◇幕間劇五『不可視の境界Ⅰ』(将大視点)
鍛錬を終えると、外は陽が陰り始めていた。ふとスマホを取り出し、時間を確認すると、午後四時を回ったところだった。
今日の成果といえば、自動術式こそ習得しなかったものの、五感の強化能力が発現したことだろう。
しかしながら、これを活かす方法が見つからない。果たして、この能力は戦闘で活かすことが出来るのだろうか?
せめて、第六感さえ強化されているのなら、使い道はありそうだが。
さて、俺は今、文さんと帰路についている。レシムとレンは、魔導書形態だ。一応不意打ちにも対応できるように、レシムは首に下げている。
出来るだけ固まって行動するように、と言われたのは、今は脱退したミスティック・リアの命だ。が、家の方向が同じであることもあり、俺は文さんを家に送ってから帰ることにした。
それに、どうやら暗い夜道は何かが出そうで苦手らしい。
俺の服の裾を掴みながら付いてくる姿は、さながら、散歩中いきなり降り出した雷雨に怯え、飼い主に引っ付きながら家に帰る、子犬のようだった。
少しだけ、庇護心をくすぐられる。
その時だった。
それまで歩いてきた方向から、その『赤い空間』が広がり始めたのは。
「嘘でしょ、勘弁してよ……」
文さんがすっかり弱っているこの状態で。
俺達は、『時に取り残された空間』に誘われた。
「空間の中心に向かいましょう。その近くに、敵が居る筈だ」
「…………」
「……文さん?」
「……いえ、なんでもないの」
吐き出した言葉とは裏腹に、彼女は調子が悪そうだった。
「無理、しないで下さいよ」
「ええ……でも、大丈夫だから。将大君だけに、任せられないもの。私達、仲間でしょう?」
本当は苦手なこの状況で、戦闘に参加なんかしたくない筈だ。でも文さんには文さんなりのプライドがあって、それを表に出すまいとしている。俺は文さんの意志と勇気を尊重したかった。だから、俺はそれ以上何か言うことをやめた。
………………。
…………。
……。
「おかしいな……大分探した筈なんだけどな……」
いくら探しても竜人はどこにも見当たらない。
仕掛けてきているのはあちら側なのだから、あちら側から何らかのアクションがあってもおかしくないと思うのだが。
「爺さん、本当に近くに居るのか?」
「ああ、間違いない。……気配を感じる」
「いくら探しても見つからないな。隠れてるのか?」
能力によっては、姿を隠した方が効果的なこともあるだろう。例えば、遠距離攻撃に秀でた魔法とか。大抵そういう奴はかなり強いが、目と鼻の先まで接近されると、逆に弱いのがお約束なのだ。だからそういう能力を持った奴は、絶対に距離を詰めない。接近さえされなければ、完封出来ることも珍しくないからだ。
俺の能力は真っ直ぐすぎて、そういう敵には打つ手がない。
偉そうに語っているが、全部少年漫画から得た知見だ。一生腐らせると思っていたが、意外なところで役立った。
「しっかし、竜人が近くに居るのかどうかって、わかるものなんだな」
「いや、将大、それは誤解だよ」
「誤解?」
爺さんに振った話題をレンが拾う。
「ああ。守護天使の全てが竜人の気配を感じられる訳じゃない。レシムさんは、耳と第六感が特別優れているんだ」
「代わりに両目の視力は潰えたがな、はっはっ」
そのせいで相当な苦労をしてきた筈なのに、それを笑い飛ばすことの出来る爺さんの気丈さは、見習うべきだと俺は感じた。
「ねえ……」
突然文さんが会話に入ってきた。
「どうかしました?」
「足音、一つ多くない……?」
「……まさか! 幽霊じゃあるまいし」
「ちょっと歩いてみてくれない?」
文さんの指示通り歩いてみると、確かに足音が三つほどあるように感じた。
「……どう?」
「…………」
少し前進する。合わせて、文さんも付いてくる。段々とスピードを上げ、そして、唐突に止まってみる。
……ザッ。
聞こえたその足音に、思わず俺は眉をひそめた。
楽しんでいるのか……?
「一人分、多い……」
「嘘でしょ……?」
後ろを振り返った俺に隠れるようにして、さっきまで背後だった方向を見つめる文さん。
「幽霊……?」
「…………」
「将大、耳を貸せ」
「……?」
俺は手に持った橙色の魔導書に耳を近付けた。
「相手は恐らく姿を消すことの出来る能力を持った竜人だ。しかしながら、それを公然と話しても相手に警戒される。お前は黙って五感強化能力を使って、敵の位置を割り出し、一発食らわせてやれ」
「……了解」
小声で応答すると、詠唱を始める。
「大地に蔓延る精霊共よ、我が身体を覆い、その六根による六境の力を増大させよ、五感強化!」
俺の身体全体を白いオーラが覆う。同時に、五感がこれ以上無いほど鋭くなる。
「そこか! 硬化の拳!」
呼吸の音を察知し、隠れている竜人に殴りかかる。
「なんなのだ!?」
「!? 何、今の声!?」
どうやら間一髪で後ろに飛び退いたらしい。
そしてその足音は、急速に遠ざかっていった。
「あまり好戦的な方ではないようじゃな……。まぁいい、あちらの意図は読めないが、少し物陰に隠れて作戦会議といこうかの」
「竜人だったのね……ビックリした」
「文殿、悪かったの。すぐに戦闘が済むのならその方が良いと思ったのだ」
「別に怒らないわ。そういう作戦だったってだけだものね。それじゃ隠れられるようなところを見つけたら、始めましょうか、作戦会議」
文さんは、相手が幽霊ではなかった、という事実に対する安心感からか、すっかり元の調子を取り戻していた。




