◇幕間劇八『文の追憶』(文視点)
部室の窓際で、風に当たりながら読書をするのが好きだった。
書くのも好きで、我が文芸部は部誌の売り上げで学校に貢献した。にも関わらず、校内での評価は決して高くはなく、校長に「サボり部」とまで呼ばれる始末だった。
まぁ、好きで書いてたから構わなかったんだけど。
そんな最中、途中入部してきた子が居た。その時私は二年生で、その子は一年生だった。
歌手の趣味が似ていたり、帰り道が同じ方面であることもあり、その子と私はよく話すようになった。
そんなある時、その子がある台詞を口にした。
「あの……先輩、何か隠していませんか?」
正直、あの時の彼の洞察力には驚かされた。
「……そ、そうかしら?」
私は目に見えて動揺していたと思う。
彼の全てを見透かすような瞳に吸い込まれそうだった。
「先輩は周りと上手く付き合っているように見えて、どこか距離を取っている感じがします。昔の僕に、どこか似てるんです。……もし何かあるのなら――何かあるのならですが――話を聞かせてくれませんか?」
私は正直、話すかどうか少し迷った。だけど私は彼を信用していたから、家の事を話してみる事にした。
両親が喧嘩ばかりしていること。自分から見て二人とも良い人だということ。どちらの味方にも付けない自分が辛いこと。
気付いたら話さなくていいようなことまで話してしまっていた。
「厳しいことを言うようですが、二人とも生きているだけ、それだけでも、文先輩は幸せに思えます。生きて語れる時にしか、出来ないことはあります」
彼の意味深長な言い方に、私は首を傾げる。
「先輩だけに話させるのもずるいので、僕の話も少しだけしますね」
彼の生い立ちは、かつて聞いた事が無い程複雑だった。
両親の仲が悪いだけの、どこにでも居る私みたいな『ちょっと不幸な人』人よりも、ずっと。
彼は幼い頃、強盗に両親を殺され、叔父夫婦に引き取られたそうだ。
その後、妹を交通事故で失い、しばらく時が経ち、今では叔父夫婦が海外出張へ行っている間、一人暮らしをしているということだった。
そんな波乱万丈な人生を送ってきたにも関わらず、彼の瞳は、誰よりも真っ直ぐだった。
私の話を聞いて、時々感傷に浸るような切なげな顔をする事があったけど、私にはそんな彼の憂いだ表情も魅力的に思えた。
少しずつ仲良くなっていくうちに、そんな表情を見せるのは私にだけだということがなんとなく分かってきた。
……少しだけ、嬉しかった。
まだ半年くらいの付き合いしかないけど、私は彼から色々な言葉を貰った。
ちょっと小生意気にも思えたけど、そんなところも私は気に入っていた。
「もし悲しみに打ちひしがれそうな時があったら、今無いものじゃなくて、今あるものを数える、そういう無名の僧の言葉があります」
「人って、生まれながらに平等ってわけじゃないと思うんです。誰もが何かしらの不平等を背負って生きてる。それでも僕達は、今この世界を生きていくしかない。神様って、そういう健気な人を祝福する存在だと思うんです」
「経験則ですが、全ての悲しみには、きっと意味があります。時には、思いもよらないような意味が」
「惨めな自分を見つけたら、そんな自分を笑い飛ばしてやればいい。これは先人の知恵であり、高等技術です」
私は、素直に彼の事を尊敬していた。偉人の言葉を覚えるのが好きなんです、なんて言っていたけれど、彼が言うと憎らしいほどに様になっていた。
不幸続きの人生だった筈なのに、私よりずっと辛い経験をしてきた筈なのに、彼は私より明るかった。そして、人生を達観していた。
彼の生き方を見ていると、自分自身の悩みなんて馬鹿馬鹿しくなってしまう。
もしかしたら彼は話したいことを話していただけなのかもしれないけれど、それでも私は彼と話せる事が嬉しかった。彼は自分でも気付かないうちに、私のことを救ってくれていたのだ。
でも後に、表面に出さないだけで、彼は彼なりにずっと苦悶し続けていた事を知ることになる。
私たち、腹を割って話せていたと思ったのだけれど、彼は自分の陰の部分を出来るだけ出さないようにしていただけだったのかもしれない。
彼がどれだけ私のことを信用していたのかは、分からない。
でも私にとって、それに気付いてあげられなかったのは、自分自身に対する大きな罪となった。
そして、私は思う。今度は、私が助ける番なんだ、って。
喜べるようなことではないけれど、やっと恩返し出来るのね、って。
率直に言えば、私は彼の弱い部分を知れて、安心したような、嬉しいような、でもどこか後ろめたいような、複雑な感情が巻き起こっていた。
彼が道を踏み外したら、私が元に戻す。
彼が迷ったら、私が導く。
彼が希望を失ったら、わたしが生きる理由になる。
そんな大層なことが出来るのかは分からないけれど、私は、出来る限り彼の役に立ちたいと思う。そんな大層なことだとしても、やってみせるんだから。
だって、これでも私、彼よりずっと先輩なんだもの。




