◆第四十五話『器への憑依』
その後、僕らは双方の合意で時に取り残された空間から脱出すると、仲間達と合流する為に、そのまま例の廃ビルへと向かった。
「それにしても、不便だなぁ。付いてきてるのはなんとなくわかるけど何処にいるのかさっぱりわからん」
「それは我もひしひしと感じている。霊体のまま移動するのはこちらとしてもあまり良い気分ではないのだ。向こうから人が来ても、あちらは避けない上に、すり抜けてしまうからな。それに、物が掴めないのはいくらなんでも不便過ぎる」
「リリス、どうにかならないのか?」
多少の期待をしつつ、リリスに尋ねる。
「何かに憑依させればいいんじゃない? ぬいぐるみとか」
「なるほど」
「いや、なるほどではなかろう。ぬいぐるみになどに憑依してたまるものか」
「じゃあ何ならいいんだ?」
「出来ることなら猫が望ましい」
「……ネコ?」
はて、何故だろう。あんな可愛らしい生き物を好むような性格だとは思えないのだが。
「中世ヨーロッパでは長い間、猫は魔法使いの弟子とみなされ、迫害されてきた。古代エジプトで神聖な神様と崇められていた猫を貶めることで、キリスト教を普及させようとしたのだ。宗教対立に巻き込まれ、仲間である筈の者達から迫害され、魔術師でもある我と似ておる。何とも数奇な合致よ」
彼はそんな自分のことを、まるで嘲笑うかのように笑い飛ばした。過去に何があり、今何を抱えているのかは知らないが、彼の強い生き方に僕は感心した。
「それで、どんな儀式をすれば憑依させることが出来るんだ?」
「知らないわよ、そんなの」
「え……」
自分で提案しといてそれかよ……。
「そんな目しないでよ。身体を乗っ取るなんて悪魔の所業なんだから、仮にも天使である私が知る筈がないじゃない! むしろ本人の方が詳しいんじゃない?」
「……ということらしいけど、張本人さんは分かるのか?」
「知らん。戦闘に黒魔術など関係ない」
「黒魔術ね……」
何とも危険な響きだ。出来ることなら一生手を出したくない。
「あのー、ちょっといいかな?」
さっきから会話の様子をただ見守っていた詩織が喋り出した。
「質問なんだけど、魔法とか、魔術とか、何の違いがあるの?」
「……リリス、任せます」
「分かったわ。他でどう言われてるか知らないけど、私達“守護天使”としての見解を伝えるわね。基本的に、物理法則に反することが出来るものを“魔法”、それ以外を“魔術”と呼ぶわ」
言っている意味がよく分からなかったのだろう、詩織は眉に皺を寄せて首を傾げる。
「……例えば?」
「プロペラもジェットも無いのに空を自在に移動できたりとか、何も無いところから炎を噴出させたりとか、見えない壁を作ったりとか」
「あ、私とアキ君の魔法だね」
「そう。竜人サイドのものも魔法ね。一方魔術は、そういった派手なことは出来ないのだけど、主に人の心に働きかけるの。だからある意味、魔術の方が怖いわね。具体的には、悪夢を見せたりとか、喧嘩をさせたりとか」
「ちょっと陰湿だね。私、魔法の方が好きだな」
「ふふっ、まぁそうでしょうね。他の違いとしては、魔法は天界からイデアを無理矢理引き出すもの、魔術は精霊の力を借りるものってところかしらね。話すのはこれくらいかしら」
「うん、よく分かったよ。ありがとうリリスさん」
「ふふっ、もっと褒めてもいいのよ?」
よくもまぁ調子乗っちゃって、と思っていると、僕も一つ疑問が思い浮かんだ。
「そう言えば僕らは魔導書を使って魔法を使っているけど、竜人サイドは何で何も持っていないのに魔法が使えるんだ?」
僕の質問を聞いて、リリスはテレサさんと顔を見合わせた。
「本人に聞いた方が早いんじゃない?」
丸投げかよ。まぁ多分知らなかったんだろうけど。
「ってことらしいけどシェマグリグさんは答えてくれるのか?」
「我らは背中に悪魔の刻印を押されている。その刻印を通じて悪魔の力が注ぎ込まれ、魔界の力で魔法を発動させる」
「なるほど、っていうことは悪魔と通信が取れるのか?」
「そんなことは無い。彼らは力を貸すだけで何の助言もしては来ない。まぁ、その方が楽でいいと我は思うがな。さて、そろそろ閑話休題して欲しいところであるが」
「……なんだっけ」
宙から長い溜息が聞こえる。もしもし、聞こえてますよ。
「我を実体化させる方法だ。憑依は無理なのであろう?」
「さぁ、意外とそのまま入り込めたりするんじゃない? 霊体なんだから」
「随分適当だな……」
「やってみよう」
やるんかい。
数秒後、近くの塀の上で日向ぼっこをしていた黒猫が、いきなりどさっと地面に落下した。
「えっ、何……?」
「む……?」
そして起き上がったかと思うと、塀の上へと飛び上がる。
「出来てしまった……」
出来るんかい。
「しかし……」
僕は彼を両手で持ち上げると、隅々まで観察した。そして、一つの答えに辿り着く。
「可愛くない猫だなぁ……って痛ッ!」
彼がいきなり引っ掻いてきた。
「何すんだよ!」
「当然であろう、失礼な奴め」
「……アキラ、彼だって生き物なのですから、大切にしなければいけません」
テレサさんに撫でられ、喉を鳴らす彼。
それ、中身竜人なんですけど。
……なんか負けた気がする。
「さて、無事憑依出来たことだし、そろそろ歩き出しましょうか」
いつもよりリリスがドライに見えるのは気のせいだろうか。
さて、あっちに着いたら、彼には色々と聞きたいことがある。
……少し気に入らないが、協力して貰おう。




