◆第七十話『不可逆の確率』
「……というわけなんだけど、理解して頂けるかしら?」
ミスティック・リアの一室で、リリスは召喚魔術の説明を終えた。背後のホワイトボードには、几帳面に五芒星と、五芒星の一点を中心にした円が作図されている。
「なるほど、これは興味深い」
賀茂功栄はリリスの説明を聞き、偉ぶりながら拍手した。
「我々が認知していない情報だったよ。いやはや、本当によくやってくれた」
「天使の中でも一部にしか知らされていない禁呪だからね、調べて出てこないのも無理はないわ」
全国展開してる筈のミスティック・リアが認知していない情報をリリスは見つけ出したっていうのか。
……やっぱりリリスって優秀なんだな……。
「……それで?」
「それで、とはなんだね?」
「ミスティック・リアには協力して貰えるのよね、人員の配置に。どう考えても、私たちだけじゃ頭数足りないわよ?」
確かに、張り込みをして捕まえるには半径約300mを見張り続けなければならない。
つまりは、人海戦術だ。
そのためには、大きな組織の強力を得る必要があることは火を見るよりも明らかだろう。
「ああ、構わんよ。こちらの魔術師で手練れを送るように本部に申請をしておくから、君たちはこれまで通り過ごしたまえ」
「ご協力感謝するわ」
言葉では感謝の気持ちを述べていながら、態度ではちっとも感謝しているように見えない。
というか、多分本心では大して感謝していないのだろう。
むしろ、『あんたの出世に協力してやってるんだから感謝しなさいよね』とか心の内で言ってそうですらある。
「でも、どうにかしてあちらの世界に干渉して、大本を叩くことは出来ないのかしら?」
文さんが新たな提案をした。僕の見る限り、リリスより発想力には優れているのが彼女だ。
「いや、不可能だ。その試みはミスティック・リアでも何度も行われていたが、君たちもあの実験の顛末を知っているはずだろう」
ああ、そういえばそんなことがあったなと振り返る。
僕らはあれを止めて欲しいがためにミスティック・リアを一時離脱したのだ。
「果たしてそうかな?」
ドアノブが回り、扉が開け放たれる。
目を向けると、誰も居ない──と思いきや、少し目の照準を下に移すと、よく見覚えのある人語を喋る黒猫がそこには居た。
「シェマグリグ、お前何か知っているのか?」
その猫は動物らしからぬ顔でニヤリと笑う。
「いや、単純な話だ。竜人は、竜人自身が悪魔陣営の力を借り生み出した特殊な魔術で、魂だけならこちらの世界に転移させることが可能だ。そして、それを行うことが私には可能だ」
「寝言は寝て言え。魂だけ転移させるだなんて危険な真似出来るか。それに魂だけ飛んだところで何も出来ないだろ」
「! もしかして、あなたが言いたいのは……!」
リリスが口を手で覆って目を丸くしている。
彼女はシェマグリグの台詞で何かを察したらしいが、僕には全くピンとこない。顔色を見るに、僕以外の全員がそうだった。おそらく、この場でシェマグリグの思考を汲み取ったのはリリスだけだ。
「藍原麻夜の魂を転送し、瞬間移動でこちらの世界に戻ってくる事が出来れば、彼女を通してこちらの世界からあちらの世界へ行き来が出来るようになる、それもほぼ確実に」
「なんだと……!?」
そんなことが可能なのか……?
窓の外から場違いなカラスの鳴き声が聞こえてくる。
「確かに、彼女の魔法を使えば時に取り残された世界にすら侵入することが出来るのが確認済みだわ。でも、だからって異世界に行って帰ってこれる保証なんてない……!」
「そんなこと……許されないだろ!」
「自由にすればいい。リスクとリターンを考えたら、答えは一つだ」
如何にも人の命なんて春の夜の夢の如しだとも言いたげな、淡々とした口調でシェマグリグは主張した。
一方僕らの顔色は、ただ一人の例外もなく蒼くなっていた。
「少し……考えさせてください……」
珍しく目を伏せ、部屋の後ろで待機していた麻夜さんは部屋を出ていった。
「無理する必要はありませんよ! きっと他に道があるはずですから!」
麻夜さんの後を追って僕は叫んだ。
彼女の耳に聞こえていたかどうかは、分からないけど。
静まり返った廊下に、僕の声がこだまして響き渡っていた。




