逆説その4 フレーミングフレーム問題
米家さんの事件から1週間。
偽造誓約書について生徒会からのお咎めはなかった。少しの期間、自宅謹慎を命じられただけ。恋色エクリチュールには厳しいはずの生徒会だが、事件の解決で満足してくれたらしい。
そして今回の活躍が認められた俺と素子は、めでたく例外措置を受けられることになった。万歳。もう誓約書に怯えなくてもいいんだ。しかも、あの祭門部「様」のいる文芸部だからな。1年星組の見る目ががらりと変わったよ。
あと女子ラクロス部。何度か顔をだした。が、紅莉栖先輩に門前払いされるしかなかった。米家さんとはそれっきりになっている。
「品近さん、素子さん、朗報です」
文芸部のソファでくつろぐ俺たちに、講演会から返ってきた部長が駆けよってくる。新入部員を見つけてきたと。
「新入部員――」「――ですかあ?」
俺たちは背もたれに身体を預けたまま、だらけた返事をする。
あの事件が終わってから文芸部は平常運転が続いていた。恋愛相談と講演活動。すっかり仕事に慣れた俺たちは古株気分だ。
「ぶちょーにしては珍しいですね」
素子はぼりぼりとかりんとうを食べる。いつものように山盛り。
人のことは言えないけど、さすがに気の抜きすぎだろ。文芸部はお前ん家じゃねえぞ、人のことは言えないけど。
「実は、部室にいらしているのですよ」
横柄な俺たちにも笑顔の部長。部長の堪忍袋の緒はきっと長くて柔らかい。
「へえ、どこに――」「――ですかあ?」
俺と素子は室内を見回す。
本棚。
ソファ。
テーブル。
ノートパソコン。
あとは笑顔の祭門部部長。
見慣れた風景ばかりで新入部員はどこにもいない。部屋の外で待っているのだろうか。
「こちらですよ」
ソファに座った部長はテーブルのノートパソコンを指先でノックした。画面を開いて、俺たちに見せる。
「初めまして、私はパソ子なのですー」
休止状態から起動したパソコンの画面には、女の子のイラストがあった。
口を動かして音声を発している。ゆるきゃら同様に流行らなくなった萌えきゃらの造形。黒髪をサイドでまとめ、紅莉栖先輩くらいスカートは短い。太ももは大胆に露出しているのだが、平板な胸元はとても控えめだった。
「「はあ」」
……面倒そうなのが入ってきたな。俺と素子はため息をついた。
「自己紹介なのですー。私はこのパソコンにプログラミングされた人工知能なのですー。今日から入部したので、よろしくなのですー」
二次元アイコンの背後に、ぱんぱかぱーんと後光がさした。手の込んだことで。
「部長?」
俺は部長を見た。
はい、と返事をしながら微笑む姿がかわいらしい――ってそうじゃない。
「チャットなんかしなくても、ここに来てもらったらいいじゃないですか」
「チャットではありません。パソ子さんは、人工知能なのですか――」
「――部長」
「はい?」
「仕事が大変なら言ってくださいよ。俺と素子でスケジューリングくらいしますから。こんなジョークを言うために、わざわざパソコンをいじらなくたって」
「講演活動は大変ですが、これはジョークではありません。さきほども申しましたように――」
「――部長!」
「はい?」
「誰の話題がどこに飛ぶか分からない日常会話をさせるのに必要な容量が、たった1台のパソコンに収まるはずがないって気づきませんか?」
「科学技術の進歩は、私のような遅れた人間には想像もできません。きっとすでに新しい――」
「――部長……」
「はい?」
「せめてパソ子さんって名前だけでも、どうにかしてください」
「そのように本人が称しているのですから、受け入れるしかないと考えています」
「もしかして{自暴自棄|やけくそ}になってます?」
「もしかして品近さんは、パソ子さんに嫉妬されているのでしょうか」
もしかして返す言葉がない……?
