逆説その2 静かな闖入者
文芸部に入部してから、かれこれ2週間。目の回るような忙しい日々が続いていた。講演活動だけじゃなく恋愛相談を再開したため、ひっきりなしにお悩み相談が寄せられている。
――新しい出会いを求めているが、どの部活動がいいのか。
――意中の相手に、どうやって記名を求めていいのか分からない。
――誓約したのに相手が浮気しているみたいだから、早く別れたい。
そんなの俺に答えられるわけがないだろ……とはいえ、それでも弱音は吐けないお約束。俺は素子と一緒に、祭門部部長に相談しつつ、どうにか仕事をこなしていた。
(ゆっくりできる範囲で続けてください。それは本来、生徒会の業務なのですから)
部長は微笑みながら、俺たちを労ってくれた。定期的にお茶菓子までだしてくれる。
ああ、祭門部部長、祭門部部長、まじでいい人だよ。
「なるほど。それは大変ですね」
俺と素子が、いつものように文芸部に入ると、深刻そうな声が聞こえてきた。
「あ、お客さん――」「――だね」
おでこに絆創膏のある女子がソファにいる。部長と話し込んでいるようだった。
「よいタイミングでいらしてくれました」
俺たちに気づいた部長は手招きする。
「こちらは米家初夏さん。2年花組の生徒さんで、女子ラクロス部の部長をされています。品近さんも素子さんも、講演会で会ったことがありますよね」
部長は、近寄ってきた俺たちに来客の紹介をする。
もちろん覚えている。部長に対応していた女子だ。ポニーテルがきらきらしていて、白い歯がまぶしくて、そしてユニフォームのスパッツが――
「――品近」
素子が肘で小突いてきた。痛いな。どうして妄想を邪魔するんだよ。
「こんにちは。米家です」
彼女はソファから立ちあがり、お辞儀をしてきた。
あのかわいらしい雰囲気はそのままだが、どこか表情が暗い。
「この2人は新入部員なのですが、同席してもいいでしょうか?」
「はい。大丈夫です」
米家先輩は、再度、頭をさげる。
部長を挟むように、俺と素子はソファに座った。
「お2人には、これを見てもらいたいのですが」
部長は、テーブル全体に散らばっている紙片を示した。これ、どっかで見たことあるような……。
「これって誓約書です?」
俺の引っかかっていたことを、素子が口にする。
そうだ。これは誓約書じゃないか。どうしてこんなにたくさんあるんだ?
「はい。ただし偽造されたものですが」
「「偽造?」」
一緒に驚いた俺と素子は、全体を眺める。
どの誓約書も名前がある。男子の名前はばらばらで、女子の名前には『米家初夏』とあった。
「米家さんを騙る何者かが、記名ずみの誓約書をばら撒いているのです」
部長の説明に、テーブルのうえを悲しそうに見つめる米家先輩。
「男子生徒の下駄箱に入れられるそうです。米家さんからのプロポーズだと勘違いし、自分の名前を記名して生徒会に提出する。本人確認のために米家さんが呼びだされ、誰もが臍を噛む、ということです」
「……なるほど」「酷いですね!」
「対応を強いられる生徒会としては堪ったものではない。そこで文芸部に調査依頼があったのです。今日は事情をうかがうために米家さんにご足労いただきました」
米家先輩は無言のまま頷く。
「米家さん、気分を害さないでいただきたいのですが」
部長はわずかに身を乗りだした。
「誰かから恨みを買うようなことはありましたか?」
「……ない、と思います」
「たとえば交際を申し込んできた相手を振ったりだとか」
「……そういうことは、ありませんでした」
「お友だちとの喧嘩や、部員内でのトラブルはどうでしょうか?」
「……分かりません」
「ゆっくり考えてみてください。どんな些細なことでもいいのです」
「…………」
ついに米家先輩は返事をしなくなった。部長は眉をハの字にする。
「ごめんなさい。悪気はないのです。ただ、こういった嫌がらせの原因のほとんどは、人間関係のこじれにあるので、つい、このような聞きかたをしてしまったのです。どうかご容赦ください」
「……いえ、大丈夫です」
米家先輩は首を振る。
「ぶちょー、いいです?」
重たい雰囲気の中、素子が明るい声で言った。全部にせものなんですよね、と。それに部長は、ええ、と答える。
「誓約書って、ハンコをぺったんしてたじゃないですか。それって、にせものだと真似できないんじゃないです?」
「本物の誓約書を入手すること自体難しくはありません。生徒会室に行けば、いくらでももらえますから。ただ、生徒会の目を欺くことのできた理由として」
部長は、テーブルの偽造誓約書を一列に並べる。
「直筆サインの偽造が巧妙だったのです」
見ればそのどれも同じ筆跡だった。
ただ似ているだけじゃない。わずかに違っていて同じ人物が書いたように見える。右肩あがりの独特の丸文字。
「さきほど米家さんの文字を確認しましたが、本当にそっくりでした」
「はえー」
素子は目をぱちくりさせている。俺も声にはださないが驚いていた。
「私、怖くて……、このまま話が大きくなっちゃうんじゃないかって……」
米家先輩の声はか細い。
「知らない男の人が、すごい怒ってきたし……、ラクロスにも集中できないし……」
つぶらな瞳は涙をたたえている。
部長はハンカチを差しだし、素子は彼女の手を握った。
「ご安心ください」
すると部長は、さも簡単だといった口ぶりで言った。
「この事件は、文芸部の名にかけて解決します。続きはまたということで、今日はこれまでにしましょう。今後ともよろしくお願いします」
「は、はい」
すくりと立ちあがった部長につられて、米家先輩はソファから離れる。
「追って連絡いたします。大船に乗ったつもりでいてください」
部長が手を差しだすと、彼女は握手で応じ、力なく微笑んだ。