54話 奇跡の光
スグルは容赦なく突き刺さるその光線に脇腹が焼かれる痛みにひたすら耐えた。
しかし、いくら巨人といえども小さな穴が無数に開けばそこから流失する血の量は馬鹿にならないし、痛みに気を失えば待ち受けるのは暗くてそこの見えぬ谷底である。
スグルは自分が斃れる時はすなわち渡りきっていない老兵たちの死と自分の死を意味する、そのことを考え必死に失神しそうになるのを堪えた。
「スグル殿、いざとなったら私が生き返りの呪文をとなえるゆえ、持ちこたえるのじゃ」
ハルトマン伯爵はそう言ってスグルの肩の上でひたすらスグルを鼓舞し続けていた。
しかし、ハルトマン伯爵には秘密があった。
彼には使える生き返りの呪文など残ってはいなかったのだ。
「母と娘、どちらを助けますか?」
それは60を前にして初めての跡取り娘を得たハルトマン伯爵に投げかけられた言葉であった。
「それも、あなたの生き返りの呪文を使ってですが……」
降りしきる雨の中、予想外の早産で医者が言った言葉、30年以上連れ添ってきた妻と待ち望んていた自分の子供とを天秤にかける行為。
ハルトマン伯爵が思わずなんの言葉も返せないでいると、それまで弱々しい鼓動で目も開かなかったハルトマン伯爵夫人の口元が動いた。
「フリッツ、あなた、子供がほしいって口癖みたいに言ってたじゃない、お願いこの子を助けてあげて」
普段、ハルトマン伯爵と呼ばれるこの男の名前であるフリッツ、そう呼んでくれるのは彼の妻だけであった。
「じゃが、じゃが! それじゃお前が……助からぬではないかッ」
ハルトマン伯爵はそう叫びになりきらぬ声を上げると妻の頬を撫でた。
「私は十分生きましたよ、50年、農民だったら長生きな方じゃないですか、私達の娘のこれからの数十年を考えれば自ずとどちらを助けるべきかはわかりますね、愛してますよ、いつまでも。フリッツ」
そうしてハルトマン伯爵は30秒後には、伯爵夫人のお腹に手を当てると、生き返りの呪文を唱えた。
それは天国に向かう伯爵夫人を天使が祝福の光をもって送っているような様であった。
「大丈夫、僕は死なないよ」
スグルはそう言いながら笑みになり切らぬただ口角をあげただけの表情を浮かべる。
そんなスグルの表情を見てると、ハルトマン伯爵は嘘をついているのがどうしようもなく罪なことに感じてしまい、叫ぶように言った。
「すまぬ、スグル殿! 私が生き返りの呪文を使えるといったのは嘘なんじゃ! もし、そなたが耐えきれんくなったら私はそなたを助けることはできぬ! もう良い! 助けられんかったみんなもきっと許してくれる! もう撤退しよう!」
ハルトマン伯爵は60を超えているとは思えぬほどの取り乱し様でそう言った。
そんなハルトマン伯爵にスグルはゆっくり首を振る。
「正直、もう痛みを感じないんだ、ただ、みんなを助けなきゃって義務感で意識を保ってるって感じなんだ、きっともう数分前に言われてたら僕も撤退したかもしれない、でも今はそんな義務感がなきゃ僕の意識は保てない気がするんだ。だから僕はここを動かないよ」
「すまぬ、私も行くところまで共するゆえ」
ハルトマン伯爵はこのまだ20にもなってない青年の勇気にかすかに嗚咽を漏らしながらそう言った。
「もうすぐ撤退完了じゃ!」
ハルトマン伯爵はそう言うと油の入った瓶を数本前方に投げつけると松明を投げた。
するとすぐに前方は火の海になり敵も簡単には近づけなくなる。
「ごめん、ハルトマンさん、もう僕だめかもしれない」
スグルはそう言うと左腕をだらんと谷底に向けて垂らした。
「もう、撤退は完了じゃ、ほら、体を支えて一緒に撤退しよう」
ハルトマン伯爵にもうすうすわかっていた。
スグルの瞳は光を失いかけ、今はこの体勢で耐えるのに精一杯だということに。
「神よ、この勇気ある青年を助けてくだされ!」
ハルトマン伯爵がそう叫んだとき、
赤髪の少女が目を真っ赤に腫らしながら、今まさに命尽きかけようとするスグルの背中に手を当てると、神秘的な光をあたりに放ちながら朗々と呪文を紡ぎ始めた。
「これで、巨人を打ち取れる」
ベルデ軍指揮官ジルベールはそう言いながら余裕の笑みを浮かべる。
「あの手練の老兵どもは逃したが、巨人兵を殺れれば問題はない」
そう言って、ジルベール自身も光線銃を構え巨人を狙うと、巨人の背中から神秘的としか言いようの無い光が放たれ始めた。
「あれは、生き返りの呪文!」
王侯貴族であってもそうそう使えぬ呪文、もしやここで使える人間などいないと思っていたジルベールにとってその神秘的な光は悪夢そのものであった。
ジルベールは呪文を唱え始めた赤髪の少女を睨みつけると、光線銃を構え、少女を狙う。
「死ね!」
ルルに光線銃が向けられているのに気づいたのはハルトマン伯爵だけであった。
しかし、光線銃から身を守る術などない、ハルトマン伯爵は体をルルの前に投げ出すと、光の槍に撃ち抜かれた。
「私達の娘のこれからの数十年を考えれば自ずとどちらを助けるべきかわかる、貴女はそう言った。彼女は私の娘ではないが、娘の友達じゃ、お前のところに行くのを許してくれるね? ファンティーヌ」
ハルトマン伯爵は天国の自分の妻に語りかけるようにそう言うと、そこの見えぬ谷底へ落ちていった。
しかし、光線銃はそれでもなお進み、ルルの右腕をも奪ったのであった。
ルルは呪文を唱え終わると、右手を失い、血を多く失ったようで気を失った。
スグルは覚醒すると、背中のルルが老兵たちによって連れ出されると、撤退していった。
おまたせしました。




