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Break spell

 無気力に開け放たれた口から漏れ出すのはすっかり声を失った悲鳴だった。

 すっかりやせ細った体には、声など出す力など残されてはおらず。血管の浮き出る皺だらけの喉などとうに潰れて、声と呼べるものなどもう出せる訳もなく音のない悲鳴と嗚咽と慟哭をただの風として流している。

 これが女神と呼ばれた者の姿だと誰が思い至るだろうか。これが、かつて最も美しいとされた少女の成れの果てだと誰が思えるだろうか。これが、英雄の姿だと誰が信じられるだろうか。これが、世界に目の敵にされている悪の大魔王の姿だと誰が気づくだろうか。

 少女はその枯れた老婆のような体から絶え間なく涙を流している。流しながらずっと何かを探している。

「探さなくていいんだ。ここにいる。」

 それでも、彼女は僕が愛した人なのだ。今でもまだ愛さずにいられない人なのだ。世界で最も美しかった人なのだ。今でもまだ、本当の意味で最も美しいと思っているのだ。

「ご飯、食べたくはないかい?水は欲しいかな?」

 今もなお、悲鳴のみをもらすその口は何を問うても悲痛以外を答えない。

「そっか、わかったよ。」

 毎日三度、食事を勧めてはこうやって断られている。繰り返してもう何年になるのだろうか。もう答えなんてわかってる。もう二度と彼女が泣くのを辞めることはない。そんなことわかってるはずでも、何度だって彼女の分の食事を用意しては捨てる羽目になるのだ。

「くそっ!!」

 ままならない、そんな思いがつい口をついて出る。ただもう一度彼女の笑顔が見たくて、ただそれだけで。それさえ叶うなら、なんだってやってみせるのに。何をやったってかなわないんだ。

 水面の花、葉を持たず、根を持たず、ある日突然水面に現れる不思議な花だ。彼女によく似合う花。紫色のアヤメによく似た花だ。謎の多い花で、触ることはできない。そんなところは今の彼女によく似ている。花言葉も今の彼女にはぴったりなのかもしれない。「触れては消える。」「届かない。」そして最後の一つだけは僕にぴったりだ。「もう一度。」

 そのせいだ、この季節はいつだって彼女の幻を見る。何度だって彼女の幻影を見る。誰が見ても、誰よりも綺麗で。笑顔の眩しかった彼女の幻影を見る。その幻影だって花と同じでいくら近づいても触れることなんてできなくて。この手をすり抜けてしまう。

「アリア、もう寝よう。疲れたろ?」

 もう、充分泣いたんだ。充分苦しんだんだ。もう泣かなくていい。美しかった声も、姿もその全てを失うまで泣いたんだ。何も悪いことなんてしていないのに。

「アリア、今でも大好きだよ。これからもずっと君だけを愛してる。だからもう、眠ろう。」

 そう言って、彼女の心臓に僕が短剣を突き立てた。彼女を唯一殺せる方法を突き立てた。嫌な手触りが二回。一度目は皮膚を突き破るとき、二回目は心臓にその刃がくい込む時だ。きっとすごく痛かっただろう、きっとすごく怖かっただろう。それでも彼女は断末魔のひとつも上げない、ずっと力の限り泣き叫んでいたんだ。限界まで、断末魔すらかき消すほど。

「ごめんよ……。ごめんよアリア。……僕は……僕はッ……。」

 悲しい、悲しさで心が埋め尽くされるほど悲しくて苦しくて。喪失感と罪悪感が全部混ざって目の前にあるものが全部回って、廻って、思わず吐き出しそうになる。嫌だ、絶対に嫌だ。

「僕は、もう一度君の笑顔を見たくて。わがままに付き合わせて、苦しめてしまった……。」

 そんな彼女の死体をなおも汚すことなんて耐えられない。

 僕が殺してしまったのだ。最愛の人を。僕が苦しめてしまったのだ。愛し続けてきた人を。耐え切れなくなって、彼女を殺した刃を自らの首に突き立てた。

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