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85話 聖女は死ぬために選ばれる。

ソフィアの話です

 

 早朝。

 まだ陽も登っていない空の下を、巫女服に身を纏った少女が歩いていた。ソフィアだ。一人でだ。


 その足取りに迷いはない。後悔もない。

 全身にうっすらと聖の気が纏わられており、自分のなすべくことをなすべく、目的地へと向かっていく。


 そして今回の目的地、『ゼルシードの街』のそばの崖に辿り着く頃には、空が微かに白くなっていた。

 夜が去り、朝がくるのだ。次に夜が来る頃には、全てが終わっているはずだ。


 今からソフィアは、瘴気の原因となっているこの崖の底の瘴気を払う事になる。それが聖女としてのお役目だ。


「……そのためにも、まずはこの崖を降りないといけません」


 ソフィアは一人、崖の上に立ち、底を見下ろす。

 ……しかし、底が見えない。深すぎる。


 周りを見回してみる。

 瘴気が蔓延している地。空気が淀んで、黒くなっている。

 地面も黒い。腐った草木が地に伏せている。周囲にはおびただしい数の瘴気の魔物の気配。


 幸いだったのは、微かに足場にできそうな場所を見つけることができたことだ。崖の岩肌の細い道。あそこから降りれば、底へと向かえるはずだ。


 ソフィアは迷いなくその足場へと向かい、崖を降り始める。


 その間も、ずっと周囲にいる魔物たちの唸り声が聞こえてくる。瘴気の魔物だ。ここまでくる最中にも、何度も相対した。ここは瘴気の魔物の縄張りになっているのだ。そして、今もだ。


『『『グルルルルルルルルルルルルルルルル』』』


 瘴気で変色した近くの崖の岩肌から、伸びるように、黒い獣のような魔物の群れが発生した。


 名前は無い。瘴気が集まって生まれているため、正確には生き物ですらない。


 それが、ソフィア目掛けて飛びかかってくる。真っ白い彼女を、どす黒く飲み込もうと。


「『ホーリーステラ』」


 ソフィアは唱えた。その瞬間、ソフィアの手に、杖が生まれた。

 蒼と白でできた聖なる杖『蒼白聖杖』。

 蒼龍の加護を受けしソフィアが授かった祓いの武器である。


 それを、ソフィアは崖の岩肌にいる敵に向ける。


 ただ、それだけだった。


 青と銀の光が発生し、ソフィアに飛びかかっていた魔物が、消滅するように弾けた。

 カケラも残らずだ。


 瘴気の魔物に対して聖女は無敵。

 それ故に聖女なのだ。瘴気は聖女の前では無に等しいものだ。


 だからソフィアはあくまでも冷静に、それでいて速やかに、行手を阻む瘴気の排除を行なった。


 しかし、油断できないのもまた事実である。


「あれは……普通の魔物……」


 ソフィアは気配を消して、崖の岩肌に身を隠した。

 遠くを見れば、獰猛な魔物が岩肌を登っている姿がある。


 元はこの地に住んでいた魔物だったのだろう。それがここらに蔓延している瘴気の影響を半分ほど受けており、どう見ても普通ではない。しかし、あの魔物は瘴気に完全に染まっているわけでもない。


 そういうのは、厄介な存在である。

 三分の一ほど瘴気に染まっているのであれば、ソフィアは聖なるその力で軽々と退けることができるのだが、しかし、それ以下となると、難しい。普通の魔物に対しては、ソフィアも人並みに苦戦する。元々の魔力が多く、魔法も数多く習得しているのだが、今はできるだけ魔力も体力も温存しておきたいというのもある。これから先、何が起こるのか分からないのだから。


 だから、こうして可能な際には崖に身を隠してやり過ごす。


 瘴気に犯された澱んだ地の中を、時に力を使い、時に息を潜めて、一人、歩いていく。


「……怖い」


 この時ばかりは、ソフィアも恐怖を感じた。


 一人で、こんな場所にいるのだ。

 足元も心許ない、濁った地だ。

 一歩足を踏み外してしまえば、崖の下に真っ逆さまだ。


 瘴気で視界も悪くなっている。

 怖い……。心細い……。


 でも……。


(こんな気持ちを感じたのはいつ以来でしょう……)


