連休明けの災難1
「もうなんか、あきたなぁ」
大きな芝生の広場に寝っ転がりながら、空に向かってつぶやく。
夢の大学生活。入学して間もないころはすごく楽しかった。
毎日のようにイベントが目白押し。サークルの勧誘も珍しくてあっちこっち見学に行った。
講義はいきなり難しかったけど、大講堂に整然と並ぶ大階段みたいな机の最後列に座って、そこから豆粒みたいな大きさの教授をただ見下ろしているだけで、自分は大学生なんだという自覚が湧いてくる。
そう。大学生は高校生でも浪人生でもない。それだけでテンションが上がったもんだ。
最初の一か月は。
「またさぼっちまったなー。ま、いいか。あの授業は出欠取らないし」
一目見て誰でもわかるふさふさのカツラをつけた教授を思い出して、ちょっと笑ってしまう。
なんでも、なんとかって学会の中ではすごい権威らしい。
でもあれ、本人はバレないと思ってるんだろうか。
そのカツラ教授の講義内容はもう忘れた。初回から呪文みたいな講義で、ありゃ誰もついていけやしない。
講義だけじゃなく、テストも超難解らしいとのことだった。俺のそばに座ってた集団がひそひそと話してたっけ。
でも、この講義は必須科目で、この単位を取らないと進級できない。
すごく勉強しなきゃいけないのかと思ったら、なんのことはない。全13回の講義のうちで一回だけ行われる出欠確認の時に出席してれば、ほぼ無条件で単位が取れるんだそうだ。
俺はその裏情報をくれたひそひそ話集団に感謝した。
というわけで、俺はその講義に出るのをやめて、代わりに芝生での昼寝の時間に充てることにしている。
出欠確認は大丈夫かって?それも抜かりはないさ。
ひそひそ話集団が提供するデータによると、出欠確認は過去10年間、決まって最終講義の時に行われている。
つまり、俺は最終講義に素知らぬふりをして出席してればいいってわけだ。
「今日も、いい天気だな……」
まぶたが重くなる。
~~
腹が減ったので食堂に向かう。途中、例のひそひそ話集団とすれ違った。
「今年はイレギュラーだったな。教授も、まさかこの時期に確認なんてさ」
ひそひそ話集団はあいかわらずひそひそと話している。
……この時期に確認?
「ちょ、ちょっとさ!」
嫌な予感がして、俺はとっさにその集団に話しかけてしまった。
怪訝な顔をして振り向く連中たち。
男2人、女3人の5人グループだ。どういうグループなんだ?いや、そんなことよりも。
「確認がどうの、って話が今聞こえたんだけど。まさか、あのカツラ……」
そこまで言うと、女の子の1人がにやっと笑って。
「君も犠牲者か。今年は犠牲者多いみたいよ」
血の気がサーっと引いていく。
「じゃ、じゃあ、もう出欠確認したんだ……あのカツラ……」
「うん。連休明けでしょ?出席者が最初の半分以下まで減っちゃって、カツラ教授が激怒したのよ。『今年は特にひどい』って。それで急きょ、出欠確認を今日取ることになって」
すると、俺は入学一か月にして留年確定……いやいや待て。まだ希望はある。
「いくらなんでも、学年の半分以上を留年させるわけにはいかないだろ……」
「『……などと、思わないように。私は怠惰なものには容赦しない』だとさ。教授が言ってたぞ」
ピチピチのTシャツを着たマッチョの男が俺に言う。
「同情するよ。でも、しょうがないね。教授と話してみたら?」
いつも最前列で講義を聞いてそうな、いかにも真面目そうな色白の男が俺を慰める。
俺を心底憐れんでいるようだ。
「あはははっ! アタシらみたいに教室でおしゃべりでもしてりゃよかったのに!」
声とテンションは高く背はやたら低い女の子が俺を指さして笑う。
なんかムカつくけど、もとはと言えば俺の油断のせいだ。
いや、俺のように油断して脱落したヤツが大量にいるんだ。俺だけが悲劇の主人公じゃない。
「やべえ……やべえよ……」
2浪してやっと引っ掛かったこの大学で、こんなにも早々と留年なんてしたら、親が何というか……。がっくりとうなだれて、俺は途方に暮れてしまった。
「でも、まだチャンスはあるわよ」
うつむいて地面を見つめている俺の眼前に、すらりとしたきれいな手が差し出される。
見上げると、そこにはものすごく透き通った眼をした美少女が立っていた。
長髪がキラキラと光ってすごくきれいだ。何でこんな子がひそひそ話集団の中にいるんだ?
