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Sand Man

 水辺で笑う、少女はとても楽しげだ。

「せっかく夏なんだし楽しまなきゃ損だよ~!」

 そう言って、まる鏡のような水に足を付けて遊ぶ水の妖精のような天真爛漫な少女は見ていて飽きない。

「あっ、アクアスフィアだ! きれ~……。」

 おまけにまるで水の流れのようなかなすかな癖を持った髪の毛や深海の色を写したような深い蒼の瞳まで全てが美しくて魅了してくるから飽きられるはずなどない。

「ねぇねぇ、似合う?」

 夏場ともあって、女性は比較的露出の多い服を着る。男としては眼福な季節が始まったものだ。

「ねぇってば……ッ!」

 ふと、あまり強くない力で突き飛ばされる。特に踏ん張ってもいなかったせいでなされるがままに吹っ飛んで水に落ちた。

「あはははは、ずぶ濡れぇ~!」

 落とした本人は笑っている。

「まったく。男の服は乾きにくいんだぞ。なんてことしてくれる!?」

 あまりに楽しそうなもんだから怒るフリなら出来ても本気で怒ることができない。

「し~らない、話しかけても返事しないあなたが悪いんだからね?」

 あんまりに綺麗なものだから現実感を失ってしまうのだとそんなこと言える訳もなく。困ったフリをして見つめ返すことしかできない。

「あれ? アクアスフィア。それどうやって乗せてるんだ?」

 見つめ返したおかげで変わったことに気がつけた。アクアスフィア、別名水面の花。一般的に触ることができないことで有名な花だ。

「あ、やっと気づいた? 遅いよ~。で、どう? 似合ってる?」

 気づいたのがよっぽど嬉しいのか今度はそれを必死にアピールしてくる。

「あぁ、すごく似合ってるよ。君の引き立て役にはバッチリだ。」

 おかげでなんて綺麗なんだろう。大きな二つの目と、柔らかそうな髪に添えられた紫色の花。それらは全て青を基調とした色彩でまとまっておりながらもしっかりとメリハリのついた色合いだ。

「やったぁ!」

 素直に喜んで、素直にはしゃぎ回る。それは、彼女の魅力だ。妖精のような彼女だからこそ、それが可愛らしく見えるのだ。

「で、どうやってるの?それ。」

 魅了されたところで気になるものは気になるわけで、再度尋ねてみる。

「どうって、普通のマナホロだよ?」

 彼女は普通のと言っているがこれがとてつもなく難しいものなのだ。マナホロ、正式名称マナホログラムワーク。芸術系魔法技術の中でも難関技術に分類される魔法だ。原理はいたって単純、空中にマナを飛ばして光を反射させることでホログラムを作り出すのだが調節が難しく簡単に使えるものではない。

