◆第四十一話『元日の初詣』
「章君、明日暇かしら?」
「はい、特に予定はありませんが……」
今日、十二月三十一日――大晦日――の夜、急に電話を掛けてきたのは、他の誰でもなく、文先輩だ。
「良かった。それなら大丈夫ね。明日の朝、皆で初詣に行かない?」
「はい、構いませんが……」
「よし。それじゃ当日迎えに行くからね!」
ガチャリ。こちらの応答も待たずに電話を切る文先輩。
そんなに楽しみなのだろうか。
まぁこちらも初詣なんて行くの久しぶりだから、若干嬉しくはあるが。
「うぅ、寒い寒い……」
いそいそと暖房の効いたリビングへととんぼ返りする僕。
「章、今の電話は?」
「文先輩から。初詣行かないかって」
「……で、何て答えたの?」
「そりゃ、行くことにしたけど」
「何ですって……?」
言うと、彼女はソファーから立ち上がり、こちらを睨みつけた。
「な、何だよ……」
僕の反応が気に入らないのか、ぷいっとそっぽを向いて返すリリス。
はて、何で怒ってるんだ……?
「まぁ確かに? 私とあなたに何かしら関係があるわけでもないし? あなたが誰と居ようと勝手だけど? でも監督役として一言あっても良かったんじゃないかな、なんて思ったりする訳でね?」
「リリス、お前何言ってるのか全然わからないぞ」
「何よ、私はその程度だったってこと?」
ああ。ようやく何を言いたいのか理解した。
「リリス、お前何か勘違いしてないか?」
「え?」
僕の指摘に、キョトンとした表情を見せる。
「文先輩と二人で行くわけじゃなくて、皆で行くんだよ」
「……え? ああ……そうよね……」
彼女は気勢を削がれたのか、急に大人しくなった。そして段々と、その顔が赤くなっていく。
「……忘れて」
右手で自分の顔を覆い俯きながら、左手の腹をこちらへと向けて、彼女は一言、そう言い放った。
そして、次の日の朝、僕は家のチャイムの音で目が覚めた。
今、何時だ……?
ベッドの前の目覚まし時計で確認すると、時計の針は九時半を指していた。
……まずい。何の用意もしてない。
「アキくーん」
外から詩織の声が聞こえてくる。
一旦ベランダに出て皆の姿を確認すると、「すぐに準備する」とだけ伝えた。
……待たせるのは悪いから、朝食はカロリーメイトで済まそう。
顔を洗い、髭を剃り、歯を磨く。外着に着替えると、あとは荷物だ。財布の中身を軽く確認して……二千円か。まぁ大丈夫だろう。
軽く身支度を済ませると、玄関から外に出る。
「章君って、意外とお寝坊さんなのね」
文先輩はクスクスと笑う。
「アッキー君って、意外とお寝坊さんなんだね☆」
「屠るわよレン」
「えっ、酷い……」
相変わらず文先輩はレンに容赦が無い。まぁ、これくらい容赦が無い方がこちらのストレスもたまらないので正直助かるのだが。
しかしながら、このまま引き下がるのも性にあわないので、一応弁解だけはしておく。
「多分普段の疲れが出たんです。普段は平気なんです」
「アキくんは、こういう時だけ寝坊するんです。昔から」
……こういう言い方をされると、弁解のしようがない。弱ったな。
「いや、正月は寝坊するくらいが健康的だぜ……」
思わぬ方向から救いの手が現れたなと思い、声元に顔を向けると、今にも立ったまま寝だしそうな将大がそこに立っていた。
「なんかいやに眠そうだけどどうした」
「こやつ、『これが日本の伝統文化だ』とか言いながら桃太郎電鉄を夜通しやろうとしておったのだ。次の朝叩き起すと言っても聞かなくての……。夜通し桃太郎電鉄をやろうって誘っても誰も『うん』と言ってくれなかったらしく、後輩を無理矢理誘おうとして、それをわしが止めたので、半ばヤケになったらしいの」
