58話 リリー・ハルトマン侯爵
南東戦線での勝利を収め、ピレネーに帰還しているルル一行は途中、ハルトマン領に向かった。
それは、ヴィルヘルムからの見舞金とハルトマン伯爵の戦死にともなう王政からの様々をルルが代理で届けに行くことになったからであった。
「リリーってハルトマン伯爵の一人娘だから家督を継ぐのってリリーになるんだよね?」
「ええ、そうなるわね」
スグルの質問にルルはそうとだけ答える。
「にしても、引き継ぎなんかを済ませてないからしばらくハルトマン領は大変だと思うよ」
そのギルの言葉はハルトマン領に入って実感をもつことになる。
「ようこそおいでになりました。ルル様。私はエーリッヒと申します。当主は現在、領主業務の引き継ぎにつき屋敷から離れられないため私がお屋敷まで案内いたします」
そう言って領地の入り口で待っていたのはおそらく領の財政などを担当しているのだろうか、ピレネーのマルクが年を取ればこうなるのだろうかといった白髪の似合うおじさんであった。
「ヴィルヘルム公から依頼されて代理で来ました。よろしくおねがいするわ」
スグルが、以前シットとやってきたときと変わらず屋敷はやはり、見栄を張って借金までして建てただけあって立派なものだった。以前は夜中に見たのでわからなかった屋敷の細かいところも、明るい時間に見ると、木材の局面も一箇所一箇所きれいに磨かれていて、非常に丁寧な作りなのがわかった。
そうして、案内に従って、スグルは中庭に、そして、その中庭を大きなガラス扉を開ければ一望できる応接間でルル達はリリーを待った。
そうして、ちょうど出されたお茶が少し冷め始めた頃、奥の扉から少しやつれた風のリリーがやってきた。
そこには、いつもの清楚ながら少しいたずらっ気があるリリーの良さがなくて、王宮で踊った時の笑顔の面影もなくてスグルは言いようもない切ない気持ちになった。
「リリー、お父様のおかげで、私とスグルは今、生きていられるの」
ルルが真剣な声音で言うと、リリーは初めて肩の荷が降りたという感じに優しい声になると。
「戦争ですもの、命を失うこともありましょう。でも、お父様が意味のある死を迎えたと知って私は安心いたしましたわ。もう少し、父の最期を詳しく知りたいわ。皆、下がってください」
リリーは人払いをすると、ルルとハルトマン伯爵について話し始めた。
「しばらくは、このハルトマン領の安定のために働かなくてはなりません、その際はぜひルル様にも協力をお願いしたいのです」
話を一段落すると、リリーはそうルルに切り出した。
「ええ、もちろん協力させていただきますわ。まず、ピレネーの農産品を一年間無償で提供しますわ」
「そんな、そこまでしてくださらなくても……」
「ハルトマン伯爵は私のことを娘の友だちと言ってくれたわ。貴族社会で友達と呼べる仲がどれだけ貴重なものなのか……友達として協力させてちょうだい」
リリーは言葉を発さずに、ただ目尻に涙を浮かべてうなずきながら了承した。
ハルトマン家はこの活躍によって伯爵家から侯爵家へと格上げになった。また、ハルトマン領に面した王族直轄領から農耕に向いた土地を得ることになった。これによってリトリア貴族社会でもハルトマン家の存在は大きいものになった。
ルル一行はハルトマン屋敷で一泊することになり、スグルは藁束の上でゴロゴロしていた。
すると、耳元に気配を感じてスグルはそちらを見た。
「私が当主になるのなんてもっと先だと思っていましたわ」
「リリー」
「漠然と、将来は婿をとってこの地を盛り上げていこうと思っていたのに、こんなに早いなんて思いませんでした」
その表情は王宮で踊ったときのまだ令嬢でいた頃とは違い、今は当主としての表情になり始めていた。
「リリー、僕が手伝えることがあったら手伝うから、なんでも言ってね」
「じゃあ、ハルトマン家に婿に来てほしいと言ったら来てくれるかしら?」
「それは……」
「冗談ですよ、私がスグル様を婿に迎えたいっていたのは本当ですが、スグル様には心に決めた方がいるんですものね」
「うん」
「もし、振られたりしたらいつでもスグル様を婿として迎える準備はしておきますわ」
リリーのいたずらっ気のあるその言葉にスグルは冗談風に答える。
「それも冗談ですね」
スグルがそう言うと、リリーはスグルの顔を覗き込むと言った。
「あら? これは本気ですわ」
スグルがリリーの真剣な声を聞いてピタリと全身を硬直させると、
「では、おやすみなさいスグル様」
真意の程はあきらかにせず、リリーは屋敷へと戻っていくのであった。
大変おまたせしました。