「相変わらずすごいことやってのけるなぁ。」

 思わず感嘆の声を漏らすと彼女は得意になって技を披露してくれる。

「コツさえつかめば簡単だよ。ほらこんなふうに。」

 披露されたのは水の中の世界。色とりどりの魚や、海藻が空中に描き出されて彼女はそこに飛行魔法を絡めてまるで泳いでるかのように飛び回る。

「すみません、あまり大規模にマナホロを使われるとほかのお客様が驚いてしまうのでもう少し抑えてくれますか?」

 あまりに展開しすぎたせいで近くの警備員が駆けつけてしまった。

「あ、ごめんなさい……。」

 彼女は素直なもので言われた途端に地面に降りてマナホロを解除する。

「いやぁ、すごかったんで勿体無いんですけどね。すみません一応仕事なもので。」

 警備員はそう残してにこやかな笑顔で戻っていった。

「褒められちゃったのかな?」

 彼女は気まずそうな笑顔でこっちを見てくる。

「どう考えてもあのおっさんの個人的な感情では褒めてるよ。」

 笑いながら答えると彼女の顔は一気に明るくなる。

「あははっ、褒められた! 褒められた!」

 彼女は歌うようにはしゃいでいる。本当に無邪気な子供のように。

「あまりはしゃいでると転ぶぞ。」

 あまりに喜ぶものだから、つい苦笑いをしながら注意をした。

「大丈夫、転んだら飛べばいいじゃん?」

 本当は空を飛ぶ魔法だって人間がやるには多少難しいんだ。だから今ではその多くを機械が代行している。でも、彼女にはそんなこと簡単にできてしまう。

「確かにそうだな。どうせなら家まで一緒に飛ばして運んでよ?」

 冗談めかして頼んでみる。

「空中遊泳法第15条。魔法の二人乗りはいけません!」

 実際はそんなやんわりした書き方ではないが彼女に言わせるならこれがいいか。

「そうだった。ダメだった。じゃあ君は飛んで帰るといい僕は歩くさ……。」

 今度は意地悪のつもりで言ってみる。

「やだ! 寂しいし! 退屈だもん!」

 空中遊泳を退屈とか言い出すのは彼女くらいのものだ。普通は難しくてそれどころじゃない。

「んじゃ、手をつないで帰る?」

 いつもやっているのに、いつだって喜んでくれる。少し恥ずかしくてかなり嬉しい。

「うん!」

 そう言いながら手を握ってくるから、握り返して歩き出す。

「帰ったら何食べよっか? あ、何か作る?」

 彼女の料理はすごく美味しいというわけではないが、美味しい部類には入るだろう。手伝っていないと塩と砂糖を間違えたりすることがあるのは愛嬌かな。

「何を作ってくれるのかな?」

 それでも下手ではないのだ、ただたまに間違えるだけ。

「秘密! えへへへへ~」

 でも、作る料理を隠されたら作れる気がしない。不安で仕方がない。たまには、不味くても食べるのもいいかも知れない。万が一彼女が間違えたならの話ではあるが。

「気になるなぁ、教えろよッコイツ!」

 どちらにせよ、大切な恋人が作ってくれる料理だ気にならなくては男が廃って腐り落ちる。そのおかげで少し足早になってしまった。

「ちょっと速いよ。もうちょっとゆっくり。」

 おかげで、少し大変な思いをさせてしまったかもしれない。僕と彼女は頭一つ分ほど背丈が違う、おかげで歩幅も違って歩く速さも違う。

「ごめんよ、よしじゃあキミをおいてくことがないようにこうだ!」

 そんなこと言いながら、バカみたいに彼女を抱き抱えて見る。今だけは馬鹿と言われても構わない、そう思えるほど幸せなんだ。

「うわっ!? わはははは! 高いよ、普段よりちょっとだけ高い!」

 こんなふうにはしゃぐんだから、周りには親子に見えてもおかしくないかも知れない。彼女の父親ならすごく美人な娘を持ててそれもそれで悪くないかもしれない。

「お姫様はもっと高いのがお好きかな?」

 彼女の意見も聞かず肩車に変える。

「うわ~、高い! いつもの倍くらい高い。」

 喜んでくれたようで、彼女はあたりを見回している。いつも僕より低い位置にある頭が今は僕より上にある。

「倍じゃないよ、1.5倍くらい。」

 どうせだから少しばかり遊んでみよう。少し抜けてて、でも頭自体は良くて。そんなところが可愛らしい彼女で。

「細かいこと気にしてるとハゲるよ? ハゲさすよ?」

 ものすごく物騒な言葉が聞こえる。

「僕がハゲてもそばにいてくれる?」

 だからもう少し意地悪をしてみよう。

「そばにいるけど、でもハゲてないほうがいい! ハゲさせない!!」

 ほんの少し拗ねたような声で返してくる。そんなに可愛らしいから意地悪をされるというのに、まったく飽きることなんてできそうにない。

 そんなくだらない話を続けていると、時間なんていうのは簡単に過ぎていく。昔の偉い魔法学基礎研究者が言っていた。重力が強くなるほど時間は早くなる。それなら幸せに重さがあるのなら少しロマンチックだ。さしずめ、僕にとってそれは彼女一人分の重さだろう。だから時間は倍の速さで過ぎていって家に着くまでの道のりなんてあっという間だ。もう家に着いた、楽しみは目と鼻の先だ。

