2 トルネールイ・・・シロル
これまで:ひさびさのまとまった休暇をもらったアリスとミットはトラクで長い距離を走りたくて西ルートをシロル、クロミケを伴って走り出した。途中寄ったウエスティアにちょっとちょっかいを出すだけのつもりがすっかり仕事になってしまい、休暇は延長する事になった。
ウエスティアを出ていくらも行かないうちに山道になりました。右に見え隠れする川に沿ってまっすぐな道をどんどん登っていきます。40ケラルほど登ったところで左へ曲がりトンネルになりました。トンネルの中でも登っていて、800メル先でトンネルを抜けると長さ82メルの橋の上でした。空気がひんやりとしていて、岩だらけの谷底が10メル以上も下に見えています。
上を見ると中腹辺りの葉が茶色く見えますね。紅葉が近いのでしょう。
すぐに次のトンネルへ入ります。
今度のは長いです。10メニ以上も登りが続いています。やっと抜けると平らな土地が広がっていました。遠くに霞む山がぐるっと囲んでいます。右手は一面赤で覆われています。視覚を拡大して見ると小さな花がたくさん咲いています。少しゆっくりめに走ってあの3セロくらいの小さな花をアリスさまとミットさまに見ていただきましょう。
「「うわーーー」」
そう叫んであとは黙ってしまわれました。ミットさまが開けた右の窓から車内に花の香りが充満しました。
左手は緑が続いています。50セロ丈くらいの草原と言ったところでしょうか。
チズを見ると山に囲まれたこの平原は半径20ケラルのやや丸い形をしていて、あまり高低差がありません。
速度を上げて、正面の山に近づいて行きます。山の近くに集落が見えています。黄色い煉瓦積み、赤い屋根の民家が並んでいます。道はチズで見た通り集落の左を通って正面に見える山へと繋がっているようです。
1軒大きな家があって、その前に一人出てきて手を振ったのでトラクを停車させました。
「こんにちは、旅の方。あなた方もこの先の道を進めてくださるのですか?」
こちらに道路班が3班入っておりますから、外観がよく似たこのトラクがそう誤解されるのも致し方ありません。
「こんにちはー。あたいたちは休暇で遊びにきたんだよー。赤い花がキレーだったー。なんか手入れとかしてるのー?」
「いいえ、毎年今頃にああやって咲くんです。一休みして行きませんか?」
「いいねー。お世話になりまーす」
入り口から入って右手の1室に20人ほど座れるテーブルに案内されます。
「トルネールイへようこそ。私は村長のトルネです。蜜の飲み物をどうぞ」
「あたいはミットだよー」
「あたしはアリスでーす」
「あたくしは従僕のシロルと申します。どうぞよろしく。あたくしは飲食できませんのでお気遣いなく」
「ああ、そうなんですか?」
何か誤解されていませんか?
「「いただきまーす」」
「わー、お花の香りがするー」「本当だー」
「まあ?よく似た香りですのね」
あたくし、一応の嗅覚と味覚は備えております。貯蔵部がカップ一杯分ですので、食事は控えておりますが味見程度は問題ありません。
「コバチが集めてくれるんだよ。私らの作物の蜜も少しは入っているが、この時期の蜜が一番だね。毎年大量に集まるんで余らせてしまってね。10年寝かせるとこうなるよ」
そう言って飴色の板を短冊に切って出してくれました。あたくしも一欠片口にしてみると濃厚な甘さの蜜の塊、少しくどいくらいでしょうか。
「もっと薄くして紅茶に浮かべると美味しいと思います」
「薄くってこのくらい?」
あたくしの声にアリスさまがつい反応してしまったようです。手の中で1/3くらいの厚さに蜜板が伸びていきます。
