1 静止軌道2・・・シロル
これまで:西の内海に到達したアリスとミットは、道を作りながら左回り内海沿岸を探検して行った。河口から遡上した先の滝の上のサイナス村にはジーナという跳べる婆さんがいた。
ミットさまがジーナさまにお願いしてアリスさまとハイエデンまで跳んでもらう事にしたので、あたくしは村で料理を作ってお待ちすることになりました。
案内されたのは差掛けの屋根の下の共同の台所です。冬はさぞ難儀でしょう。薄い石の流し台、3セロ厚とはずいぶん優秀な職人が居るのですね。調理のお鍋は大きな鉄鍋が一つだけ、竈は3つ。
「他にお鍋はありませんの?」
「長の台所にいくつかあるよ」
「見せていただいていいでしょうか?」
「はい。こちらです」
焼き網に小鍋を2つ。焼き物にソースを2種類と煮込み料理と言ったところでしょうか。手の込んだ物は作れませんね。
「人数分の食器はございますか?」
「汁物用の器でしたらございます」
「お皿はありませんの?」
「大皿が5枚だけです」
「そうですか。下拵えを始めましょう」
クロに持ち込んだ食材を出してもらい、小鍋二つに沸かしたお湯に貝類で出汁を取りましょう。調味料は一通り持ち込んでいますので、そこは大丈夫。湯が沸くまでに食材を切り分けましょう。
クロの画像を見ましたが葉物は殆どありませんでした。川魚が主な食糧のようです。この村の人が短命なのは栄養状態に依る部分も大きいですね。
エビは腸抜きだけして、貝はそのまま、カニはぶつ切りにして鍋のお湯へ放り込み、魚を下ろしながら時々灰汁取り。持ち込んだ野菜が心許ないですが、ないよりはずっといいです。
良いお出汁が取れました。具材は取り出して身を回収、普通ですと殻は砕いて肥料ですね。
大鍋を火にかけ熱くなって来るのを待って、脂を引き、薄切りにしたイノシシのお肉を炒めます。持ち込んだ葉物は全てざく切りにして投入。お出汁の具材は煮過ぎても固くなるばかりですので最後にしましょう。お出汁をひと鍋半、お魚の切り身にお肉を刻んでお水を7分目入れ沸かします。
焼き物にする分のお肉はヘビ、クマ、シカ、アナグマにトカゲを切り分け大皿へ並べて行きます。皮素材のシートをかけておきましょう。魚は腸抜きだけして大皿に並べ、貝はそのまま焼くのでボウルごと。
さて大鍋はどうでしょう。まだ沸いてませんね。ここで火を強くするのはお勧めしません。下からかき混ぜて均一に温度が上がるようにしましょう。
小鍋のお出汁を二つに分け、甘めのソースと辛いソースを作ります。煮詰めるので少し薄いかな、くらいの味付けで調味料を投入、弱めの火にかけていきます。
さてここからが本番、楽しい混ぜ混ぜタイムの始まりです。三つのお鍋とじっくり語らう夢のようなひと刻です。テンションが上がってまいりました!
混ぜるのは焦付きを防ぐのが大きな理由の一つですが、特にソースなどは煮詰めていく間のお味の変化を見極め、火加減の調整、混ぜる頻度の調整が大事になります。煮込みは全てがここで決まると言って過言ではありません。
小鍋の方は量が少ないので完成が近づいています。いよいよ気が抜けません!
大鍋はやっと沸騰が始まったので薪を一度グッと減らし灰汁取り開始です。薪を少し戻して小鍋!
灰汁取り、小鍋!もうルンルンですっ!
こういう時は尻尾が欲しいですね。尻尾が勝手に踊る分、体が落ち着きますから。今はしまってあるので、その分膝とお尻がプルプルします。
小鍋の煮詰めは終了です。冷めるともっと粘度が上がりますから、このくらいで火からおろし、味見!