「たっだいま~!」

 家の前で彼女は肩から降りると勢いよく扉を開け放つ。魔力認証も忘れずに。

 この家は彼女に対してだけ魔力認証が少し特殊だ。普通は手をかざすことによって認証プログラムが発動するのだが、彼女によって改造されて魔力で認証画面にハイタッチすることで鍵が開く。背が高ければ背伸びして直接触ればいいのだが、僕でも結構ギリギリで女性の身長ではまず届かない。さらに魔力でのハイタッチなど地味に難しいのだ。おかげで家に入るのに手間取らない女性は彼女だけだ。逆に彼女にとってはとても簡単に入れる。だからこうしているのだ。

「ただいま……。」

 家に入って靴も整えずに、通路と台所、リビングの明かりを付けてもう台所に立っている少し気の早い彼女の姿にほんの少しため息を漏らしつつ靴を整えてリビングに上がる。

「ちゃんと靴整えないとダメだぞ。」

 いつものことだし、嫌だとも思っていない。本当に些細な欠点、ない方が不気味である方が可愛らしいくらいだ。

「いいじゃん? 私はお料理する、だからあなたは靴を整えてくれる。ギブアンドテイクだよ!」

 そんなこと考えてなかったくせに、いつも調子のいいことを言う。でもそうやって言い訳をするのは些細なことに対してばかりだ。本当に良くなかったときは素直に謝ってくれる。

「ま、いいことにしとくよ。それより、何より僕は君の料理が気になって仕方ない。さっきおあずけを食らっちゃったからね?」

 冗談交じりの言葉を交わしつつ、リビングから見える台所の中の彼女を眺めている。

「ふふふっ! ちょっと待っててね? 今作ってあげるからね?」

 コトコトと包丁がまな板を叩く音、彼女が奏でる鼻歌の音、煮立った鍋が発するこぽこぽという少し間の抜けた音。少し洒落た言い方をしてみようか、これらが奏でるこの雑多な音こそ幸せの旋律だと僕は思ってる。

「おまたせ~。今日の夕飯はあなたの大好きな私の得意料理ロールキャベルの厚切りベーコンステーキ添えと、愛情たっぷりアボカドドレッシングサラダだよ! 食べて食べて!」

 匂いに異常はない。香り付けのスパイスはひとつも間違えていないようだ。問題は塩と砂糖、こればかりは食べてみないとわからない。少しばかりの覚悟をして口に運んでみる。

「美味しい、美味しいぞ! 砂糖と塩間違えずに作ったんだな!? 偉いぞ!!」

 嬉しさと、幸せと、美味しさのせいで思わず彼女の頭を撫でた。

「んふふ、砂糖と塩両方使うレシピなら両方に注意が行くから間違えないもん。砂糖は隠し味に小さじの半分、塩は小さじ1.5杯。甘みが増して美味しいでしょ?」

 ドジを自覚しているようでこんなことを言っても怒らない。なぜなら彼女、キッチンで僕に何度も砂糖と塩の間違いを指摘されている。それに、一緒に間違えてしまったまずい料理を食べたことだってあった。

「うん、すごく美味しいぞ!」

 今回ばかりは本当に美味しかった。好物なのもあるし、彼女が作ってくれたせいもあるだろうがそれを差し引いてもなかなかの出来ではないかと思える。

「あんま褒められると照れちゃうよ~。そんなことよりテレビ付けよ?」

 夕飯はニュースと彼女のちょっとした勉強の時間。魔法学に関する番組があるときは主に彼女がそれを食い入るように見て、無い時はあーでもないこーでもないと言いながら談笑して団欒するのだ。

