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恋する規則のパラドックス  作者: じんたね
15/26

3・4 深層かいじょう

「偽造誓約書に共通点があったんです。男子は全員体育系の部活に所属して、しかも部長や副部長ばかり。そのうえ部室はどれも女子ラクロス部に近いところでした」


 喫茶店に雑談する声が漂ってくる。

 コーヒーやケーキの甘い香りも混じっていた。


「{酷|ひど}いな、そんな理由で疑うなんて」

「俺だって共通点がそれだけだったら笑います。ただの偶然じゃないかって」

「じゃあ、なんで――」「――偶然が1つだけじゃないからです」


 米家さんは冷めきった紅茶を飲んだ。

 カップから口を離し、どういうことなのと聞いてくる。


「部長は最初から疑っていたみたいです。直筆の偽造サインが、なぜあれほどの完成度なのかって。ただの嫌がらせにしては手が込んでいる。もしかしたら直筆でないといけない理由があったんじゃないか」

「……知らないよ、そんなこと」


 彼女の声には驚きと不快感が込められていた。


「覚えてますか? 俺と喫茶店に行ったときのこと。嫌がらせが怖くて1人になれないって話をしてくれましたよね」

「もちろん覚えてるけど……」

「実は、部長もそこにいたんです。素子と一緒にちょうど打ち合わせをしていて。たまたま俺たちの様子を見ていました」

「……ふうん」


 米家さんは紅茶カップに口をつけたまま、外のグラウンドを眺める。


「嫌がらせが怖くて1人でいられない。そう言った直後、米家さんは矛盾した行動をしました。俺を置いて『1人で』喫茶店をでていったんです」


 米家さんはびくっと反応した。そのまま紅茶を飲み干す。


「どうして米家さんは1人で帰ったのか。もしかしたら1人でも大丈夫だと知っていたのでは。だとしたら、なぜ知っているのか――そのとき、ある仮説を思いついたそうです。『自分が犯人』なら大丈夫に決まっている、と。直筆の偽造サイン。『そもそもが本物』だったとすれば辻褄が合う」


 スプーンに手を伸ばす米家さん。

 すでに砂糖やミルクを入れるべき紅茶はなくなっていた。


「あと、俺がマネージャーになった頃から嫌がらせが止まってます。俺が一緒に行動しているせいで偽造誓約書を撒けなかったとすれば、ここでも偶然が重なります」

「……紅莉栖が怪しいってのは、どうなったの」

「先輩は犯人じゃありません。米家さんと記名してくれって、俺にお願いをしてきました」

「え、紅莉栖が?」

「はい。米家さんに幸せになって欲しいって」

「…………」


 米家さんは黙り込んでしまった。

 俺はオレンジジュースのグラスを握り、手のひらの温度が奪われるのに任せていた。


「どうしてそんなことするの」


 手のひらから感覚がなくなった頃、ようやく米家さんが口を開いた。「だって意味ないじゃない」と。


「去年の全国大会、幕田まくだ植流えるという3年生が活躍したらしいですね」

 米家さんは息を呑んだ。そして口をきつく噤む。


「どんなポジションもこなせる規格外の選手で、花園学園の女子ラクロスを全国に知らしめた。そんな彼女が卒業してしまい、今年は全国大会出場すら危ぶまれている」


 空になったカップを見つめたまま米家さんは動かない。


「成績不振になれば例外措置はだめになる。そうなれば半年後には退学。ラクロスを続けることはできない。でも嫌がらせによる不振であれば続けられる。心の失調は、入学・転学・病欠等の事情に含まれますから」


 俺はグラスから手を離した。

 冷えきった部分に血液が流れ込んでくる。


「これ、俺に預けてください」

 そして、テーブルに置きっぱなしだった誓約書を指で押さえた。


「このサインと偽造のを比較させてください。鑑定すれば白黒がはっきりします」

 俺はそのまま『米家初夏』と書かれた誓約書を引き寄せる。


「いい、そんなのしなくて」

 だが、米家さんは俺の手首を握ってその動きを止めた。


「いいから。どうせ一致するよ。だって私が全部書いたんだし……」

「米家さん……」


 俺が力を抜いても、彼女は握ったままでいる。


「最初は冗談のつもりだった。名前を書いて配ったらどうなるかなって。部活動協議会で知ってる部長とか、適当に。面白かったんだ。みんなすぐ記名しちゃうから」


 彼女はその手に力を込めた。


「あとは祭門部さんの推理どおりだよ。嫌がらせを理由にすればいいって途中で気づいて。けど文芸部が調査するようになって、話がどんどん大きくなっていって、どうしようって……」

「……記名相手を探そうとは考えなかったんですか?」


 米家さんはゆっくり首を振った。

 私にはラクロスしかないから、とつぶやく。


「女子っぽいこと分からないし、思いつかなかった。私は恋愛じゃ勝負にすらならないから」

「そうですか……」


 喫茶店は静寂に包まれていた。

 客はいるし、店員もいる。ただ音だけがない。


「さっき社君、言ってたよね。恋に落ちるのは自然なことだって。だから校則はいらないんだって」

「はい……」

「私には分からない、かな……。自然に恋に落ちるって、どういう感情なのか……」


 米家さんの声がにじみだす。


「私が不自然だったからいけなかったの? それとも名前を書いてもらうことしか考えてないから?」

「……分かりません」

「何がだめだったの? 私、頑張るから、ちゃんと直すから。この事件のことだって反省しているし、責任だってとる」


 彼女は、俺の手首ごと誓約書を握る。


「だからお願い、社君……」


 そのまま俺の前までスライドさせてきた。

 目の前には、緊張で震えている彼女の手。そこに収められた記名ずみの誓約書。ここで書くことだってできる。部長はああ言っていたが、米家さんが責任をとって、あらためて俺が記名相手になることは変じゃない。けど。


「…………すみません、俺は……、書けません」


 俺は米家さんの手に、もう片方の手を乗せ、ゆっくりと誓約書を押し戻した。

 彼女からすすり泣く声が聞こえてくる。俺は怖くて顔をあげられない。ただじっと彼女の手を見つめるまま。


「校則なんてなければいいってことなの? でもそんなの無理だよ。会話の仕方もデートの仕方も分からなかったのに。誓約書がなかったら、私たち赤の他人のままだったんだよ。社君は大丈夫だから、マニュアルなんていらないからって、そんな言いかたするの、酷い……」

「……米家さん」


 

「社君なんか、好きになるんじゃなかった」

 思わず見上げた彼女の顔には、大粒の涙が流れていた。

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