「ちょっとこっちに来て」
美少女はいきなり俺の手を取った。
「……!?」
ほんとに突然だった。俺は状況を把握できず、引っ張られるままにその美少女の後を付いていく。
彼女から発せられるいい匂いのせいか、逆らうことができない。
「おひとり様ごあんなーい」
後ろでピチTマッチョが愉快そうに言う。いったい何なんだ?
~~
「ここよ」
「ここって、学生会館?」
「そう。最上階よ」
階段を上っていく俺と美少女。手はつないだままだ。
はたから見れば非常においしい状況。
でも、俺は単位を落とした絶望感と現シチュエーションの異様さから、そんな甘い考えを持つことができない。
「着いた。入って」
美少女がドアの前で立ち止まる。ドアには小さな札が貼ってある。なになに……。
「異世界文化研究会」
……これ、怪しいやつだろ。
無垢な新入生の弱みに付け込んで、強引に勧誘するっていう……。
「あ、あの俺、そういうの興味ないんで、その……」
「大丈夫。みんな最初は不安なのよ。でも、そういうものだから」
美少女が俺をなだめるように穏やかな口調で言う。
でもこの子、俺が逃げられないように来た道をふさいでるぞ。
やられた。俺は大学の恐ろしさを知った。
話には聞いてたけど、まさか自分がこんな状況に陥るとは。
「あ、あのほんとに……ごめんっ!!」
ここでひるんだら大学生活が本当に終わる。
俺は美少女を突き飛ばす覚悟をして、彼女の方に突進していった。
その時。
ガチャリとドアが開き、俺の目の前に立ちはだかった。
俺はドアに激突し、ものすごい勢いで弾き飛ばされた。
「迷える若者が、また一人……」
意識が遠のいていく俺に、誰かが語り掛ける……。
~~
芝生に寝ている。さわやかな風がほほを撫で、新緑のにおいが鼻をくすぐる。
「……ああ、ひどい夢だ……」
留年が確定し、しかも怪しいサークルに入れられそうになった。
こんな悪夢があるか。
夢であることが分かり、目を閉じたまま、心底安堵する。
「腹減ったなあ。食堂でも行くか」
「食堂がこの近くにあるのですか?」
「えっ!?」
いきなり誰かが俺の独り言に答えたので、無茶苦茶ビックリして目を開ける。
「……き、君……」
そこにはさっきの美少女がいた。俺の顔を覗き込んでいる。
まてよ、この状況……。
俺、この子にひざ枕してもらってるのか?
「ちょ、ま!」
さっきのは夢じゃなかったのか!
俺は怪しいサークルに加入させられたのか?
慌てて身を起こして逃げようと……する……と。
「な……なんだ……ここ……」
何もない。食堂はおろか、大学の建物も何一つない。
だだっ広い、地平線の向こうまで続く草原のど真ん中。
そこに俺は、美少女と二人っきりでたたずんでいた。
……ああ、やっぱりまだ、夢の中なのか。
美少女は外国のビアガーデンのウエイトレスみたいな胸元の見えるフリフリ服を着ている。
変な夢だ。でも、そんなに悪い夢じゃない。
「さあ、参りましょう、賢者様。大魔導士、ペリュッカを倒すために」
美少女はにっこりと笑って言った。