『次のニュースです、俳優のウェスト氏がサンドマン症候群の初期症状であるスワンプマン症候群を理由に引退を表明しました。これに対し……。』

 食事時にあまりにふさわしくないニュースに嫌気がさしてテレビを消した。

「ごめんね……?」

 なぜか彼女が謝る。

「間が悪かっただけだよ。気にしないでいいよ。」

 そう言って、頭を撫でてやる。

 サンドマン症候群。300年前に発明された医療魔法の集大成と言われていた封壊式の症状だ。その症状はこの魔法の特性的欠陥によって引き起こされるもので三段階で進行する。第一段階、スワンプマン症候群。肉体の細胞分裂が限界を迎え代謝不可能になることによって肉体の壊死が始まりやがてドロドロに溶けていく。第二段階、ロストマインド症候群。スワンプマン症候群によって自らの肉体が溶けていく恐怖や自らが発する悪臭のせいで精神崩壊を起こす。第三段階、サンドマン症候群。泥になった肉体が乾き微生物によって分解され砂になってなおも生き続けてしまう。症例が現れ始めてから封壊式の利用は規制された。永遠の命など求めてはいけなかったのだ。そんなもの、間違えても食事時に想像したくない。

「うん、ありがとう……。」

 しばらくして食事が終わったあと彼女は唐突に話し始めた。

「ねぇ、幸せってなんだと思う?」

 本当に唐突で一体どこから答えていいのかすら見失う質問だった。

「さっぱりわからない、一つ僕に応えられるとしたら今僕は幸せだってことかな。」

 とりあえずの答えを捻出すると彼女はどこか影を落としたような表情で語り続ける。

「私もすごく幸せ。でも私はもしあなたが死んじゃったら幸せじゃなくなっちゃうかも。」

 あえて食事が終わるまで待ったのはこのためか。封壊式を連想させる話題になるから今まで待ったのだろう。そして、これまでもずっと彼女の中で引っかかってきたのかもしれない。

「じゃあ僕がもう助からないって思ったなら封壊式をかけるといい。」

 後のことなんてどうだっていい。

「でもそうしたらあなたはいずれスワンプマン症候群になって死ぬよりもずっと辛い思いしちゃうんだよ?」

 たとえそうであっても構わない。

「君を一人にする方がずっと辛いさ。それに、そうはならないきっと君は僕に死ぬ方法を与えてくれる。でも、そんなものを残したら君自身が傷ついてしまうのかもね。」

 たとえ、心が壊れてたとしても彼女が一人で泣いてる姿だけは見たくないだろう。意地でも、寄り添って慰めてやりたい。たとえ、死んでいたとして死後の世界が存在して、そこから地上が覗けるなら僕は彼女を一人にした自分を許せない。

「多分、私はあなたに封壊式をかけられないと思う。だってあなたが壊れるところなんて見たくない。」

 彼女がそんなことを言うのならきっと。

「封壊式なんて作られなければよかったのにね。」

 作られてはいけない魔法だったんだ。

「そうかも。最初からないなら諦めることだって出来るのに。」

 きっとそうだ、死を自覚して恐怖の淵に立たされて希望まがいのものなんて見せられたらそれがなんであろうと飛びつく。丁度藁にでも縋るかのように。

「でも、きっとこんなこと考えてなかったよ。きっと、ただ死にたくないって叫ぶ人の声聴いて夢中で作ったんだと思うの。」

 優しい。彼女はあまりに優しすぎて、人の心を想いすぎて他人の罪まで背負ってしまうのだ。それが僕にはとても苦しい。

「きっとそうなんだろう。だけど、それは君が気に病むことじゃない。君が泣かなくていいんだ。」

 彼女自身も気づかぬうちに流れていた涙を拭って思わずそっと抱きしめた。

 ほんの少し黙ってた。ほんの少し静かだった。ほんの少し暖かかった。

「うん……。」

 ほんの少しの沈黙の後彼女は腕の中で小さくうなづいた。

「ままならないものだよ、世界なんて。どうしたって思い通りに行かない。きっと封壊式だってそのせいでこんな結果になってるんだ。」

 封壊式。300年前発明された魔法で人体と魂の結びつきを強くすることによって寿命を延長する目的で作られた魔法の完成形と言われたもの。おかげで、封壊式をかけられた人間は不死になる。それは裏を返せば死ねないということだ。

