53話 スグルの覚悟
30分ほど谷の縁で待機していると、残って敵を引き止めていた老兵部隊が見えてきた。
「スグル、みんなが戻ってきたわ!」
老兵部隊は盾で防御しながらゆっくりと後退していた。
「僕は、今からみんなが渡れるように橋になるからルルは初めに渡ってきた人と合流してまとめて」
「分かったわ、無理しないでね」
スグルは筋肉痛を感じる腹筋を一撫ですると、再び巨人の橋となった。
「あれは、スグル殿か!」
ハルトマン伯爵は作戦で狼煙が上がったら撤退できると聞いていたが本当に撤退の術が残っているとは信じていなかった。しかもよく目を凝らしてみれば、実質この別働隊の司令官とも言えるルル・アルデンヌまでいるのである。
「みんな、退路はあるぞ! 生き残って孫の姿でも拝むぞ!」
自分たちは見捨てられていなかった。この現実が疲労と戦闘の傷で満身創痍だった老兵部隊の士気を盛り上げたのであった。
「ルル様、ここからはワシらがお守りするので先に撤退を始めやしょう」
別働隊3000人のうち、500人ほどからなる老人部隊、足止めの戦闘で人数を大きく減らしたといえどもまだ数百人はいる。初期にスグルの上を渡り終わった老兵達はすぐにルルを取り囲むと撤退を始めようとする。
「でも、まだみんなが……」
「ルル様、撤退が進めば敵も当然近寄ってくることになります、すれば弓矢が届くかもしれませぬし、万が一防御を突破されるかもしれませぬ、ルル様がここに残り、皆に顔を見せてくれた。これはワシら老兵に希望を与えてくれた。しかし、ルル様の仕事はそこまでじゃ、どうか撤退してくだされ」
ルルがその言葉に周りの老兵を見ると、みんな一様に一緒に撤退しようと訴えた。
「分かったわ、私が先導して撤退するわ、渡り終わった人からついてくるように」
そうして、ルルは先程本隊が通過していった道を進み始めた。
ベルデ軍司令官ジルベールは遠くに見える巨人を見て高笑いをする。
「先の戦争ではクリストファー将軍を打ち取り、戦闘に出てくればこちらの損害は絶大、ここで奴の息の根を止めてやる」
ジルベールは拳を握りしめるとそばにいた副官を呼んだ。
「今まで温存した例の武器を持ってこい、今が使い時だ」
使用するのに魔力が必要なので貴族以上でしか使えぬ武器、それでいて何度も使えるものではない。
されど今までの戦争の常識を根本から変えるような武器……。
「巨人、今日をお前の命日にしてやる」
「スグル殿、あと、150人も渡れば撤退は完了じゃ、最後には油を撒いて火を点ける、そしたら我らも撤退じゃ、そろそろ敵の距離が近くなってきたから弓矢には気をつけてくだされ」
ハルトマン伯爵はスグルの肩の上、ちょうどスグル橋の入り口でそう話しかける。
「弓なんて僕には効かないよ~」
スグルが冗談っぽくそう言って、ハルトマンもそうじゃと笑いかけたとき、谷の下を見ているスグル視界ですら微かに光を感じるほどの光をその場のみなが感じた。
「あれ、なんか脇腹が痛いや」
そういってスグルが視線を自分の脇腹に向けるとそこには小さくも確かに小さな穴が空いていて、血が流れていた。
「これは例の新兵器じゃ! スグル殿、もう諦めてるんだ、逃げるぞ!」
ハルトマンは焦った口調でそう言った。
「痛いけど、大丈夫。みんなを見捨てられないよ、僕にはみんなを助ける力があるんだから」
その言葉にハルトマンは言っても無駄だと悟ると。
「走れ! 落ちるとか気にするな!」
その言葉の迫力とスグルの覚悟に老兵たちは谷に落ちる恐怖を振り切ると全速力でスグルの上を駆け抜けた。
「お主! 伝令用に残してある馬に乗って治療の準備をしておくようにルル様に伝えるのじゃ、伝えたら馬を乗りつぶしてでも砦にたどり着き、ありったけの治療薬を用意しておくように伝えろ!」
「了解です!」
老兵のなかでも比較的若いその兵士は馬に飛び乗るとそのまま駆けていった。
「命中しました!」
ふむ、さすがの巨人にもこれは効くようだな。ジルベールはあごひげをいじりながらそう言う。
「容赦せず撃ちまくれ! 巨人を谷の底にたたきつけてやれ!」
先行しているといえども疲労困憊の老兵部隊の進行速度は遅く、伝令はすぐにルルのもとに追いついた。
「けが人多数のため治療の用意をするようにとのことです。私は先行して砦に行き、伝令を行ってまいります。ルル様、スグル殿の捨て身でみんなを守るという姿勢には感服いたしました」
伝令はそう言うと駆け始めた。ルルは伝令の言葉に顔を蒼白にすると。
「捨て身って……どういうこと! 今すぐ私は戻るわ!」
ルルが馬上で暴れると、相乗りしていた歴戦の老兵は言う。
「なりませぬ、落ち着いてくだされ!」
ルルは数分間馬上で暴れ続けた。
「お花を摘みに行きたいわ」
落ち着きを取り戻したルルはそう言って森を指差した。
「我慢できそうもないです?」
「ええ、少し行ってくるから影で見張っててくれる?」
老兵はやれやれと首をふると、この小さな女の子なら逃げ出してもすぐに抑えることができると思い、馬から下ろす。
「ここで待ってます、終わりましたら声をかけてください」
ルルはそう言われると森の中へ入っていった。
「よし、馬は繋いでないわ」
どうやら老兵は少しお転婆貴族をなめすぎていたようだ。
ルルは男顔負けの俊足でもって馬まで駆け抜けると、唖然とする老兵をおいて馬に駆け乗り、来た道を駆け戻った。