文芸部の代名詞・祭門部楽羽。聡明かつ冷静沈着、寛容な性格に多大なるカリスマ性、そして男女の別すら超越した美貌を備えている。そんな部長がどうしてこんなことに……。
講演活動が忙しくておかしくなってしまったのか。
だとすれば俺たちのサポートが足りなかった、ということになる……。
「素子」
俺の隣で、表情を失っている素子に声をかける。
「うん」
素子は視線で応え、ゆっくり頷く。
「頑張ろう。部長のために」
「そだね。ぶちょーには早く元気になってもらいたいし――」
「――失礼なこと言わないのですー!」
まとまりかけた会話に、件のあれが邪魔をしてくる。
「私には人格があるですー! 祭門部様は正常なのですー!」
人工知能という設定は続けるらしい。
部長の苦労を思うとツッコミを入れる気になれない。
俺は人差し指を立て、画面を突いてみた。コミュニケーションをとるつもりはなかったんだ。ただ、この萎えた気持ちをどうにかしたくて。人差し指は、未知との遭遇ではお約束だし。
「タッチパネルと違うですー」
――ってことは。
俺の動きが見えているってことだ。パソ子の「向こう」からは。
「タッチパネルじゃねえのに、なんで突かれたって分かるんだよ」
「内蔵カメラですー」
美少女が上部を指す。パソコンのフレームには小さな穴。なるほど、これか。
「どういうつもりだ。部長はごまかせても、俺と素子はそうはいかないぞ」
「私はパソ子ですー。信じて欲しいですー」
俺が素子を見ると、素子も俺を見た。無言のまま一緒に頷く。
そして俺は手にしたかりんとうをその穴にねじ込み始めた。素子も後押ししてくる。
「ダメですー! 止めるですー! 壊れちゃうのですー!」
両手で止めて止めてをするパソ子さん。
無駄な抵抗だ。向こう側からじゃ手はだせないからな。
「2人とも落ち着いて」
ふにゅり。
柔らかいものに指先が包まれた。部長の手だ。いじめは犯罪ですよ、と。
えっ、俺たちがいじめっ子なのか? 部長を助けたかっただけなのに……。
「私の話を聞いてください」
部長は俺からかりんとうを奪う。
「早朝、私はいつものように電源を入れました。すると画面には見慣れないアイコンが表示されていたのです。好奇心のおもむくままにクリックすると、まばゆい光が部室を包み込み……、あら不思議、パソ子さんが誕生しました」
ぼりぼり。
奪われたかりんとうが部長の中に消えていく。
「もちろん私だって疑いました。一体、誰がこんないたずらをしたのかと。ですから、正体を暴くために会話を続けました。ですが彼女のことを知っていくにつれ、次第に猜疑心は失われ、それどころか彼女の愛おしい性格に心惹かれるようになってしまったのです。趣味は手芸、お菓子作り、プログラミング、そして弟をからかうこと。なんと家庭的でチャーミングなのでしょう。パソ子さんがいれば文芸部は華やいだ雰囲気になるに違いありません。そう思い、彼女の入部を認めたのです」
「なるほど、たしかに――って、いや違いますって!」
危なかった。
部長の話に、まんまと乗せられるところだった。長い話をまとめると、ただパソ子さんの中の人と話が合ったってだけじゃないか。
「と、冗談はさておきますが」
冗談かよっ!
心の中のツッコミを尻目に、部長はかりんとうを食べ続ける。もう半分も減っていた。
「パソ子さんは会話が理解できますし、しゃべるのも流暢です。口述筆記も可能で、セキュリティ関係も請け負ってくれるとのこと。正体はともかく、文芸部に貢献してくれるとは思いませんか?」
つまり利用できるものは利用しろってことですか。
危険な気がするけどパソ子だもんな。悪だくみにしては、手のうちを明かしすぎというか……。
「どうかお願いします、品近さん、素子さん」
部長は眉毛をハの字にした。そんな顔を部長にされては断われない。
「……わ、分かりました――」「――は、はいっす」
俺たちは本音を殺しながら返事をする。
「よかった。嬉しいです」
祈るように両手を合わせながら、満面の笑顔の部長。かりんとうを抱擁していたはずのお菓子入れは空になっていた。
部長の嬉しそうな顔を見れたのだからよしとするか。あと、かりんとうを買い足してこなきゃ。