「それはちょっと悲しいよ。」

 開発者によると原理は魂にいくつも魔法の糸を結びつけ、それのもう一端を肉体に結びつける。リスクなく永遠になると思われたこの魔法の発明者は一時期世界の英雄として扱われた。

「悲しいね、きっとこんなことになると思ってなかった。でもそれを考えたところで僕らに何ができるのかな?」

 彼女ならできるかもしれない、出来てしまうかも知れない。才能を持つ者は同時に責任を持つ。才能を使うか使わないか選択する責任と、それを使って人を助けるかどうかを選択する責任だ。出来てしまうから悩まされる。

「わからない。」

 叶うなら彼女がそんな責任を放棄してくれるのならそれが一番なのだ。

「今日はもうやめよう。ほら、おいで。ゆっくり休んでまた明日考えればいい。」

 そう言って彼女をベッドに呼び寄せる。

「そうだね……。ごめん……。」

 唐突に謝られるものだからあっけにとられそうになる。

「何が?」

 取られる前にしっかりと問を。

「暗い話しちゃってごめんね。」

 そんなことかと、言いたくなるほど些細なことだ。でも彼女にはきっと些細じゃなくて、しっかりと謝っておきたい事の一つなのだろう。

「いい話が出来たと思うよ。謝るようなことじゃないさ。」

 だから、ほんの少しでも彼女に罪悪感があるのなら拭って置きたい。いつだって彼女は気にしすぎるのだ。でも、それは優しさの秘訣で、他人を気にすること。それがなくなれば、きっと優しくはいられない。

 二人でベッドに寝転がると、一人に比べて幾倍も暖かいんだ。それがとても心地よくて、ついすぐにまどろんでしまう。それは、彼女も同じなようで、いつも先に眠気を催してそのせいで上がった彼女の体温に当てられて僕が先に眠ってしまう。

「ね、どこにもいかないでね?」

 彼女は不安になったときいつもこう言う。

 だからいつも洒落た答えなんて考えないでただこう返すんだ。

「ここにいるよ。」

 抱きしめて、熱を交換し合うことで孤独という冷気は消え失せる。だからただ抱きしめて、熱を伝えて、伝えられて確かめ合う。きっと僕も不安なのだ。

 その晩、夢を見た。封壊式なんてない世界の夢だ。それで、僕が死ぬ夢だ。彼女は泣いていた、しっかりと涙を流していた。きっと、そうあるべきなんだ。封壊式なんてものがあったら、死んだ人間を諦められない。まだどうにかなるんじゃないかと、必死になって泣いているどころの話じゃない。だから、人はしっかり死ぬときに死ぬべきなんだ。じゃないと、悲しみが歪んでしまう。そのせいで前に進めなくなってしまう。


 夜が開けて、カーテンの隙間から日溜まりが流れ込んでくる。朝を告げる優しい温度の光の雨が瞼を執拗に撫でるものだから目が覚めるのは当然なのだろう。

「おはよう。」

 声を殺して、朝の挨拶をする。なぜなら彼女はまだ眠っていたからだ。心なしか少し寝苦しそうにしているが、彼女は朝が弱い。いつものことだろう、まだ眠りたいのにこんなに明るいものだから眠りが浅くなってしまっているのだろう。

 さて、朝食の準備をしようか。眠り姫が起きてくる前に、昨日の仕返しだ。こちらばかりもてなされていると少しだけ情けない。もてなし返してやろう。

 しかし、朝食だ。あまり重いものでもいけない。軽食でいいだろう。サンドウィッチなどがちょうどいいかも知れない。そんな風にぐだぐだと考え事をしながら朝食を作っていると、半分涙声で僕を呼ぶこえが聞こえた。

