◆第五十話『怨恨と決意』
その後、気を失ったままの詩織は、病院に搬送された。
色々な検査をしたものの、原因は不明。
そりゃそうだ。原因なんて、分かるはずがない。
何しろ原因は、あちらの世界で起こった事にあるのだから。
不幸にも彼女の父親は、海外出張で不在だった。
今僕は、詩織が病院のベッドで横になっているのを見ながら、自らの無力さを悔いている。
……何かもっと、力になってやれなかったのか。
僕がシェマグリグを裏切らせたから、詩織はあんな目に遭ったのに。
「そう暗い顔をするでない。貴様がすぐさま駆け付けたからこそ、この娘は助かったのだ」
黒猫形態のシェマグリグに励まされる。
それでも僕は、気持ちを切り替えることなんて出来なかった。
確かに横になっている詩織の顔は安らかだったが、それがどこか死後の様子にも見えて、一瞬だけ背筋が凍った。
「僕は何もしてない。助けたのは……リリスだ」
そう、僕は何の力になることも出来なかった。
せめて仇討ちくらいは出来ていたら、少しは違ったかもしれないけど。
力も無いのに不用意に前に出て、自分自身が死にそうになった。
僕が死んだら、詩織に何が残る?
……誰が彼女を、守るというのか。
自惚れかもしれない。けど僕は、詩織のことを守れるのは自分だけだと、そんなことを思っていた。
大事な人を守ることさえ、様になっていやしない。
だから僕は、ただ強くなりたい。ひたすらに、そう思った。
「私は出来ることをしただけ。章にはいつも助けられてるもの。あれは、互いの魔法の相性の問題よ。気にすることない。それに、あなたが麻夜を呼ばなければ誰も助からなかった。あなたの英断で、皆が助かったの」
リリスらしい説得力のある励ましだと思ったが、心の中にある靄のようなものが晴れることは、残念ながら、無かった。
僕はふと、昨日の彼女の話を思い出す。
「リリス、確か僕の能力は『エネルギーを操作する能力』で、それが洗練されたら『化け物』になるっていう話をしてたよな?」
「ええ、したけれど……?」
リリスは僕の質問の意図が判らないのか、少し戸惑っているように見えた。
「能力を底上げするには、このままリリスと訓練するのと、ミスティック・リアに協力するのとでは、どっちの効率が良い?」
「あなた……まさか」
僕の質問の意図を察したのか、彼女は目を大きくする。
「いいから答えてくれ」
決意は固かった。返答次第では、あの団体に協力することも厭わないつもりだった。
「…………」
リリスは斜め下を向きながら、沈黙する。僕にはその態度が、何か答えられないことがあるかのように見えた。
「その質問の意図を聞いてもいいのかしら……?」
彼女は少し不安げだった。だが僕は、引くつもりはなかった。
「僕は……もっと強くなりたい。もう二度と、人がやられるのを指をくわえて見ているようなことはしたくない。それに……今回の件で、少し竜人の見方が変わったのもある。だから、正直に答えてくれ。どっちの効率がいいんだ……?」
効率――勝率を上げる速さ。
相手側も動いている以上、こちらの成長力が勝らなければ、戦いに勝つことは難しくなっていく。
だから僕は、効率を重んじた。それに彼女の発言を正しいものとするなら、効率良く強くなっていくことで、誰にも負けない強さを手に入れることが出来るかもしれない。しかもそれは、早ければ早いほどいい。
それだけ多くの命を救うということになるからだ。
カーテンが風に吹かれて少しだけ揺れている。まだ真冬なので窓は閉めてあるが、室内の暖房が部屋を循環して、カーテンを揺らしていた。
彼女は、何か決意を固めたような、あるいは負けじとしているような、真剣な顔で、問に答えた。
「喩えるなら、予備校と独学くらいの差があると思うわ。ミスティック・リアが予備校、私との鍛錬が独学。何が違うかって言うと、持っている情報量が違う。私の鍛錬も工夫してるつもりだけど、彼らの持っている情報量と技術力には叶わないと思う。これが正直な答えよ」
やはりそうか、と、僕は思った。想像はついていたのだ。ただ、確信が欲しかった。戻ってから後悔しても、もう遅いのだから。
リリスはそんな僕の思惑を察したようだった。
「まさか……今更戻るなんて言わないわよね?」
だったら他に何だと言うのか。僕はうんざりして、大きく溜息を付いた。
室内の蛍光灯が切れかかり、不定期に点滅している。
「そんなことをして詩織ちゃんが喜ぶとでも思っているの?」
そう言えば、ミスティック・リアを脱退するきっかけになったのは、詩織だった。
正直、ずるいな、と思った。
それを言われたら、彼女の手前、何も言えない。
「なら、実状を変えれば良いのではないですか?」
詩織の手を握りながら、黙って僕らの様子を見守っていたテレサさんが、初めて口を開いた。
「テレサ、それはどういうこと?」
彼女はもう泣きそうな顔をしていた。僕を止めたいのに、信用してたテレサさんまで僕の味方なのか、と思ったのだろう。
「彼らのする怪しい実験はともかく、あの拷問行為さえ無くせば、所属する組織としては及第点くらいにはなるのではないでしょうか?」
及第点、か。僕は軽く笑った。少しだけ、上から目線に感じる言葉だ。
「なるほどね……そういうわけね」
彼女はほっと胸を撫で下ろした。彼女の態度から察するに、もしかしたらテレサさんの提案した条件さえ揃えば、あの団体に戻ってもいいと思っているのかもしれない。
「いいわ。彼らの行う拷問行為を無くせたら、私は章と一緒にミスティック・リアに戻りましょう。丁度こちらには強力なスパイが居るし、その話を持ち出せば、恐らくやめてくれるでしょう。それに、麻夜は私たちに協力的だしね」
「よし」
僕は手を差し出した。リリスはその手を握り返す。
「交渉成立だな」
彼女は大きな溜息をつく。
「私も相手の黒幕には用があるからね。出来ることなら、章をそこまで送り届けたい。だから、戻るからには、誰よりも強くなりなさい」
「もちろんだ」
返事とばかりに、手を握る力を強める。やってやろうじゃないか。
せっかく手にした能力だ。無駄になんかしない。
化け物にでも、なってやる。
もう二度と、後悔なんてしない。
≪ 第三章 完 ≫




