80話 北の地にて
一体どれくらい走っただろうか、ただ北を目指し、スグルは途中、煮沸もしていない川の水を飲み、民家の食べ物を盗み、それでもなんの感情を感じず、ただ、走った。
適当に走ったからだろうか、その細い街道は所々に小さな村があるだけでスグルはリトリア王国の最北端、北の蛮族の領域との境にたどり着いた。
リトリア軍の国境警備兵の駐屯する兵舎が目の前に現れたのだ。
「これは、巨人殿とお見受けするが、今は国境沿いでベルデ軍を迎え撃っているのではなかったのですか?」
ここの責任者であろうか、こんな僻地で働く方が性に合っていそうな野性味のあふれる軍服をまとった将官であった。
「例の北の蛮族で交渉している方にお会いするために参りました」
今は王族であるチャールズが北の蛮族と交渉中であるが、それは極秘事項であるので実際にそれを知っているのは政権でも中枢の人のみである。スグルは国境の責任者には流石に話がいっているだろうと踏んでそう言った。
心はズタズタなのに不思議と今のスグルは頭が回った。
「そうですか、今すぐ国境を開きましょう」
将官はただ、それのみ答えると、部下に命じて農場の柵みたいに雑な作りのした門を開くとスグルに通るように促した。
「御健闘を」
「はい」
スグルはそう答えるとこんどはゆっくりと北の蛮族の地まで歩き始めた。
北の蛮族の領域である北の地はただ、荒れた山道が続いており、過去リトリア、ベルデ両王国に破れた彼らが逃げるには絶好の地に感じた。
ただ、それは逃げ込んだ彼らにとってもきつい環境であり、いくら優れた技術を持とうとも今後両王国から過去の領土を取り返すことは不可能に近くなるということでもある。
「キツイな」
先程国境を超えるまではずっと走っていたのにいざ歩き始めるとここ数日の疲れがスグルを襲った。
スグルは山道の先を見上げ、すこし広がった場所に見当をつけると、そこで今夜は足を休めることにした。
もう、心も体も限界だった。
荒れた山地であっても不思議と水が湧き出る場所はあるようで、少し歩き回ると、岩の裂け目から水が流れ出ているのをスグルは見つけた。
スグルは懸命に舌を伸ばしながら、その岩肌を流れる僅かな水を必死に体に取り込んだ。
北の蛮族の領域であるこの山地は過酷だった。
「ああ、ここで死ぬのも悪くないかもしれない」
スグルがそうひとりごちたときだった。
1キロほど先だろうか小さな光が見えることにスグルは気がついた。
「行ってみるか」
あたりは日も落ちて真っ暗であったが、谷からおちて死ねるならそれもそれでいいと思いながら、スグルはその光を頼りに山道を再び歩き始めた。
「わッ!?」
その光を放っていたのは山道の終着点にある櫓型の門の上で警備を行う青年がともしていたランタンの光だった。
スグルはぬっとその青年の目の前に現れると、もういいかと思うと、チャールズの名前をだして言った。
「ここに滞在しているはずのチャールズ皇太子に取り次いでもらいたい」
「はっ、そこで待っていてください。上司に確認して参ります」
スグルは返事も聞かずにただ、青年の横で光るランタンを眺めていた。
10分ほどたった頃だろうか、聞き覚えのある声がスグルの名前を呼んだ。
「スグル、君はルルの騎士ではなかったのかい? 騎士が主人のそばを離れるとは」
「チャールズ様、どうやら色々理由があるようです」
チャールズの軽口に諌めるような声をかけるのは門の上でチャールズとならんで立つリリーであった。
スグルの瞳を真剣な眼差しで覗き込んでいる。
チャールズもそれにならうようにスグルの蒼白な顔をみてなにか察したのか、ただ、事務連絡のように告げた。
「ここの族長が君に会いたがっている、集落を進んで目の前にある一番大きな建物だ」
スグルは小さくうなずくと、ゆっくりと開いた門に吸い込まれるように歩き始めた。