「どうしたの?」

 声が彼女の元まで届くように少し大きな声で返事をして、急ぎ足で彼女の元へ向かう。

 彼女の目元は少し赤く腫れていて泣きはらしたのが分かる。

「大丈夫、僕はここにいる。僕たちの朝食を作ってたんだよ。」

 きっと悪夢を見たのだろう。きっと僕がいなくなる夢だったのだろう。だから、目が覚めて、そしたら一人ぼっちでそれが怖くて仕方なかったのだろう。まるで子供みたいだ。そのせいだろうか、彼女の頭はとても撫でやすいんだ。

「おはよう、おいで、まだ出来上がってないから心配なら見えるところで待ってるといいよ。」

 まだ、泣き止んではいない彼女をリビングに連れて戻っていく。手をつないで、どこにもいかないと伝えながら。

「落ち着いたら顔洗っておいで。」

 涙の跡を残して外に出るわけにもいかないだろう。

 彼女は、中央魔術大学三年生主席、同時に魔法技術研究部の研究員も勤めている。現在国内で最高の魔術師とも言われており、主に魔導医療機器の魔術回路研究をしている。精密な魔法制御を必要とする医療機器のうち机上の空論と言われた難しすぎる魔法制御を要するものの多くが彼女の手により現実化されその医療水準を大きく跳ね上げることになった。中でも特に偉大な功績は魔術式透析器だろう。それは魔術によって血中の毒素や水分を一瞬でろ過し、患者の苦痛を極限まで減らす結果である。そのおかげで、この国では事実上病気によって腎臓を失った場合であっても何不自由なく生きることが出来るのだ。

「うん……。」

 少しして僕がサンドウィッチを作り上げる頃に彼女は顔を洗ってきた。まだ泣きはらした目の赤さは残っているもののだいぶましになっている。

「言い忘れてた……おはよう。」

 忘れさせるためにもいつもどおりに戻していく。

「うん、おはよう。」

 少しぎこちないかもしれないけど、文学的才能に恵まれなかった僕にはこれが精一杯だ。

「さぁ、朝ごはんを食べよう。テレビは点ける?」

 いつも付けている、そしていつも聞いている。彼女のほうが機械に詳しいくせにテレビに関してだけは僕のほうが詳しい。どうにも、彼女はテレビと相性が悪くて同じ操作をしているのにも関わらず反応しないことが多い。彼女いわく「テレビが私を嫌うから私もテレビが嫌い」だそうだ。

「そうだね、明るいニュースでもやってるといいんだけど。」

 それならと、こっそりとチャンネルを回す。普段見ているニュースとは違うが比較的技術革新による経済的効果、そのプラス面を取り上げやすいテレビ局に合わせるのだ。

『50年前より魔術式透析器を使っていて5年前より新型透析器を使い始めたエドワード氏が今週で100回目の誕生日を迎えました。そこで健康診断をしたところ驚くべき結果が出ました。それがこちら。』

 そう言ってテレビの向こうのアナウンサーが素人には全くわからないであろう表を持ち出した。

「よかった、私の透析器ちゃんと役に立ってる。」

 彼女が胸をなでおろしながら呟いた。

『え~この結果はですね、健康すぎると言えますね。どの値も余裕を持って正常の範囲内。100歳を超えてこれは異常でしょう。いやはや、もしかすると人間の臓器なんかより遥かに優秀なのかもしれませんなぁはっはっはっ!」

 専門家らしい男は笑いながら現代医療の発展を喜ぶ。

「君が作ったものがこれまで役に立たなかったことなんてないんだ。自信を持っていいんだよ。」

 それにしても驚異的だ。下手に腎臓がある老人よりよっぽど長生きしている人が出てきた。

『これについてエドワード氏に直接インタビューをしてみましょう。』

 アナウンサーが白髪だらけの老人にマイクを渡している。

「でも、心配だったんだ。術式を組むのは本当に神経磨り減ったんだから。」

 どうやら機嫌は戻ってきたようだ。

『え~、私がこの歳まで生きれたのはあの透析器のおかげでしょう。しかし、もうこんなにも生きてしまった。老い先長くないのであまり多くの金はいりません。なので財産の一部を開発者に寄付したいと思っております。若くして病を患ってしまった人を助けるお金や、自分が幸せになるために使って欲しい。お願いできますかな?』

