村上秀 1
俺こと、村上秀には好きな人がいる。それは同じクラスの山川志穂さんだ。
「そっか。傘持ってきてるんだ……」
そんな山川さんが、俺の目の前でなんだか落ち込んでいる。
なんだろ? ああ、もしかして傘を忘れたのだろうか。その瞬間、電光石火のごとく、思い出される記憶。
それは数日前に読んだ恋愛小説、そのワンシーン。仲の良い二人が相合傘をするシーン。
傘を忘れた山川さん。傘を持ってきている俺。これはもう、相合傘に誘うしかないのでは?
相合傘。一つの傘の下。ぬれないように肩を寄せ合い。おのずと密着する体。
結果、相手との距離感を、ことさら意識してしまうであろう魔の空間ができあがる。なんと魅惑的なシチュエーション。
好感度が高くなければ、できない。……なればこそ、山川さんの俺への好感度を測る絶好の機会!
恋愛ゲームのように、好感度が目に見えたらと、いつも悩んでいた。
それを解消できる唯一の機会。これを逃す手はない。幸い山川さんと俺の家はかなり近い。
つまり帰る方向も一緒ということ。「傘を忘れたなら、一緒に帰らない」と、自然に相合傘に誘うことができる。
しかし……、もしも、もしもだ! 断られたらどうしよう。なにせ、俺と山川さんの関係なんて、ただのクラスメイトというだけ。
そんな相手に相合傘に誘われても、山川さんは困るのではないか? やっぱりダメかな。
いや、本を貸し借りする仲だし。一応友達といっても大丈夫かな? 友達なら相合傘に誘っても……。
でも本の貸し借りのとき以外には、話なんてしないし。
今だって、二人きりなのに、ほぼ無言で作業しているだけ。友達ならもう少し話すのでは? 本当は本の貸し借りだって……。
普段、山川さんのことを考えると、必ず浮かぶ嫌な考えがこんなときにも、わいて出てくる。
半ば、無理矢理押しつけるような形で、本を貸したことから続いているこの関係。山川さん、本当は迷惑しているんじゃないだろうか。
いや、それならば山川さんからも、本を貸してくれるのはおかしい。やはり、迷惑には思っていないのか?
少なくとも俺のこと、嫌ってはいないはずだ。
だが、相合傘に誘えるほどの関係かと、聞かれれば疑問は残る。いや、あんまり深く考えることはやめよう。
家は同じ方向、傘がなくて困っているクラスメイトを助けるため、相合傘に誘う。何も問題はないじゃないか!
そう他意はない。……わけではないが問題ない。でもやっぱり断られるかも。いや、俺ってけっこうモテるようになったし、大丈夫さ。自信を持て。
とはいってもな、俺なんて元は根暗でぼっちな奴だったし……。
いや、何を弱気になっている俺! あれほど頑張った日々を思い出すんだ。脳裏に浮かぶは、中学三年の終わり頃から、高校までの日々。
山川さんに振り向いてもらうため、必死にファッションを勉強し、自己啓発本を何冊も読んだ。
自室で壁に向かって、うまく話せるように練習したり、鏡に向かって笑顔の練習だってしたじゃないか。
あの、辛くて……。いや別に辛くはなかったが。
強いて辛い思い出をあげるとすれば、一人自室で話す練習をしたり、鏡の前で試行錯誤する俺を見た、家族の視線。
特に妹の視線が痛かったことぐらいだ。
ともかく、そんな必死の努力を経て、俺は高校デビューに成功し、クラスの人気者にまで上り詰めたんじゃないか。
果ては女子に二回も告白されている。つまり俺はいけている男子になったのだ!
そう、中学までの根暗でぼっちの俺からは、完全に卒業したのだ。今なら、山川さんだって、きっと振り向いてくれる。
さあ、いけ俺。山川さんを相合傘に誘うのだ!
……くっ、やっぱりダメだ。勇気が出ない。そもそも、ここで相合傘に誘えるぐらいなら、もっと山川さんと親しくなれていたさ。
元ぼっちを、なめてもらっては困る。いくら、見た目や性格を直したところで、肝心の心はそう変わらない。
中学校生活三年間で、友達が十人もできなかった俺が……。
山川さんを好きになってから、二年間ずっと遠くから見ているだけしかできなかった俺が……。
多少の自信がついたぐらいで、積極的に動けると思うなよ!
今でも女子と会話するのには、わりと神経を使うのに。まして、好きな子にアプローチをかけるなんて……。
初めて山川さんに話しかけるのだって、すごく勇気が必要だったのに。
なんとかきっかけをつくるために、本を貸そうと言ったのだって、何回シミュレーションをしたことか。
それでも、内心断られたらと思うと、びくびくしていたのだぞ。というか、実際にやんわりと断られたし。
いやでも! それでもあきらめずに、押し付けるように本を貸したおかげで、今の関係があるじゃないか!
そうだよ、あのとき、振り絞ったなけなしの勇気を思い出せ!
でもなー、結局あのあとが続かずに、本の貸し借りのときに、少し感想を言い合うだけの関係。
そんな単なる読書仲間みたいな関係から、前進してないわけで……。
いや、ネガティブになるな! その関係だって、もうすぐ終わるかもしれないのだ。
そう、二年に進級すると、本の貸し借りもしなくなる可能性がある。
だって、なんとなくやめると言い出せなくて続いてる。そんな感じがあるもん。
きっと、いい節目だからと、二年になったら貸し借りやめちゃうよ。そうなる前に、何か別のつながりを持ちたい!
アドレスとか教えてほしい! もっと親しくなりたい!
だから、アプローチをかけるにしても、山川さんの俺への好感度を知っておくことは、重要事項。
知っているのと知っていないのでは、アプローチに雲泥の差が生まれるはずだからな。
なればこそ! やはり相合傘に誘うしかない。そうと決まれば勢いで行くしかない。
最初に話しかけたときも、勢いで乗り切ったのだから。覚悟を決めて一気に。気持ちが揺らぐ前に、アクセル全開で突っ走る!
よし! まずは練習した話し方を思い出せ。まずは「傘を忘れたの?」とさりげなく話しかけ……。
段取りと台詞を考える。あとは、台本を読むように一気に! それでいて、さりげなく。優しい感じで、他意なく。行くぞ!
「もしかして山川さん、傘忘れたの?」
ここで、一泊呼吸を入れて。
「そっ、それなら。一緒に帰る? 家、同じ方向だよね。俺の傘に入れてあげるよ」
よし、言えた。若干、詰まったけど無事に言えたぞ。さあ、返答は如何に! えーっと……。
ずいぶん長く、考えている様子の山川さん。やっぱりダメだった? どうしよ、断られたら俺。もう生きていけな……くはないけど。
ショックで一週間は学校休むかもしれない。