「もう少し薄くてもいいかもしれません。紅茶を淹れてまいります。少々お待ちを」
あたくしがくるりとトラクを振り返ります。
「おい、それ、どうやったんだ?」
「あー、やっちゃったねー。アリスの魔法ーだよー。気にすると大変な目に遭うよー」
「なっ!魔法?……そうか?……しかし……」
騒がしいことでございます。今日の紅茶もうまく淹れられたと思いますのに。
「お待たせしました。ポットに淹れてきましたので先程のと、もう少し薄いものを入れて混ぜてみてください」
4杯分を注いだところへアリスさまが蜜の板を1枚づつ入れてくれます。
「おお、薄いのはサッと溶けるな。お茶に入れるとくどさは消えるんだが、なかなか溶けなくてな」
「お茶は生き物ですから、わずかな時間で味が落ちます。この板をナイフで薄く剥がすことはできないのですか?」
「すぐに割れてしまうよ」
「うんと薄いナイフだとどうかな?こんなのとか」
アリスさまがポケットから出すように見せて、即興のナイフを取り出しました。柄は滑り留めがついた鉄製です。刃は10セロ。4セロほどの幅ですが見るからに薄い。蜜板は薄い飴の板にザラっとした粒が挟まったような構造をしています。
アリスさまはそこにナイフを滑らせていきました。ザラメ粒が刃を前後に動かすごとに切れていきます。そのまま最後まで切って切り口を見ると粒が綺麗な断面を見せて並んでいました。
3セロくらいでポキンと折って紅茶に入れると、いくらもかからずに溶けてしまいました。
ミットさまがサッと手を出しゴクリと飲み、満足そうな顔をされました。猫舌のミットさまは、紅茶が少し冷めていると見て狙っておられたようです。でも冷めたお茶にも溶けるの早いのですね。薄い飴状の部分が溶けにくいのかも知れません。
「この蜜と板、売ってもらっていいですか?」
「買ってくださるんですか?それはありがたい。蜜は1キルの壺で1200シル、板は30セロ角のが1枚1000シルで売ってます。どうでしょうか?」
「蜜はそんなものかな?板はずいぶん安いですね。さっきみたいにサッと溶けるなら、卸値で倍でも売れますよ?」
「薄くできないんだから仕方ないですよ」
「このナイフを売りましょうか?」
「いいんですか?相当高名な職人の作品でしょう?」
ミットさまが肩をプルプルさせ、何か耐えているご様子、アリスさまも心配されているよう……いいえ、あの目は違いますね。
「うーん。そうでも無いんですよ。まだトラクにたくさんあるんで3本でも5本でも置いて行きますよ?」
「では5本お願いできますか?板を10枚出しますので」
「うえっ。いや、困ったなー」
「そうですよね。蜜壺も5つ付けます。それでなんとかお願いします。この通りです!」
「ぷぷぷー。あはは、あーっはっはー。
おっちゃん、アリスが困ってるよー。多すぎるってー。板5枚でいーんじゃないー?あとはお金で買うから。どのくらいあるのー?」
「蜜壺も板も50以上はありますが……他の家にもあるのでどれだけあるかは聞いてみないと……」
「そーだなー。シロルー。いくつ買うー?」
「あたくしにお聞きになるんですか?5つずつあれば1年くらいは楽しめるかと」
「さっすがシロルー。それで行こー。
おっちゃん、蜜はいーけど、板は2枚に下ろして3000シルにしなー。アリスとミットが決めたって言えばそれで通るはずだよー。それだけの値打ちはあるしー。耳を先に落として3つに切れば、あのナイフなら2枚下ろしにできるよー」
「はあ、本当にそれでよろしいので?