 朗らかな老人だ。そしてこれは彼女にとって朗報かも知れない。研究資金の提供に当たるものだ。

「大丈夫だったじゃないか、こうやって君に感謝してる人もいるくらいだ。大丈夫だよ、君が作って僕が見る。」

 術式デバッグ、僕の仕事だ。術式が発動する際の魔力の流れや、その性質を見て誤作動している部分や誤作動をお越しそうな部分を見つけて排除する。僕らの仕事は二人でようやく完成する。本来ならここにもう何十人かの原理発案者が加わるのだが、彼女にはそれが必要ない。誰かが原理を考えなくても原理は彼女が考えて組み上げる。

「そうだね、私が失敗してもあなたが見てくれる。」

 彼女との出会いは5年と少し前の研究室だ、当時彼女はまだ14歳。研究所の上役に連れてこられた彼女が携えていたのは魔術式透析器の論文。それは彼女が夏休みの自由研究として提示したものだった。総文字数十万三千文字を超えるその論文の内容はこれまで、ひとつの問題を抱えて実現し得なかった魔法による血液の完全浄化の問題点を解決していた。これによって彼女は理論の上ではあるが完成された医療機器を作り上げていたのだ。それ故連れてこられたときは、原理発案者候補特待生という名目だった。

 しかし、原理発案者候補特待生でいられたのも束の間だ。彼女は術式を発動する機械を作成するプログラマー達にその設計を説明する際に驚く程精巧で複雑なマナホロを空中に展開し、稼働している状態を映し出したのだ。その、魔法制御技術はすぐに注目を集め彼女は原理発案者とプログラマーを兼任するようになった。デバッグだけは他者の目が必要ということでこの稀代の天才のチームに残されたのはたった一人僕だけだ。デバッカーとしてはそれなりの成績を持っていた僕にはひとつだけ他人に負けない才能があった。破損後の状態のシュミレート、その技術が彼女の安全を主とする開発目標と結びつき彼女直々の指名で僕が残されている。

「絶対に失敗させないよ。君の機械で誰かが死ぬなんてことは絶対に起こさない。そのための僕だ。」

 ちょうどいい終えたときに彼女の出発の30分前を知らせるアラームが鳴る。僕は、彼女に比べると出勤が1時間ほど遅い。研究室は朝が苦手な不健康な研究者だらけなのだ。

「もう時間だ、着替えておいで。」

 そう言いながら僕もクローゼットを開いてスーツに着替える。研究室で一応推奨されている服装だ。彼女も僕の言葉に頷くと学校の制服に着替えてくる。

「忘れ物はない?マイクロスコープは?」

 つい世話を焼いてしまう。子供扱いしているつもりはないのだが少し過保護かも知れない。

「大丈夫、ちゃんとつけてるよ。」

 マイクロスコープも彼女の発明品の一つだ。マイクロスコープ自体が超小型化されアクセサリーに組み込まれている。マナホログラム技術を応用して半実体のホログラムでマイクロスコープを作り出すものだ。彼女の場合、万に一つ忘れたのならその場で作ってしまえるのが恐ろしいところだ。

