◆第三十八話『虚構の知識』
僕はその日、初めての鍛錬を終えた。
午前午後に渡って集中して鍛錬した結果、その日の鍛錬の終了間際には、火炎の右手の自動術式を成功させることが出来た。
そうして帰宅し、夕食を作る前に軽くネットサーフィンをして休憩しようと思い、パソコンのスイッチを入れる。
すると、リリスが思い付いたように話し掛けてきた。
「ねえ、章」
「ん? どうした」
「今まで聞いたことが無かったけど、章って、何か趣味はあるのかしら?」
「趣味か……。これといったものはないけど、強いて言えば『オカルト』かな」
「オカルト?」
僕の返答に、リリスは首を傾げた。
「幽霊とかの、怖い話?」
「それもオカルトの範疇ではあるけど、僕が調べるのが好きなのは都市伝説かな。ひとりかくれんぼとか、コトリバコとか。特に今流行ってるのは、『時空のおっさん』って話だ」
「ふーん……どんな話なの?」
彼女はこくこくと頷くと、話を先に進めようとする。
「時空のおっさんには似たような話がいくつかあるんだけど、共通の話としては、“自分以外誰も居ない世界に迷い込んで” “知らないおじさんから携帯に電話がかかってきて何故かいきなり怒られ” “やがて作業着を着たおじさんを視認すると” “いつの間にか元の世界に戻ってくる” って感じかな。そのおじさんが時の番人だとか解釈される時もある」
「……もう少し詳しくお願い出来る?」
「じゃあせっかくだから全文話すか?」
「ええ、お願い」
………………。
…………。
……。
朝起きて時計を見ると、もう十時過ぎだった。大学は九時半からだったから、結構な遅刻。俺の家は大学まで五分くらいの距離だったから、出さえしてしまえばすぐに着く。冷蔵庫の中のサンドイッチで軽く朝食を済ますと、俺はリュックを持って大学に出た。
すると不思議なことに、道中全く誰ともすれ違わない。
家の時計が狂ってたのかと思ったが、家中の時計が同じ時間に狂うはずはない。現に電波時計である僕の腕時計は、十時十五分を指していた。
その後、キャンパスに入っても、講義室に入っても、同様に誰も居なかった。身震いがしたね。流石におかしいと思った。
すると次の瞬間、携帯に電話がかかってきた。発信元には『NOBODY』と表示されている。
一応人は居たのか、と少しだけ安心すると、ひとまず僕は電話に出てみた。
「はい」
「お前、どうやってここに入ってきた!?」
「……え?」
「窓の外を見てみろ!」
促されるがままに講義室から外を見ると、グラウンドの真ん中に青い作業着を着たおじさんが立っていた。
すると突然、身体が引き伸ばされるような感覚になって、気が付いたらベッドの中で目が覚めた。
時計を見たら九時過ぎで、充分大学に間に合う時間だった。
なんだったんだろうと思いながら、冷蔵庫からサンドイッチを出して食べようとしたんだが、これが見当たらない。
まさかと思って、ゴミ箱を確認した。そしたらサンドイッチの包装が入ってた。
今でもたまに思い出すけど、あれはなんだったんだろうと不思議に思う。
……。
…………。
………………。
「こうして話してみると、その空間って『時に取り残された空間』に似てるよな」
「ただ空が赤かったりする描写が無いから、別物だと思うけどね」
「ああ、そうか。あれほど気持ち悪い空気の場所だったら、流石に描写入るよな……」
「あの場所、あまり好きじゃないのね」
「……好きな人の方が少ないんじゃないかな」
「私もそう思うわ」
ふふっ、と微笑みかけながら彼女は喋る。
あの場所の空は赤く、澱んだ空気が辺り一面に漂っている。気持ち悪いほど無臭で、無音の場所。初めて入った時は、初めて起こる状況に焦り過ぎて気にならず、二回目からは若干慣れがあったのに加えて詩織陣営がすぐ傍に居たので、恐怖こそ感じなかったが、居心地の悪さはひしひしと感じていた。
「で、それが一番好きな都市伝説なの?」
「いや、僕が一番好きな都市伝説は、『ヒトラーの予言』だ」
「……ヒトラーって、ユダヤ人を迫害した、ドイツの独裁者の?」
「そう。彼は天才的な演説の能力で民衆を魅了し、なんら不正を行わずに正当な選挙で首相まで上り詰めた」
「もし良ければ、それも聞かせてよ」
「構わないけど」
………………。
…………。
……。
――1989年以後、更なる「二極化」が進む。人間は今の段階ではなくなり、新しい形の『支配者』と『被支配者』に進化する。ごく少数の『超人』と非常に多数の『ロボット人間』だ。超人はその天才的頭脳で世界を裏から支配し、ロボット人間はそれによって与えられた世界で“自由に暮らしている”と錯覚しながら生き続ける。
進むのはそれだけでない。地球と宇宙にも大規模な変革が訪れる。「我が闘争」にも書いたが、人間はやがて思い上がって宇宙の自然を犯すため、自然によって復讐される。気候は二つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、大旱魃と大洪水に見舞われる。それらに対処する為、人々は『超人』という人種を生み出し、彼らが世界や気候、人間や戦争を治めることになる。
天変地異の下に生きる多数者、これを支配する少数者、その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する二十一世紀の世界である。
しかし我々が問題にすべきは、今から百年後、2039年のことだ。この時人類は、真の究極の状況に陥っている。
これは、何かの異変や戦争、災害の為に人類の全てが滅ぶということではない。1989年から1999年にかけて度重なる戦乱と天変地異によって、一部の国を除き、多くの国が飢える。
2000年以後はそれが一層酷くなる。2014年にはアメリカの三分の一、ヨーロッパの三分の一が荒廃し、中東とアフリカも完全に荒廃する。
しかし人類はそれでも滅びない。我がドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。その時に今の意味での人類はもう居ない。人々は進化か、あるいは退化してしまっているからだ。
進化した側を、神に近い人種として『神人』と呼んでもいい。退化した側は『ロボット人間』だ。
ロボット人間は、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない。それまでの気候、環境の異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を生み出す。
神人についても同様で、同じ突然変異から生まれてくる。ただそれがプラスの方向に働くのだ。その前段階の『超人』も、より進化して『神人』になる場合もある。
彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、神人たちの知能と力で急速に解決されていく。
……。
…………。
………………。
「それでヒトラーが何故こんな予言が出来たかというと、何かの強力な霊に取り憑かれたからだそうだ。……尤も、予言自体はほとんど外れてるけどな」
「なるほどね」
彼女は指先で髪をいじりながら、僕の話に耳を傾けていた。
「強力な霊……か。あいつならやりかねないわね」
「あいつ?」
「いや、こっちの話よ」
どうやらあまり知られたくない話らしかったので、僕はそれ以上聞くのをやめた。
「そういえば」
ふとリリスに振り返る。
「時に取り残された空間に居たままだと歳は取らないのか?」
「? ええ、取らないわよ」
「天使ってことはとんでもない歳月を生きてきたんだろ? リリスは時に取り残された空間みたいな場所にどれくらい入ってたんだ? ……リリス?」
彼女は笑顔のままで、それでも研ぎ澄まされた殺気をこちらへと向けた。
「女性に年齢を聞くような真似をするな!」
僕の頬を引っ張りながら、むくれる。
「ふひまへんへしは ほうひはへん」
「よし!」
僕が謝ると、彼女は素直に解放してくれた。
「次に聞いたら本気で怒るからね」
悠久の時を生きてきたであろう彼女であっても、年齢は知られたくないようだ。
僕は天使というものについてまた一つ詳しくなった。




