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恋する規則のパラドックス  作者: じんたね
22/26

 4・5 自然ルーリング

 俺が屋上への扉を開けると、そこには別世界が広がっていた。


 足元からは木目調の遊歩道がなだらかに続き、ベンチが数個並んでいる。安全用フェンスからは景色を一望できる。ベンチ脇には間接照明が備えつけられており、沈む夕焼けとともに周囲を非現実的な空間へと染めあげていた。ベンチには男女が座っていて、肩を寄せ合っている。


 ――ここもか。


 さすがに今さら驚かないが、いかにも花園学園らしい設備にため息がでてくる。


 遊歩道に誘われるように歩いていくと、その先のベンチに久利会長が座っていた。



「隣が空いているぞ」



 会長は言った。ちょうど2人分のスペース。俺はおずおずと座る。



「いい景色だろう? 花園学園うちの自慢だ」

「そうですね」


 会長は肩に腕を回してくる。お互いの肩がくっつくと、彼女の甘い香りが漂ってきた。


「ここはそういう場所だ。よそよそしくすれば、かえって目立つ」

「……分かりました」


 会長は、にぃ、と口を三日月形にした。


「君は恋色エクリチュールをあんなものと称していたが、本当にそう思っているのか?」

「少し言いすぎたかもしれません」

「ここに生徒会の人間はいない。本音を隠しても無益ではないかな?」


 会長は俺の顔を覗き込んでくる。


 前かがみとなった会長の襟元から、大きな胸を覆う下着が見えた。俺は慌てて視線をらす。


「正直が一番いい」

 してやったりとご満悦の会長。「で、なぜそう思うのだ?」


「……自然な恋愛感情じゃないからです」

「はは。恋愛感情が自然、か」


 会長は肩を揺らす。


「おかしい、ですか?」


 俺は少しだけむっとした。


「すまない。気分を害さないでくれ。私と正反対の考えだったものでな」


 それでも会長の肩の揺れは収まらない。

 スリット入りスカートや緩い襟元から下着がこぼれても、気にせず笑っている。


「人間は本能の壊れた動物である――こんな言葉を聞いたことはないか?」


 だが会長は、ぴたり動きを止めた。


「いえ」

「朗報だ。説明のしがいがある」


 彼女は俺の瞳を捉える。

 その奥にある何かをわしづかみにされるような、そんな気持ちがした。


「人間には、動物として説明のつかないところがあるらしい。個体の維持や種の保存に無益なことをするからだ。たとえば、ダイエットと称してカロリーのない食事をする一方、ストレス解消のために過食に走る。他にも酒や煙草たばこなど、例を挙げれば切りがない」


「はあ」


 俺は、分かったような分からないような返事をした。


「もちろんこれは理屈にすぎない。そも本能などという言葉は、人間の不可解なところを分かったつもりにさせる苦し紛れの表現だからな」


 ただ、それでも面白いことに気づかせてくれる与太よた話だ、と会長は続ける。


「面白いこと、ですか?」


「もし本能が壊れているのなら、それをどうやって補っているのだろうか? 本能が壊れたまま放っておいたら死んでしまうではないか」


 さっきから会長の言いたいことがさっぱり分からない。

 本能が壊れることなんてなさそうだ。毎日、お腹は空くし、眠たくだってなる。

 俺がそんな困惑した顔だったのか、会長はにんまりする。


「規則だ。壊れた本能を補うために、人間は規則を発明したのだ」

「……規則」


 やっぱり分からないな。会長の話は難しい。


「たとえば常識と呼ばれるものがあるだろう? あれも規則の一種だ。人を殺すなかれ、姦淫かんいんするなかれ、盗みを働くなかれといった根本的なものから、女性は、恋愛・結婚・出産・子育てをするものだ、男性は自立して稼ぐべきである、きょうだいの不義は認めらない、といった一般的なものまで。全部、私たちに指示を与えている」


