◆第三十五話『帰路の奇襲Ⅱ』
「それで、姿を消せるような魔法があるのか? しかも奴は、詩織の結界をすり抜けやがった。それに、何故ここが安全なんだ?」
僕らは、リリスの忠告に従い、近所の都立高校のグラウンドの中心まで避難してきていた。“流れている時間”の中では運動系の部活動が使用している為、グラウンドは眩しいくらいのライトに照らされている。
「ええ、姿を消せて、結界をすり抜ける魔法、それは影歩きでほぼ間違いないと思うわ」
彼女の考察を受けて、テレサさんが感銘の声を上げた。
「影歩き、ですか。盲点でした。でもそうだとしたら、完全に姿を消せるわけではない反面、この時間はかなり厄介ですね……」
リリス達の話に付いていけない僕と詩織は、互いに顔を見合わせる。
「おいおい、話に置いていかないでくれ。影歩きって言うのはどういう能力なんだ?」
「私も気になる。役に立てないのは御免だもの。ちゃんと説明して」
僕らの呼びかけに先に応えたのはテレサさんだった。
「アキラ、詩織、申し訳ありません。能力の詳細は、私の口から説明します。リリスは作戦を考えていて下さい」
彼女は咳払いをすると、説明を始めた。
「影歩きというのは、影の中に身を潜める能力です。現実世界から姿を消し、影の世界へと存在を転移させる。どこに居るか判別するのは簡単です。実体がなく影だけ動いている場所を探せば良い、それだけです」
ふむふむ、とテレサさんの話に耳を傾ける僕ら。
「なるほど、だからこんな明るい場所まで避難してきたわけか。夜だから、そもそも影が見えない、確かに厄介だ……」
「それなら、私の探知結界が役に立つんじゃない?」
詩織の提案は尤もだった。しかし、懸案事項がある。
「探知結界で場所を割り出せても、影に対してどう攻撃するかだな」
「ええ、その通りです、章。敵が影の中に武器を持ち込めないとはいえ、互いに攻撃手段が乏し過ぎるのですよ。どうやらお相手は、素手で殴ることが攻撃手段のようですが……」
全員の目線が僕の上腕二頭筋に集まる。
「……非力ね」
「悪かったな非力で! というか変なところから会話に参加すんな!」
「失礼しました、ですがアキラでは、素手で殴り合っても勝ち目が無いことも事実でしょう」
「……事実ね」
「ちょくちょく入ってくんな! もうお前いいから黙ってろ!」
「……続けますね」
リリスとの掛け合いを見事にスルーし、強引に話を進めるテレサさん。
「しかし、影に対しての攻撃手段は打撃しかありません。そこで、どうすれば良いか、それは……」
「「それは……?」」
僕と詩織はテレサさんの続く言葉を固唾を飲んで見守る。
「……リリスが考えている最中です」
彼女の言葉を受けて、僕らは何も無いところで転けそうになった。
その後、リリスはそれなりに成功しそうな作戦を思い付き、僕らはそれを実行に移すことにした。
まず、僕と実体化したテレサさんが囮になり夜道で待機する。
「……来ましたね」
テレサさんが小声で僕に話しかける。
詩織が予め探知結界を周囲に張っておき、その中心地でテレサさんと待機。そしてテレサさんの覚醒能力“通視”で詩織と感覚を共有する。そして何も知らずに近付いてきた竜人を不意打ちで狩る、というものだ。
……下衆い作戦だが、戦場なら仕方がない。
「だけど、本当に影に転移してるんだね。地面からしか生命力を感じない」
感覚を共有している詩織がテレパシーで話し掛けてくる。詩織は今、万全を期して、近くの民家の中に身を隠している。
「……来るよ、備えて」
僕は右手を空に向かって掲げた。
……不意打ちが成功するのは、一回だけ。
「三、二……」
身体全体に緊張が走る。
「一、ゼロ!」
詩織のカウントダウンが終わると、僕は目を瞑り、大きな声で一気呵成に呪文を唱えた!
「光をもたらす彼が悪魔よ! 我が生命の力を代償として、この場の闇を祓い、眩い光で満たせ! 輝く光源!」
僕の掌の先に魔法陣が現れ、そこから太陽のような光源が召喚される。閉じなければ、確実に目がやられる強力さの輝きだった。
そして、一メートルほど前方の地面に、不自然な影が現れる。
「なんだこの大きさ……!?」
目の前には、優に二メートルは超えるかと思われる巨大な影が現れていた。
「関係ないわ! やっちゃいなさい、章!」
深呼吸し、精神状態を調える。そして僕は、右手を影の元の位置に向かって構えた。
「我が血潮は心臓を巡り、全身を巡り、脳髄を巡れり。満たされよ器、満たされよ霊魂、満たされよ気魂。大地に巣食う精霊どもよ、生の力を汝らに与う。与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ。焼き尽さん、火炎の右手!」
僕の手の先に現れた魔法陣から、うねる様にして火炎放射が繰り出される。
そして、その火炎の影がほぼゼロ距離で竜人の影にぶつかり、彼は五メートルほど奥へ吹っ飛ばされた。
「がっ、はっ……!」
影の口から吐瀉物が吐出する。恐らく血反吐だろう。
「駄目です! 致命傷になっていません……!」
「そんな、不意打ちはもう効かないわよ!?」
致命傷になってない……?
そりゃそうだ、あの巨体じゃ、無理もない……!
冷や汗が頬を滑り落ちる。
このままだと反撃に転じられ、あの巨体で渾身の一撃を繰り出されてしまうだろう。
……そうしたら、一巻の終わりだ。
考えろ、考えろ……。何か手立てはないか……?
地面に張り付いた敵に有効な攻撃手段。
脳がフル回転し、周りの人間達の会話がスローモーションに見え始め、やがてその全てがシャットアウトされる。
そして、暗闇に満ちた意識の中、一閃の如き電流が僕の脳天を貫いた。
……そうか。
今度は、竜人の影へと直接掌を向ける僕。
「章……?」
リリスが訝しげに僕の名前を呼ぶ。
多分、これで終わりだ。
僕は目を瞑り意識を集中させると、その呪文を唱えた。
「火炎の紅盾!」
竜人の影の上に魔法陣が現れ、そこから炎が噴出する……!
「ア"ァ"ア"ァ"ァ"ア"ア"!」
彼の魔法が解け、その壮大な全身が顕になる。
「でかい、しかも、なんて筋肉質なんだ……。こんなのとタイマン張って、勝てる筈がない……」
周囲が呆気に取られている中、僕だけが彼の鍛え抜かれた肉体に感銘していた。
そして、そうこうしているうちに、やがて彼の精魂は尽き、亡骸だけがそこに残った。
「霊魂転換」
僕が彼の前で呪文を唱えると、光を散らしながらその身体は消失していった。そして彼の心臓の当たりから捕らわれていた魂が現れ、天に向かって消えていく。
「……ブラボー」
リリスは呟くようにして言い放った。
「戦闘終了」
彼女が唱えると同時、僕らは元の世界へと帰還した。