 ソフィアはふと、そんなことを思った。


 あれはもう数年前……聖女として自分の役目をこなすようになる前は、よくこんな気持ちになっていたように思う。


 まだ、貴族時代のことだ。

 ソフィアは貴族の生まれだったのだ。


 決して、楽しい日々とは言えなかった。

 姉がいて、妹がいて、親は初めて授かった子である姉と、最後に授かった子である妹にばかり構っていた。男児には恵まれなかったため、三姉妹だ。


 その中でソフィアは、親や姉妹の顔色ばかり伺いながら育ってきた。どうすれば望まれるのか、どんな反応を求めているのか。

 だから、人の顔色を伺うのは得意なことだった。何かあった時も、微笑んで自分の気持ちをそっと閉じ込めた。


 そしてある日、妹と自分の二人が聖女に選ばれた。

 今の時代は、歴史を遡っても、聖女に選ばれるものが多数いるのだが、これは奇跡的なことで、ありがたいことであり、家のためになることだった。


 しかし……妹はそれを嫌がった。


『私は絶対に嫌。だって聖女になって死ぬなんて、ごめんだもの』


 聖女というのは、世間では尊いものだと思われているのだが、文献を読めば分かる人には分かる。最後はどうなるかと。


 死ぬのだ。

 人々のために、死ぬのだ。


 瘴気がひどい場所へと向かい、その身と引き換えに、完全に瘴気を滅ぼすのだ。聖女というのは、犠牲になって死ぬために、存在するものなのだ。


『こうなったら、しょうがないわ……。ソフィアにやってもらいましょうか。ソフィアは優秀だもの』


『ソフィア、これはありがたいことなのです。ソフィアなら分かってくれるはずだね』


 ……それが初めて家族に優しくしてもらった瞬間だった。


 母と父。

 今までで一度も向けられたことのない家族の視線で、『聖女になってくれるよね?』と言われた。


 そして、ソフィアは聖女になった。妹の分までだから、二人分の働きをしなければいけなかった。


 そして瞬く間に、この時代で、一番の力を持った聖女だと言われるようになった。


 人々に崇められた。尊敬だってされた。


 そして、最後には死ぬことになる。


 人々のために死ねるのは、大変、ありがたいことなのだ。



「…………」


 ソフィアは昔のことを思い出して、苦笑いをした。


「あ……」


 その時、ソフィアの胸元で、一つのペンダントが揺れた。


 紅紫色のペンダントだ。


「これは、テオ様の……」


『お守りのペンダント』。

 テオの加護が付与されており、これを身につけているだけで、その恩恵を受けることができる。

 数日前に、屋敷に滞在してくれたテオがソフィアにくれたものだった。


 ……たった数日の日々だけど、楽しかった。最後にいい思い出を作ることができた。


「……っ」


 ソフィアはそのペンダントを、握りしめた。


 そして、意識をこの場に集中させ、視界に入っていた魔物がいなくなるのを待つと、崖の下へと歩き出した。



 下へ、下へ。

 瘴気の発生源となっている場所へ。


 途中、崖が途切れており、近くには恐らく下に通じていると思わしき洞窟があった。


 ソフィアはその中を潜る。


 下に行く度に徐々に数が増していく瘴気の魔物を払いながら、歩き続けていく。



 ……その時だった。



 近くの壁が崩れ、そこから一匹の魔物が出現した。


『ガアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』


 瘴気の魔物ではない魔物だ。

 獰猛な牙と鱗を持つ、恐ろしい爬虫類のような魔物。サンドリングヴェノム。


 その魔物が口を大きく開き、息を吸い込むと、ソフィアに向かって容赦無く灼熱のブレスを浴びせるのだった。


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