「……不義、ですか」

「怖い顔をするな。言葉のあやだ」


 俺が押し黙ると、会長は説明を再開する。


「常識によって自縄自縛じじょうじばくする動物は人間だけだ。他の生物に、そんなものはいらない。本能の声があるからな。だから人間は常識にしたがおうとする。逆らったりすれば痛い思いをするし、鵜呑うのみにすれば守られるからだ」


「……そうですね」


「もちろん常識にしたがえない人間だっている。そんな人間は普通・・の人間によって、諭され、教育され、脅され、暴力を加えられ、排除される。常識にしたがわないという選択肢は残されていない」


 久利会長は、組んでいた足を組みかえた。


「大昔からそうだ。いつの時代、どの地域にも、必ず常識がある。それに無関心を貫けた人間はいない。古い常識が新しくなることがあっても、常識それ自体はなくならない」


 会長は俺への視線を切って、景色へと移した。


「常識だけではないぞ。人間社会は規則であふれ返っている。法律や道徳、契約書や口約束、言語や数や論理、ボードゲームやスポーツ。どれもこれも、それにしたがう仲間を保護し、そうでないものを除外し、私たちの行動を決めている」


 すると会長は、胸元から生徒手帳を取りだした。

 片手で器用にページをめくり、とある条文を見せつけてくる。



1 花園学園の生徒は、恋に落ちなければならない。それが本学所属の条件である。



「見ろ。これはプリンターがつけたトナーの染みでしかない。だが生徒はこれにしたがっている。こんな奇妙なことをする動物が、他にいるだろうか?」


「…………」

 部長と米家さんの顔が浮かんでくる。


「生徒会の権力が生徒を動かしているのだという反論もあろうが、それは大事なところを理解していない。このトナーの染みによって権力を行使し、それに生徒は逆らわないということを、誰もが理解している。それこそが、そしてそれだけが核心なのだから」


 会長は、生徒手帳を閉じた。


「本能の壊れてしまった人間には、もう聞こえないのだ。したがうべき本能の命令がな。その不安や恐怖に耐えきれず、本能を捏造ねつぞうすることにした。それが規則だ」


「つまり会長が言いたいことは」

 俺は、これまでの話を、どうにかつなげようとする。


「恋愛感情は本能じゃなくて、自分たちで捏造した規則が生みだしたものだってことですか?」


 この規則の話。

 きっかけは、自然な恋愛感情があるのかどうか、にあった。


「さすが。文芸部のエースは切れるな」

「でも俺は、人に命令されて恋愛なんかしません」


「さっきも言ったはずだ。見ろと。みな進んで規則にしたがおうとする。記名を終えた生徒はどんな顔をしている? 自分は規則を守れたぞと得意満面ではないか。そのために恋愛をしたのだと言わんばかり。違うか?」


「違います。それは恋色エクリチュールがあるからじゃないですか」


 いびつな恋愛を要求する校則。

 意識しようがしまいが、誰だってそれに翻弄されているんだから。


「なら聞こう。恋色エクリチュールのないところは、自然な恋愛があふれているのだな? 常識など気にせず、思うままに惹かれ合っているのだな? まるで判で押したように、ある時期になると恋愛を始め、メディアで喧伝けんでんされたイメージどおりにイベントをこなし、適齢期という常識に引っ張られることはないのだ、と」


「……それは」


「花園学園には国の予算がおりている。恋色エクリチュールの誓約書システムが、それに値するからだ。この意味が分からないエースではあるまい」


 自然な恋愛感情を害しているのは恋色エクリチュールのはず。だから米家さんだって、あんなに悲しまなければならなかった。


 そう思っているはずなのに何も言い返せない。


「もし恋色エクリチュールが狂っているのだとしたら、それに入学直後から難なくしたがってしまっている私たちも、十分に狂っていることになるのではないかな?」


 会長の笑顔は、欠点の欠片かけらもない、きれいで自然なものだった。

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