「よし、行っておいで。」

 僕が言うと、彼女は一瞬ドアに向かってそのあとに振り返った。とても不安そうな表情で。

「もしかして、寂しいかな?」

 彼女は僕を心配している。それも夢のせいで。そのまま言えば彼女が恥ずかしがるから少し言い方を変えてやる。

「ちょっとだけ……。」

 そう言って俯く彼女の手を僕は自分のまぶたに当てる。

「魔法をかけて、僕が見ているもの君も見ていれば安心でしょ?」

 視神経共有式。とてもじゃないが難しすぎて僕にはできない魔術だ。対象者の視覚情報を対象者の脳内で記憶か処理されたあとに海馬に流れる情報を共有する術式だ。

「そうだね、そうする。」

 僅かに光を帯びた彼女の手がまぶたの上にそっと置かれる。一瞬の違和感の後に光が収まって、おそらく彼女にはもう、僕の視覚情報が流れ込んでいるだろう。

「私先に行ってるね、研究室で待ってるから。」

 そう言って、手を振りながら扉を開けて出て行く。

 少しして、部屋の片付けをしている時に彼女の洗濯物をタンスにしまっているとメールが飛んできた。

『あんまりジロジロ見ないでね、恥ずかしいから……。』

 だとしたら、自分でやって欲しいものだが彼女は僕より朝早いし朝に弱い。だから僕が代わりにやっているのだ。ぎゃくに部屋の掃除は彼女の仕事。

『あはは、ごめんごめん。気をつけるよ。』

 簡単な返事を返して一通りの仕事が終わると身支度をして仕事に向かう。とはいえどうせ、彼女と同じ研究室で彼女の作った機械を見ているだけの仕事だ。大したことはない。

 研究室に行くと彼女が白衣を着て机の上に座っていた。研究生が受けても有意義な講義はだいたい一時限目に偏っている。それは研究室にいる時間を出来るだけ長くしようと言う学校側の気遣いによものだった。

「二回目だけどおはよう。もう魔法は解いてもいいんじゃないかな?」

 僕はそんな彼女に語りかける。

「そうだね、もうあとはずっと一緒だもんね。それにこの魔法ちょっとだけ脳神経に負担かけるしね。」

 そう言うと同時に、彼女の頭部の一部が輝き光が霧散していく。

「さて、じゃあ今日は何を作ろうか……?」

 そう言うと待ってたと言わんばかりに彼女がマナホログラムを展開する。

「これにしようと思うの。魔法検出器。それも従来型のものの発展型で魔法の構成をほぼ完璧に割り出せると思う。これまでにずっと無視されてきた、死の瞬間に失われる21グラムに対しても有効な特殊なマナを生成して照射し反響を計測することで魂と呼ばれているものに対する影響も検出できるはず。」

 そう言われてみれば機構の一部にこれまで見たことないような特殊な機構があるこれがその特殊なマナを生成する機構なのだろう。

「さて、じゃあ、早速組み上げてみよう。」

 研究室のいたるところに整理された魔導機部品が保管されており、彼女と僕がいれば簡単に組み上げることができる。とはいえ、出来上がるものは外装無しのものだ。

「案ずるより産むが易しだね?」

 僕たちは、一緒に機械の組立を始めた組み上げる途中でわかったのだが、それはほとんどが既存の理論で構成されていてマナの変質回路を多様に組み合わせただけの装置を組み込んだ従来型の魔法検出器だ。特殊な機構と思っていた部分ですらさほど特殊ではなく既存の部品だけで事足りてしまう。それをなぜ今までに作った人間がいないのか。それは簡単な問だった、必要と思われていなかったのだ。魂に影響を及ぼす魔法を開発できていないのにも関わらず魂を検出する機械がどうして必要だろうか。

「そっちの部品とってくれるかな?」

 機械作りの大半は僕の仕事だ、彼女の服をあまり汚したくない。

「これ?」

 彼女が差し出してきたのは僕の思ってたのとは少し違う部品だった。

「S-P-12だよ、ちょっと違う。」

 smoothpipeの12号。部品に付けられた名称だ。マナを流すパイプの中でも細めのもので奥の入り組んだところの部品だ。

「あ、こっちか。」

 そう言いながら彼女は部品を差し出す。ホログラム通りにパイプをつないでいくとどうにもかなり部品数が少ないようで一時間とかからずに終わってしまった。それはきっと通常なら省くべきでないとされているマナ運用の基本部分の多くを省くことができてしまっているのだろう。きっと彼女にとっては基本ですら無駄が多いのだ。

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