こちらはこのままで。辛味は難しいです。好みで分かれますので、そこはいじらず甘みと酸味をちょっとずつ加えてひと混ぜしてみます。良さそうですね。蓋をしてこのまま冷ましましょう。
大鍋も灰汁が落ち着いたので落とし蓋をしてさらに弱火で煮込みます。
ふうと見回すと、いつのまにか周りに人垣ができています。匂いに釣られて来ましたね?
「お料理はもう少しかかります。テーブルや食器はどのようにされているのですか?」
うまく行くならお手伝いを頼んでみましょう。
焼き網を竈に乗せ火を強めに。魚を5匹乗せ焼き始めます。隣には厚切りのお肉を乗せました。
目論見通りカンツさまとネギラさまが先頭に立ってお食事の準備が始まります。
どこからか大きなテーブルと椅子が運ばれて来ました。家を回ってお年寄りとしか見えない人が連れてこられました。あんなご様子ですが50くらいが最高齢と聞いています。見るからに不憫です。この村は変わらなければなりません。孤児を各地から集め、このような放射線の高い場所に住まわせ、ジーナさまは一体なにをしたいのでしょうか?
さて、大鍋は出来上がり、魚も肉も焼けたものが大皿に移され次を焼き始めています。
「ジーナさまのお帰りを待つのですか?」
「いいえ。そのようなご指示はございません」
「ではあたくしの料理をご賞味くださいませ」
「はい、頂きます」
まず大勢の子供が群がります。大人たちは子供たちを優先して食べ物を配っていきます。その様子を年寄りたちがニコニコと見ています。本当にどこにでもある光景がそこにはありました。
一口食べた子供たちが美味しいと言って泣き出します。普段はどんな物を食べているのかと心配になってしまいます。今日の料理は精一杯作りましたが不出来です。足りない食材、足りない調理器具、こなし切れなかった火加減調整。忸怩とした悔いが残ります。
それを食べて泣くなど、おかしな話でございます。ともあれ、喜んで頂けたようで何よりでした。
次はお年寄りに配り、大人が食べ始めた頃、ジーナさまがお帰りになりました。アリスさま、ミットさまもご一緒です。
あたくしはホッと胸を撫で下ろしました。
「おー、なかなか豪華だねー。さっすがシロルー。あたいにもちょーだいねー」
「ほほう。良い匂いじゃ。皆はもう食べたのか?」
「子供たちはもうあちらで腹を摩って横になっていますよ。私たちも今食べているところです。この焼肉に付けるソースが大変に美味しいですよ」
「大鍋の煮物、サイコー。お代わりもらうねー」
「あー、ほんとだ。このソースは辛いんだね、美味しいよ。
ミットー、巻き貝の壺焼き、ヤバいよー」
「えー、どれー?あ、これあたいが潜って捕ったやつだー。へー?こうやって焼くのもいいねー」
食卓がいっぺんに華やかになりますね。このスパイスのお味はあたくしには出せません。
持ち込んだ食材はまだございますが、この食事でお開きとして河口へ戻ることになりました。
今はアリスさまがお風呂を使っており、ミットさまは寝台で何か考えているご様子です。
あたくしはマノ[さん]からジーナさまとのやり取りを記録した映像を受け取りました。アリスさまが見た光景と音声のファイルです。このようなファイルを受け取るのは初めてのことです。
再生すると、ハイエデンの上空で3人が現れたようです。高度は300メルほどでしょうか?街の半分が視野に収まっています。
ミットさまの興奮したご様子、まあいつものことですが、ガルツ商会の入り口をアリスさまの指が指し示すと一瞬で見慣れた裏口へ移動しました。あたくしは思わずファイルの加工をチェックしてしまいます。
アリスさまがジーナさまにどのくらいのお部屋が欲しいか聞き取りして、直径20メルの球形に50セロの丸窓を6メルほどの間隔で配置する設計を起こしました。アルミの合金が1トンほどになったようですが、やってみたところジーナさまが問題なく運べたとのことで裏口で製作が始まりました。
元ドルケルのハンスさまが工房から駆り出され、アルミブロックを円形に積み上げ配置した上にナノマシンを散布、いつもの建物作成と同じ手順ですね。