では板5枚と壺を5つ用意します」
「あたしもナイフ5本と6000シル持って来るね」
アリスさまがお持ちになったナイフの刃は長さが18セロあり、柄に模様の入った鞘付きでした。
6000シル持って来られたのですが、トルネさまにお金は受け取れないと言われて板を2枚追加されていました。
この集落はトンネルができる前は近くの山道を越えて外へ出ていたらしいのです。この先にもう少し大きな村があって、魚の干物や干し肉なんかを蜜と交換で手に入れていたそうです。畑は土は肥えていて大概の作物は育つというお話でした。
ずいぶんと条件の良い場所なのですね。
でも蜂が居るそうです。蜜を集めるコバチではなく、体長20セロもあるオオカミバチ。コバチや他の虫を襲って食べるそうです。ネズミを食べたという噂もあるということでした。
一つの巣に多くて10匹、ナワバリは1ケラルくらい。巣はこの辺りに50では利かないということです。刺されるとひどく腫れて1日寝込むほどだそうですけど、めったに死ぬことはないそうです。
「面白そー。アリスー、網作ってよー。捕まえてみよーよ」
「20セロのおっきい蜂かー。網もおっきくしないとダメだね。柄はどうする?長いのが良いかなー?」
「そーだねー、輪っかは60セロくらいかなー。柄は2メルちょっとでー。シロルも行くー?」
「はい、ぜひご一緒させて下さい」
「おー、乗り気だねー」
「網は丈夫な方がいいね。噛み切られるかも知れない。
じゃあ3本ね。こんなものかな?」
「よーし、行っくぞー」
虫はサーモにしてもあんまり見えないんですよ。大暴れすれば体温が上がるらしいのだけれど。あら、あそこがちょっと赤いですね。
「あそこって、なんか居る?」
アリスさまがミットさまに聞いています。
「おー、アリスー、一発だねー。ブンブンやってるよー、なんか襲ってるー。行ってみよー」
熱源については先程から気になってはおりましたが、あれが蜂でございますか。おや、人の形と合致する部分が見えますね。
「アリスさま、大変です、子供ですわ」
そばへ行くと8匹ほどがうつ伏せに寝た子供の上を飛び回っていました。アリスさまは網をミットさまに渡し針を3本飛ばします。2本は避けられましたが1匹に当たりました。続けてもう3本投げます。緊急性が高いと見てのご判断でしょう。
蜂はこちらへ猛然と襲いかかってきました。ミットさまから網を受け取り叩き伏せるように1匹捕らえています。ミットさまが右前方へ飛んでアリスさまとの距離を空け水平に網を振っています。あたくしもそれに倣って左へ距離を取り、網で8の字を横書きにしました。
「あれ、もう終わり?」
「上!」
ミットさまの声にアリスさまが左へ避け、真っ直ぐに落ちて来る蜂を手刀で叩き伏せました。すると胴のくびれがパツンと千切れて、蜂が飛び散ってしまいました。
「ふう。なんで急降下して来るやつを上から叩いて胴が千切れるのかっての。あいっ変わらずアリスは分っかんないねー」
「アリスさま、子供を!」
あたくしの声に駆け寄って傷を見ています。服を捲って子供の肩に右手を当てました。刺されたのは1ヶ所のようで腫れ始めています。あたくしが腰に下げた容器からジェルを出すとその体勢のままで解毒に調整されます。手を離したところをあたくしが子供の肩にジェルを塗り込みました。
その間にミットさまが暴れる蜂を網を重ねて押さえつけています。
「これどーする?」
「落とした蜂と一緒に持って帰ろうよ。シロルは子供をお願いね」
アリスさまが落とした2匹の蜂を袋に入れてみんなで戻りました。
「おっちゃーん。この子、知ってるー?」
「どうしたんですか?おや?その子はミケルです。何が……刺されていますね。子供だと危ないかも知れません。とにかくここへ寝かせて下さい。1日は寝たままです。無事に起きてくれると良いのですが。
親御さんを呼んできます」
バタバタとトルネさまが外へ出て行きました。
いくらも経たないうちに女の人を連れて戻ってきました。
「ミケル!まあ、なんてことでしょう。この子はどこにいたんですか?」
アリスさまが説明なさいます。
「すぐ近くですよ。こっちの方へ600メルくらいのところです。8匹がブンブン舞っていました。刺されたのは左肩です。一応解毒はしたんですが……」
「ううーん、あれ……あたし……?」
「ミケル!あなた大丈夫なの?」
「……お母さん……あたし、蜂に刺された……」
