◆第六十三話『彼女の再来』
混濁した意識の中、気が付くと僕は、色の無い世界に佇んでいた。
立ち並ぶモノクロのビル群と、灰色の空。
空に虹がかかっても綺麗じゃないだろうな、なんて下らないことが頭に浮かんだ。
赤みがかってはいないため、時に取り残された世界とは違うらしい。
瘴気が立ち込めているかのような不快な感覚も、ここには無い。
それどころか、辺りには人の気配すら一切感じられない。
まるで、人を避けているかのような心象世界。
実のところ、僕はこの世界に見覚えがあった。
この世界は、僕とあの人の、閉じた世界。
初めて家族を亡くした僕を励まし、力の制御の為の眼鏡をくれたあの人の世界。
「やぁ、久しぶりだね」
あの人の、声が聞こえた。
「サエカさん……」
何年ぶりの再会だろうか。初めて会った時から、彼女にはどこか懐かしさを感じていたが、それ以上の郷愁を、今僕は感じている。
彼女は相変わらずの姿だった。黒のYシャツに紫のネクタイ、黒いスキニーに白衣を着ている。髪は後ろに高めで纏めていた。
「今回私が現れたのは、君にある忠告をしたいからだ」
「忠告……?」
「そう。忠告だ」
彼女から僕にする忠告といえば、一つしか思い浮かばなかった。
「邪視のこと……ですか」
「その通りだ。勘がいいね。まぁ、予測出来るのも尤もだけどもね」
空に浮かぶ雲がゆっくりと流れていく。太陽を隠したり、現したりしながら進んでいく。
「これから君は強力な敵たちに対峙することになる。必ず君は誘惑に駆られるだろう。だけど君はそれでも……決して邪視を使うな」
「そう言うと思いましたよ」
予想はついていた。口が悪いが、勝手な事を言ってくれるなと思った。
当事者に比べれば傍観者はどれだけ楽か。
映画を観たり本を読んだりするのとは訳が違うんだ……。
「でも、何故邪視を使ってはいけないのか、それを教えて下さい。僕としては、そうでもしてもらわないと納得がいかない」
彼女は溜息を一つつくと、僕の質問に答え始めた。
「理由はいくつかあるが……一番私が気にしているのは、君を取り巻く環境についてだ」
「僕を取り巻く……環境……?」
あまり繋がりがあるようには思えない。
「邪視というのは、一つの『呪い』なんだ。人を呪わば穴二つ、という言葉を知っているかい?」
僕は黙って頷いた。
「あれは他人を呪い殺そうとすれば、自分もその報いで死ぬ事になるから、墓穴が二つ必要になる、という話から生まれた言葉だ。君の邪視にも、それと同じような事が言える」
思わず唾を飲み込む。
そうか、僕は邪視を便利なものとしてしか考えてなかったが、呪いである以上、その報いがあるのは必然。
人を殺すということは、自分も殺されることを覚悟することだと、どこかで聞いたことがある。
それ相応の覚悟は決めるべきだということか。
「ただね、君はその力を使うことで死に至る訳じゃない。ある意味死ぬよりも恐ろしいよ。君はその力を行使すれば行使するほど、不幸を呼び寄せることになるんだ」
「不幸を……呼び寄せる……」
「そしてそれは君だけに留まらない。君の周りに居る人にも影響を及ぼす。君は……孤独に苛まれる」
ふと、空を仰いだ。
この宇宙で、たった一人。
考えただけでも恐ろしかった。
不意に一つ、聞きたいことが見つかった。
「リリスは……どうなるんですか?」
「彼女も、例外じゃないよ。君の一番そばに居る存在だから、一番影響を受けるだろうね」
「…………」
リリスには、今まで色々と世話になってきた。いくつもの修羅場を、彼女と乗り越えた。
僕は、彼女のことが嫌いじゃない。
むしろ、好きか嫌いかで言ったら、好きな方だろう。
そんな彼女を、不幸にする訳にはいかなかった。
「私はね、君に不幸になって欲しくもないし、君の周りの人にも不幸になって欲しくない。そして何より、優しい君が、孤独になっていくのを、私は見ていられない」
「……僕は、優しくなんてありません」
「優しい人はみんなそう言うんだよ」
サエカさんは、まるで眩しいものを見るかのように、口角を上げて微笑みながら言った。
僕はバツが悪くなって目を逸らした。
「私の話を聞いて、君がどうするかは自由だ。君が死の瀬戸際に立たされた時、君は自主的にその力を使うかもしれない。しかし私は君が生きようとするその行為を、咎める権限はない。……とはいえ、その状況が訪れる事は、恐らく今後無いだろうけどね」
「何故、そう言いきれるんですか」
事実、シェマグリグに殺されそうになったことだってあった。
戦闘ではいつもギリギリの戦いをしている。
これから先、生き残れる保証なんて、無い。
「それはね、私が君の守護霊だからだ。そして君は、今まで助けた多くの魂に見守られている。もちろん、君の力はそれだけ強大になる可能性が高いというのもあるがね」
話していると、段々と辺りが暗くなってきた。
陽が落ちようとしているらしい。
「時間だ。私が話す事は、これで全部だよ。それと、一つ、プレゼントをしてあげよう。目覚めたら、リリスに聞いてみるといい。それでは、健闘を祈るよ、少年」
彼女が言い終えると、視界にもやがかかるように意識が遠のいていった。
少しずつ何を見ているのか、何を思っているのか、曖昧になる。
やがて視界は真っ黒に染まり、僕の意識は完全に飛んだ。




