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恋する規則のパラドックス  作者: じんたね
11/26

逆説その3 正直な嘘つき

「今日もありがとう」

 一緒に歩きながら米家よねやさんは言う。

 俺も楽しいと伝えると、彼女から白い歯がこぼれた。


 俺たちは花園学園のショッピングモールをぶらついている。それは敷地の最東端にあり、校舎の東にある喫茶店、そしてグラウンドをまたいだ場所に位置していた。5階建ての建物であり、校舎よりも背が高い。中央には吹き抜け部分やベンチがあり、多くの小売店舗が納まる。さすがに一般の商業施設にはかなわないが、学業に関係するものを中心に、それなりの品ぞろえを誇っている。


「そういえばやしろ君って、週末はどうしているの?」


 揺れるポニーテールが話しかけてくる。おでこの絆創膏ばんそうこうはいつもより明るい黄色だった。


「ぼーっとしたり、素子もとことメールしたり、ですかね」

「もったいないことしてると思うな」

「たしかに有効的な使いかたじゃないですね……」

「違う違う」


 米家さんは両目を細める。


「女子に声をかければってことだよ。だって社君はもてるんだから」

「だったらいいんですが」

「もう、またそうやってごまかす」


 米家さんはリスのように頬を膨らませる。ずっと一緒にいるが、こんなに楽しそうな米家さんは久しぶりだった。


 朝は、米家さんを自宅まで出迎え、学校まで移動する。

 昼は、時間とタイミングがあえば、昼食を一緒にとる。

 夕は、ラクロス部の活動にいそしみ、家まで送り届ける。

 今日は買い物に付き合って欲しいと言われ、ショッピングモールにでかけている。1人での買い物は怖いかもしれない。


「あ、社君」

 彼女は俺の腕をとると、ある店先まで引っ張った。部活を終えたばかりの二の腕が熱い。


「これかわいい!」

 笑顔につられて店先の商品を見る。


 手のひらサイズの黒い物体。四方八方にとげが伸びている。表面には切れ込みが入っており、そこから黄色いぶつぶつがあふれている。


「うわー、気持ち悪い」

 米家さんが握りしめると、うにっ、と黄色いつぶつぶが飛びでた。ゴムでできているらしい。タグには『うに』の二文字。……まんまだな。


「これ、よくない?」

 目を輝かせながら迫る米家さん。ところでこの『うに』、何に使うものなんだろうか。うにっ、として遊ぶのか?


「社君は好きじゃないかあ」

 米家さんはうにを商品棚に戻した。黄色いつぶつぶが引っ込む。俺はその姿にいちご大福と同様の哀愁を感じていた。


「えっと、次のステップは……」

 彼女から独り言がこぼれる。一生懸命暗記してきた何かを思いだそうとしているように見える。


 恋色エクリチュールのマニュアルにならえば、次にくるのは身体的接触。お買い物のシチュエーションでは、手を握ったり、腕を組んだりすることが推奨されていたはずだ。さっきまでの会話が言語的接触の1つである共感だとすれば。ただし順番としては記名が先のはずだけど……いや、こんなことを考えるのは止めよう。


「米家さん、シャーペンの芯を買いたいんで付き合ってくれませんか?」

 俺は彼女の手をとって思考を断ち切るための一歩を踏みだした。

「……うん」

 さっきまでのおしゃべりがうそのように米家さんは黙り込み、手を引かれるがまま俺についてきた。



「今日はありがとう。買い物に付き合ってくれて」

「全然。俺でよければいつでも」


 そうして1時間ほどのウィンドウショッピングが終了し、俺たちはモールの入口付近に戻ってきていた。俺はシャーペンの芯を購入し、米家さんはリストバンドを入手している。だからこれで買い物は終わり。

 なのに米家さんはその場を去ろうとしない。彼女が動くまで俺は待つことにした。


「実は、社君に話があって」

「あ、はい」

「私って、入学したときから無記名なんだよ、今まで」

「えっ」


 生徒会の指導を受けてから半年以上そのままではいられない。1、2週間くらいずれがあったとしても、2年生になることなんか不可能なはず。


「女子ラクロスってマイナーだから全国大会に出場しやすいの。1年生のとき、すごい強い先輩がいて成績を残せたから。それで部活への専念が認められたんだよ」

「そう、だったんですか」


 部長に講演があるように、米家さんにはラクロスがある。

 恋色エクリチュールの、別の役割を理解した気がした。恋に落ちなければならない。いくら校則で定められ、カリキュラムが組まれていても、恋に落ちない人は一定数いる。そんな生徒には恋愛以外で貢献させればいい。それが花園学園を支えることになる。


「けどね」

 米家さんの声が耳を冷たくなでた。


「今年は難しいの。その先輩が卒業しちゃって、全国大会への出場すら絶望的だから」

 彼女は淡々と語る。


 それだけに動かしがたい現実を突きつけられる。絶望的という言葉に一切の感情が込められていなかったのだから。


「ごめんね、暗い話をするつもりはなくて」

 すぐに米家さんの声に明るさが戻った。社君がどうするつもりかを聞きたかったのと続ける。


「だって社君も無記名だよね。入学したばっかりだし、誰かを記名している様子もないから」

「ええ、まあ……」

「相手に困っているんだったら、うちの部員がいいと思うよ。みんな喜ぶんじゃないかな」

「そう、だったらありがたいですね。ちょっと考えておきます……」

「嘘」


 米家さんの一言は、苛立いらだちを含んでいた。

 一瞬、何を言われたのか理解できない。温和な米家さんらしからぬ声色。


「誓約書に興味がない。ううん、恋色エクリチュールにも女の子にも、向き合うつもりがない」

「そ、そんなことはないですって……!」

「ずっと一緒だったから分かるの。社君から恋愛の話をすることなんてなかった。だよね?」

「…………」

「このままだと社君がいなくなっちゃう。そんな気がする」


 米家さんは、じっと俺を見つめていた。


「最初に会ったときにね、優しそうって思ったの。私が困っていたら記名してくれるんじゃないかって。でも違った。本当はもっともっと優しかった。私のわがままだって許してくれる。不安なときは一緒にいてくれる、から」


 心臓の鼓動が加速していく。どくどくと脈打つ音が、全身を包む。


「ここにいて。私の名前を使って……。私だって……、社君のこ………名したいから……」


 頭が真っ白になった。

 彼女のしゃべりかたのせいか、俺の心臓のせいか。とぎれとぎれにしか聞こえてこない。

 耳だけじゃない。目の前にいるはずの米家さんが、ぼやけて見えている。



「私、社君に記名して欲しい」

 ようやく理解できたのは、その一言だった。

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