◆第七十二話『問われる最善』
「すぐに私が指示した場所に人員を配置して! もう犠牲者を出すわけにはいかないの! たったの四箇所なんだから、すぐにでも出来ることよね!?」
リリスは珍しく目に見えて動転していた。
いつもはっちゃけているように見えて常に冷静だった彼女とのギャップに、僕は目を丸くした。
ちなみに四箇所というのは、図のようなことである。
二つ目の事件が起きたおかげで、次の場所をかなり絞ることが出来るようになったのだ。
「わかっている、二件目が起こってしまったことも申し訳ないと思っている。だが、上の決定が遅すぎるのだ」
「これだから縦社会は……!」
「リリスさん、今ここで何を言っても無駄よ。私たちは私たちに出来ることをしましょう」
「……ッ」
苦虫を噛み潰したような顔で眉間にしわを寄せているリリスだが、それとは対照的に賀茂の態度が落ち着きすぎているように僕には思えた。
「人員配置だけじゃなく、どこの黒魔術集団なのか調べて! 人の命をなんだと思っているの!」
「私だって食い止められるなら食い止めたかったさ。ただ半径300mはあまりにも広すぎる。だが安心したまえ、次は四箇所に限定されている。これで外すことはどう考えてもないだろう」
「当たり前よ! これでまた失敗なんかしたら──」
「──リリス、一度部屋を出ましょう」
暴走気味のリリスをテレサさんが制止する。
リリスは彼女の手に引かれるようにして部屋を後にした。
*
「全くなんて無能な奴なの! あいつが総理大臣だったらすぐに内閣不信任決議案可決されて議会解散してるわよ!」
「そうですね、確かに内閣総辞職する性格にも思えません」
リリスのどこかぶっ飛んだ比喩とどこか外れているテレサさんの応対にどこか和んでしまった僕が居た。
「ほんとに、なんであんな態度なのかしら。ほんと嫌な奴だわ」
一方でシンプルに賀茂への嫌悪感を口に出す文先輩。
正義感の強い文先輩としては事件に対する誠意を見せなかった彼の態度が気に食わないのだろう。
麻夜さんへの態度は変わりつつあるようだが。
「自分だけ安全なところに居るなんて、ずるいわよ。詩織ちゃんはあんなことになっちゃったのに」
彼女の台詞に、誰もが口を閉ざす。
後に残ったのは、重々しい空気だけだった。
「……あややん、今ここで詩織ちゃんの話を出すのはやめよう」
意外にも沈黙を破ったのはレンだった。
珍しく真面目な口調で文先輩を諭す彼を、僕は少し見直した。
「……いつもバカみたいなのに、こういう時だけ真面目なのよね。ほんと、バカ」
文先輩の態度もどこかしおらしい。レンの言ったことでも、きちんと反省しているようだ。
案外この二人は普段うまくいってるのかもしれない。
「そういえば、明日から学校だよな? ……どうする? こんな状況でも行くか?」
「行きましょう」
文先輩が即座に応答した。
「せっかく冬休みの宿題もみんなでやったんだし、張り込みもミスティック・リアに任せていいんでしょう? おまけに幻想戦争は秘密裏に行われるべきものなんだから、学校休んでちゃ意味ないわ」
尤もな意見だと誰もが思ったことだろう。
僕らはお互いに顔を見合わせ、頷き合った。
「決まりね」
あれ? なんかこの流れの文先輩の台詞どこかで聞き覚えが……。
……。
…………。
………………。
…………リリスだ。
なるほど。初めていざこざを起こした時から思っていたが、この二人、性格は違えど気性がどこか似てるんだよな。
人は自分が好む人と一緒に過ごすと使う言葉が似たりするというが、文先輩の価値観や人間評価も少しずつ変わってきているのかもしれない。
*
気が付くと、僕は真っ白な世界に居た。
白、白、白。
辺りは真っ白だった。
何のオブジェクトもない、ただの白いだけの世界。
僕は起き上がったことで、この世界に地面という概念があることを知った。
「なんだ……ここは……」
「お──ちゃ──」
どこかから声が聞こえてくる。
どこかで聞いたことのある声。
懐かしい声。
それは暖かで……でも切ない気持ちになる声。
ああ、そうだ……この声は──
「叶……?」
──数年前に事故死した妹の声だった。
「お兄ちゃん」
「叶……」
やがて声ははっきりとしたものになり、叶の姿も見えてきた。
なのに、背景は真っ白のままだ。
ここは一体どこなんだろう……?
「ここはお兄ちゃんの夢の中。天に昇った魂は、夢で現世に干渉することが出来るの」
彼女の台詞は、まるで僕の心の内でも読んでいるかのように思えた。
「ううん、『読んだかのよう』じゃない。実際に伝わるんだ。テレパシーで」
「……そんなものがあったら隠し事なんて出来っこないな」
「でもお兄ちゃんは隠し事なんてしない、そうでしょ?」
「それは信用し過ぎだよ」
「ふふふ」
何かも溶けだしてしまうような、柔和な笑顔が、そこにあった。
そしてその儚い笑顔は、今、現実でも、見ることが出来たかもしれないものだった。
その笑顔を見ていると、段々と切ない気持ちになってくる。
やがて心の奥底からとめどなく溢れてきた塩水は、少しずつ湖に溜まっていき、ついに心のダムを決壊させた。
あまりに自分が情けなくなり、ついに僕は泣きながら膝から崩れ落ちてしまう。
「ごめん……! ごめん…………! 元をただせばあの時僕が酷いことを言わなければ……! 無我夢中で飛び出さなければ……! 叶はまだ……!」
「もういいの、お兄ちゃん」
叶は僕に手を差し伸べる。
「わがままな私だって悪かったよ。だから、お互い様。それに、私はお兄ちゃんが轢かれそうになった時、助けたでしょ? それはお兄ちゃんのこと、今でも好きってことなんだよ」
彼女の手を掴むことも出来ず、ただただ僕の目から涙がこぼれ落ちていく。
そんな僕の手を叶は強引に掴んで、立ち上がらせる。
「妹の前でめそめそしないの。男の子でしょ? ……なんて、お姉ちゃんなら言うかもね」
「…………」
僕は無言で涙を拭った。
「私がお兄ちゃんの夢に出たのはね、『サエカ』さんから任務を受けたからなの」
「任務……? サエカさん……? 叶、お前一体……」
「天国って言うのは冥界なんかとは違って現世を管理する為にあるの。私はその一人なのよ」
今までの経験が、問答無用にその言葉が真であると僕に信じさせた。
「お兄ちゃんには、『テレパシー』能力を授けようと思います! 有効に使ってね!」
「……そんなもの、意味あるのか?」
「絶対役に立つから! それじゃ、ずっと見守ってるからね! 負けないで! それじゃ!」
「あ、ちょっと待ってくれ! まだ色々話したいことが──」
──目が開く。
飛び込んできたのは、見慣れた天井。
僕は宙に向かって手を伸ばしていた。
どうやらさっきの白い世界から戻ってきたらしい。
辺りはまだ真っ暗だ。
「……叶」
僕は両手を胸の前で組んだ。
「神様、サエカさん、会わせてくれて、ありがとう……」
でも、テレパシー能力なんて何の意味があるのだろうか……?
…………。
……とにかく、今は叶とサエカさんを信じよう。
今は……深夜二時半か。
……朝まで寝よう。
結局その後、夢の続きを見ることが出来た、なんてこともなく、僕は普段通りの朝を迎えた。