随分と悲しい年明けを迎えたようだ……。出来ることなら手を合わせて拝んでやりたい。
「それじゃ行くか、峯馬神社」
「待って下さい、アキラ」
意気揚々と歩きだそうとする僕を、テレサさんが止める。
「どうかしたのか?」
「リリスはどうしました?」
「あ……」
どうやら一番のお寝坊さんがリリスであった事がこの時発覚した。
その後、前日――大晦日――のテレビのことを話しながら歩いていると、隣町の神社まであっという間に到着した。
お伊勢の里。
中規模の神社で、普段は誰も寄り付かないが、初詣でここに来る人は多く、地元に密着している。
正面の入口から、両側に縁日の出ている石畳を真っ直ぐ歩くと、目前に本殿がある。そこから右手へと歩くと、おみくじや破魔矢などの売り場になり、本殿の左後ろ、売り場の手前は駐車スペースになっている。
「お、縁日出てんじゃん」
「でも時間が遅いから甘酒は終わっちゃってるわね……」
「まずはお参りしようよ」
「うむ、わしもそれが良いと思うぞ」
それぞれが違う所に注目している。それでも一人一人がバラバラにはならず、団結を保っていれるのは、互いが互いを尊重する態度の賜物だろう。
「まぁそれが本分だしな、縁日は後でいいか」
僕は詩織に同意見だった。
ふとリリスを見ると、物珍しそうに辺りをきょろきょろしている。どうしたのだろう。
「どうしたリリス?」
「いや……実際に見るのは初めてだから、神社と縁日。結構賑わうものなのね。それになんだか視線を感じるわ」
「ああ……」
そりゃコスプレ衣装みたいなもの着て参拝してる集団が居れば目立つのは当然か……。
「じゃあ参拝のやり方知ってる?」
そんな周囲の目線に物怖じすることなく、詩織はリリスに話し掛ける。正直、これが詩織の強さだと思う。
「あまり調べた事が無いから、分からないわね。教えて貰えるかしら?」
「オッケー! まずは手水社で手を清めよう!」
「ちなみに私は知っているので大丈夫です、詩織」
「あれ? そうなの?」
「はい」
「……テレサさんって、西洋風の格好をしている割には日本のことに詳しい節ありますよね。なんでなんですか?」
兼ねてからの疑問だったが、質問するタイミングが掴めなかったものの一つがこれだ。
「日本という国が好きでしたから。天界でよく調べていました」
「そうだったんですか」
日本が好きな外国人は多いが、彼らは単に日本の闇の部分に目が向いてないだけだと思うことがある。それでも外国よりはマシそうだと、自分を慰めるが、外国に行った事が無いので、彼等とは逆の意味で僕は無知なのかもしれない。
「テレサさんは、日本のどこが好きなんですか?」
思い切って聞いてみた。聞かないと、心の中のモヤモヤしたものが消えないと思ったからだ。
彼女は少し考えるような素振りを見せて、しばらくすると質問に答えた。
「真面目なところです。日本の接客は素晴らしいですし、電車だって時刻通りに来る。治安も海外よりずっと良い。私が惹かれたのは、そういう国民性かもしれません」
それまで当たり前だと思っていた事が、ある不幸に直面した時に、「ああ、あれは幸せだったのか」と思い直す事がある。もちろん不幸は少ない方がいいけれど、不幸に直面する程幸せに敏感になるのかもしれないと、僕は思う。ただ彼女の話からこんなことを考えるのは、流石に論理の飛躍か。
「最後に柄杓を洗い流して……これで終わり!」
テレサさんと話をしている間に、詩織のレクチャーが終わったようだ。
「僕達も行きましょう」
「そうですね」
なんだか色々と考えさせられる日だと、僕はなんとなくその日の出来事に感心した。




