◆第七十九話『霊魂と困憊』(途中詩織視点)
……さて、こうやって麻夜さんの目が覚めるのを無言で待ち続けてどれくらい経っただろう。
家にいるわけではないので、暇潰しになる手段がろくにない。
たまに時計を見てみても、大して時間が経っていないのが分かるだけ。
時間の経過が──妙に遅く感じた。
そんな無為にさえ感じる時間の経過の最中、ようやく麻夜さんが目を覚ましたかと思うと、彼女は瞬時に飛び起きて周りを見回したので、突然の出来事に僕も将大も驚いた。
「私は……一体……?」
突然気を失ったせいだろう。そして直前まで夢を見ていたのかもしれない。若干記憶が混乱しているようだった。
「悪魔との契約が履行したら、急に倒れちゃったんですよ。衰弱してるみたいだったので、横になってもらって起きるのを待ってたんです」
僕は冷静に状況を説明する。
麻夜さんはこめかみを押さえながら、しばらくの間一点を見つめていた。
恐らくゆっくりと現在の状況を飲み込んでいるんだろう。
「なるほど……。少し……急激に魔力を吸われ過ぎたようです……」
言ってまもなく、彼女は急にはっとした表情になった。
「詩織さんは、どうなりました……?」
「記憶を取り戻した時に気絶してしまいましたが、無事に帰宅しましたよ」
「そうですか……」
僕が答えると、麻夜さんは緊張した表情から、ほっとした表情へと顔色を変えてみせた。
本当に彼女は、仲間というものを持って変わったと思う。
「今はここには居ませんが、テレサさん、心配してました。詩織も、起きたら絶対心配すると思います」
「私のことを……心配……」
「そうですよ! みんな仲間の麻夜さんのこと、絶対に心配してます!」
将大が話に割り込み、良い意味で追い打ちをかけると、ふいに麻夜さんが顔を伏せた。
「ど、どうしたんですか!? まだ具合悪いんですか!?」
自分の発言でそうさせたのかもしれないと思ったのだろう、将大が目に見えて焦っていた。
まぁ多分将大がそうさせたことに変わりはないんだろうが。
「いえ、そうじゃないんです……。元気ですよ……元気すぎるくらいです」
彼女が顔を上げると、今まで見たこともないような晴れやかな笑顔を見せた。
「ありがとうございます。将大さん、章さん」
どちらかというと僕より将大にその顔を向けていたように思う。
いつもの完璧すぎる笑顔より、その無邪気な笑顔の方が、よっぽど魅力的に思えた。
「感謝なら僕らがする側ですよ」
そう、詩織の記憶を取り戻してくれたのは、他でもない彼女の功労なのだから。
「ありがとう、ございました」
麻夜さんは目を丸くしたあと──
「はい!」
──と彼女にしては珍しい、年端も行かない少女のような、満面の笑みで答えた。
*
「ん・・・んん・・・?」
どうしたんだろう、ここは私の部屋? なんで? 病院じゃなかった?
「詩織、目が覚めましたか?」
「テレサ……」
彼女の名前を呼んで、私ははっとした。
「そうだ、私……記憶が飛んでて……テレサのことも、みんなのことも忘れてて……。私、なんてことを……」
「詩織、それはあなたのせいではありません」
混乱している私を見て、テレサは静かに諭す。
「あなたは、生きているだけでも良かったのです……。ですが……」
テレサは愛おしそうに私のことを見ると、強く抱きしめてくれた。
「よく戻ってきてくれました、詩織……」
「テレサ……」
私もテレサを抱きしめ返す。
「寂しかったです……とても……」
私はテレサが涙を流していることに気付いた。
「テレサが涙流してどうするの。これじゃ、どっちが守護者かあべこべじゃない。……でもね、喜んでいいことかどうか分からないけど、私、テレサが泣いてくれて嬉しいの。ごめんね。でも、凄く嬉しい」
気付くと私は笑いながら泣いていた。最高に気持ちが良かった。
「自分がこんなにも必要とされて、私嬉しいよ。だから、沢山泣いていいんだよ。──私だって、泣いてるんだから」
テレサと私は、互いの温もりを肌で感じ、しゃくりあげながら泣いた──。
……………。
…………。
……。
…。
二人でひとしきり泣くと、やがてテレサは私から離れ、目元を手で拭った。
「さて、記憶も戻ったことですし、明日からは学校に通わなければなりませんね。明日は元気な姿をアキラたちに見せてあげましょう!」
ひとしきり泣いて満足した様子のテレサは、私に向かって高々とそう宣言した。
*
──僕は就寝前、麻夜さんが起きるまでに将大とした会話を思い返していた。
確かにあの時思い浮かんだのはリリスの笑顔だった。
今まで意識していなかったが、僕は彼女のことが好きなんだろうか……?
こんなこと、今まで考えたことも無かった。
もうリリスが居ない生活なんて考えられない。
突然居なくなったら……もう会えないってなったら──
──僕はどんな感情になるだろう?
やっぱり哀しくなるだろうか?
涙をこぼすほどだろうか?
意外とそれほどでもないんだろうか?
そんなことをぼんやりと考えているうちに、いつの間にか僕は眠りについていた。