「気がついたのなら心配要らないと思うが、今日一日は寝かせておいた方がいいな」
「ええ、そうします。助けていただいてありがとうございました」
子供が無事引き取られたので、外へ出て相談になりました。
「むー。虫除けがあると良いかもね」
「そうだねー。大ムカデは集めたんだっけ。嫌がる音とかー?それにしてもおっきい蜂だねー。こいつでやってみよーか?」
「一応、候補はマノさんが知ってるんだ。嫌がる音行くよー」
わたくしはアリスさまのそばで備えましょう。
「わわわ、すっごい暴れるー。一匹放すよー」
ものすごい勢いで逃げて行きましたね。
「良いみたいね。何が良いかな、デンキを使うから灯りと一緒にしようか?」
ポケットから一つ出して中の構成を組み直しています。あたくしも[さん]ですからご命令があるか、緊急時でしたら同じことができますが、ロックの解除に多少かかってしまいます。
「耳をすぼめると1メニの間鳴るってことでいーかなー?」
人には聞こえないので鳴りっぱなしも困りますものね。長時間浴びていると頭痛になる方もいると記録にあります。
「おっちゃーん、虫除けがあるけど買うかーい?」
「なんだい?虫除けって」
「これねー、灯りなんだけどー、こうやると光るのは知ってるー?」
「ああ、ビクソン商会から買いましたから、ここにも30ほどありますよ。幾つか点かないのもありますけど」
「それ、また点くようにしてあげるよ。あ、そーじゃなくって、この耳をキュッとやると1メニのあいだ虫が逃げていくんだよ。蜂の巣は近くにある?」
「ああ、こっちに行けばあるよ」
巣のそばまで行って使ってみると巣から蜂が大急ぎで飛んで逃げて行きました。
「強すぎるかー。やたら使うと蜂さんに迷惑だね、これー」
「まだ網に5匹残ってたからあれで調節してみるよ」
音量を1/8に下げると蜂が迷惑そうに逃げるようなので、それで作ることになり20個置いていくことにしました。それで蜜の板が3枚増えてしまいましたが、板は腐らないようなので良いでしょう。
「帰りにまた寄るねー」
目の前に空いたトンネルは下り坂です。やはり10メニ以上もかかって抜けた先には橋が架かっていました。トルネールイの昔の交易相手の村は橋を渡った右手ですね。山も切り立っていますしこの谷も深いので、ずいぶん険しい交易路だったのですね。
ハールネンという村だそうですが、先へ行きます。
途中、昼食休憩をしました。
小さな集落を3つほど過ぎて最初の道路班に行き当たります。
こちらが来ることは分かっていたようで、擦り付けの斜路が既に付いていました。邪魔をしてもいけないので先へ進みます。二人が手を振って送ってくれました。
そこからはしばらく荒れ地になります。森と池を迂回して2ハワーほど揺られて広いところがあったのでトラクを止めました。
翌朝早くから警報が鳴り響きます。30メニ前からオオカミらしい群れが近づいているのは見ていましたが、朝食を作る手を止め運転席へ向かいます。クロとミケはオオカミの接近に合わせて警戒態勢に入っていますので、こんなに近くへ来るとは思いませんでした。12頭の大きな群れです。道路班のためにも駆除しておきましょう。
アリスさまとミットさまが目を擦りながら前へ来ました。衣服と武器を付けておられるところは、流石というべきでしょう。
「オオカミの群れです。12頭いました。駆除がよろしいかと思います。クロミケは配置についています」
「「あいよー」」
あたくしも二人に続いて外へ出ます。数を恃んでトラクの右から回り込むのが4頭います。正面の6頭は陽動のつもりでしょうか?
クロミケが車体の後ろにいるので、後の2頭は前へ回っています。
右の4頭が射程に入ったので戦闘開始です。右舷の針が16基発射されました。続いて前から2頭、こちらも8基の針の餌食となりました。
残る正面は後方の2頭がクロミケの投石を躱せずに混乱したところへ、アリスさまとミットさまが斬り込みます。ミットさまの剣は1頭捉えました。アリスさまが針で2頭沈めます。
残る1頭はあたくしの投石で怯んだところをミットさまが仕留めました。
トラクは過剰戦力ですね。
クロミケが獲物を集めて毛皮を回収する間にこちらは朝食です。汚れを洗い、ミット様は着替えが必要ですね。
2ハワーほど揺られて2班目に追いつきました。きれいな道路は10メニほどで終わりです。オオカミ12頭の群れの話をすると驚いていました。




