惑星フロウラファイブと名が表示されました。
「フロウラファイブです。外惑星だそうです」
「ふーん?そんな名前なんだー」
瞬きのない見事な星空です。一つ一つの光は波長が異なりじっとそこに止まっています。動いて見えるのはこの球体が世界の自転に伴って軌道を周回しているためです。理屈が分っても、地上での生活感覚とはかけ離れたこの環境はとても奇妙に感じます。
「シロルー、えーせいってどの辺ー?」
「衛星でございますか?もっと下かと……」
次の瞬間、世界が5倍になりました。殻から出て生の宇宙空間です。真空中でもこの体には潤滑系統に若干の影響が出るくらいだとは分かっていますが、ギョッとするのは止められませんでした。尻尾が出ていたら毛が逆立ってまっすぐにピーンと伸びていたところです。
でも会話には空気が……あ、あるんですね。どうしてかなど、おそらく聞くだけ無駄です。
「ああ、あれですね。今あの大陸を横切っています。見えますか?」
「うーん、どうだろー?あれかなー?」
また世界が大きくなります。もう球体は視野に収まりません。巨大な球が青と白の薄皮を纏ってゆっくりと回っています。回転方向に拳程の固まりが飛んでるのが見えます。そのそばに一瞬で移動しました。
衛星です。大きくひしゃげて電波が出ていません。4枚ある受光パネルは2枚がクチャクチャに萎れ、形を保った2枚も今は発電していないようです。
「ミットさま。この衛星は生きておりません。
回収しますか?」
「えー、これじゃなかったのー?回収してどうするのー?」
「そうですね。可能なら修理したいです。ダメでも記録が読めるかもしれませんし、大量の電子部品が手に入ります」
「デンシブヒン!アリスが喜ぶよー。よーし、持って帰るよー」
ミットさまのその声と共にあたくしはトラクの横に立っていました。
正面には一昨日架けた大きな橋、右手にはニコニコと笑うミットさま、その後ろに4メルのごちゃごちゃとした塊、衛星だったもの。
あたくしはこの理不尽も受け入れるのです。
元気になったミットさまはまた木質の回収に向かわれました。
入れ替わりのようにジーナさまがアリスさまとカンツさま、ネギラさまを伴い転移してきます。
「シロル。この塊どうしたの?」
「先程、ミットさまに連れられて衛星を回収して参りました」
「へえー。これが衛星?結構グチャグチャだね。直るの?」
「どうでしょうか?最悪でも電子部品が大量に回収できます」
「ふうん。それはいいね。で、場所はどうだった?」
「ひとつは川向こうの土地ですね。森を一部切り拓く必要がありますが、山と川、海の幸が期待出来ます。人口が増えた場合発展性に乏しいですが、200人くらいまでは十分かと。
もうひとつは少し戻った平原です。ここからそう遠くもないですし、土地は十分にありますので農耕向きです」
「ジーナさん、カンツさん、ネギラさん。どうする?」
「カンツ。どうじゃ?」
「手始めに河口で良いと思います。余裕ができたら平原へ通って開墾する流れが良いでしょう」
「ネギラはどう思うかの?」
「私も今の村に近い河口が良いです。同じ川が見られますから」
「うむ、ではそうするか。
家はどうするかの?今の村から転移してしまおうか?」
「えっ?家持って来られるの?木をたくさん用意してたんだけど」
「うむ、まあな。地盤が変わると少し歪むでな。アリスさんに任せた方が良さそうじゃな。伐採の方は任せておけ。木など簡単に引っこ抜いて束にして見せようぞ」
ミットさまが木質を携えて現れました。
「あー、アリスー。ジーナ、カンツとネギラもー。こっちに来たんだねー」
「ミットさま、今住む場所を決めたところです」
「それが木なのか?丸太の形ではあるがそうは見えぬ」
「これは木質だよ。必要なとこだけ集めて固めたもの。元の木にはならないけど、いろいろに使えるんだ。家もこれで建てるから」
ミットさまは途中3度の休憩を挟み、夕方までに全ての木質を集めてきました。
ジーナさまは本当に巨木を根こそぎ宙に引き抜いて10本束を4山作ってしまい、枝が絡まる中ではクロミケの枝払いができず、アリスさまが大量の甘味料に変換していました。
この頃は甘味から透明板を作ると速いことが分かり、貯蔵場所が十分にある場合は木質ではなく甘味に加工することも多いのです。
明日は整地から住居の建築と開墾作業になります。夕食は皆さんトラクの前のテーブルで食べて行ってくれるというので、あたくしが張り切りました。
先日の雪辱を果たさねば。
あの程度などと思われては、このシロル、ネコミミメイドの名折れでございます。
これでもかと蒸し物、揚げ物、繊細な焼き物。そしてデザート。皆さまのお腹に入る量に制限があるのが悔しいくらいです。
お酒も少し出しましたので、ジーナさまの口も緩み昔話など聞かせてくれました。
「もう200年になるかの。わしも孤児よ。ずっと東の海の向こう、なんという町だったか。
もう覚えておらぬが、ひもじい腹を抱えて薄暗い路地にうずくまるガキにの、声をかけてくれた婆さまがおったのよ。
わしには素質があるなどと言っての。胡散臭い婆さまじゃった。
はて、今のわしも相当に胡散臭いかの。
その頃から住居はあの滝の上、さほどの歳でもないのにバタバタと死んでいくのをずいぶんと見て来た。先代に教えられた力の源がその原因とはのう」
「なんの、ジーナさま、ワシらとてどこぞの町の路地でひもじい思いもし、石も投げられ、かっぱらいまでしてやっとの思いで生きていた者。あのときのままならば無かった命でございます。それをこうやって守られて生きていられる、お役に立てる。感謝しております」
「辛気臭い話はよしなよー。明日からは新しい村を作るんだよー。パルザノンまで細いけど道も繋がってるから商人だって来るよー。きっと良いことがあるんだ。あたいも手伝うから頑張ろー」
「まあ、ワシなら一っ飛びじゃがの」
「「「あはははー」」」
泣き笑いでございますね。人とはこうやって片田舎であっても、肩寄せあって生きていくものなのでしょう。