異なるのは円形窓の取り付けです。アルミの外殻が球形であるのに対し、窓は厚さ5セロの球面ですが裏返しに取り付け縁取り部分を密封します。内側の空気圧でより外殻と密着させるためですが、マシンで自動化はできなかったようです。40個の円窓を外殻の生成に合わせてひとつひとつ取り付けたようです。
どこにも入り口のない20メルの球体が2ハワーほどで出来上がり、ジーナさまが2人とともに中へ。そのまま静止軌道まで上がってしまいました。窓からはジーナさまのお話の通りの球形の世界が、漆黒の闇に浮いているのが見えています。反対側からは強烈な火がつくような熱い光。アリス様が窓に用意していた反射材をかけ塞いでしまいました。ジーナさまは着いた瞬間はグッタリした様子でしたが、周囲の宇宙線を全て体内へエネルギーとして吸収していたようで、すぐに元気になります。
ここでミットさまがジーナさまの指導を受け放射線の変換を行なっています。その後ミットさまが嬉々として球体内部で瞬間移動する様が記録されています。
次はミットさまとジーナさまが真空の宇宙空間に並んで手を振る映像。余り離れるとアリスさまに降り注ぐ宇宙線を吸収できないらしく、窓から見える範囲で転移を繰り返します。
最後に3人でサイナス村にポンっと戻って来ました。
これはマノ[さん]も手余ししますね。ひとことで言うと非常識。あたくしの常識とは相反するものがあります。
ですが、これを受け入れてこその従僕でございます。あたくしなりに解析し、できることとして受け入れなければなりません。
アリスさまがお風呂から出て髪を乾かし始めると、入れ替わりにミットさまがお風呂へ行きました。
あたくしはまずアリスさまのご意見を伺うことにしました。
「今日のジーナさまとミットさまの能力について、どう思われますか?」
「能力?転移の事かな。できる物はできるんだよ。お日様以外のものから別のデンキのような力を取り出して移動ができる。周りの物もこう塊で持って行って逃げないように捕まえていられるんだよ。あたしがやってるのだって、ちっちゃなマシンに物を作り替えてもらったりだしね」
見事に受け入れておいでです。ですがそうなりますと
「ご存知の通り、現在、衛星は1基しか動作しておりません。昔あったと言われるサーバについても先日見つけた1台のみ。
マノ[さん]の持つ記録も切れ切れですので、その辺りの修復をして行ってはいかがかと思います」
「衛星って直せるの?」
「さあ?ですが静止軌道まで行けるならもっと近くを衛星が飛んでいますので、見てくることはできるかと思います」
「面白そうだね。ミットと一緒に衛星修理?」
「はい。衛星には何か記録が残っているかもしれません」
「いいけどサイナス村を先になんとかしないとね。ジーナさんがどう言う役目を負っているのか分からないけど、あの生活はないよ。生きられて50歳半ばって」
「はい、食糧庫には葉物がほとんどありませんでした。放射線の影響で育たないのか、食べられないのか」
「あー、そういえばヤルクツールに移動したのって、ジーナさんの転移と同じじゃないかな?」
「そう言えばそうですね」
「ねー、ミットー」
「なーにー」
「明日もう一回サイナス村に行くよ。あんなとこに住む理由なんてもうないと思うんだ」
「あたいもそう思うけど聞いてみないとねー」
「それとさ、転移ってヤルクツールに飛ばされたのと似てない?」
バシャァッ!
「そーだよ!そっくりだよ!」
「まあ、お風呂はゆっくり入んなよ」
「うん」
「いやー、気がつかなかったねー。そっかー、転移だったんだー。でもやったのって誰ー?」
「さあ?」
「まいっか。でー?」
「地獄耳。
シロルが衛星を修理しないかって。どうだろ?」
「えーせいー?修理って出来るのー?」
「さあ?行ってみたらなんとかなるかもね」
「そっかー。行けるんだー、えーせい。アリスと行けばなんとかなるかー」
あたくしもお風呂をいただいて明日に備えましょう。




