◇幕間劇四『麻夜の過去』(麻夜視点)
私は、世界というものを知らなかった。
世界を認識する為の、内的要素が私の頭の中には足りなかった。
何故なら、私は普通の教育というものを、まともに受けたことがなかったのだから。
物心付いた時、母は既に居なかった。
生まれてくる前に、父も既に居なかった。
引き取り先もなかった私は、気が付いたら孤児院で暮らしていた。
『ミスティック・リア 養育局』という名の怪しげな孤児院は、私達にいたく過酷な魔術の鍛錬を強いた。
その頃のミスティック・リアには、まだ教育を受けていない孤児たちを集めて、厳しい鍛錬を積ませるプロジェクトがあった。イメージ力を鍛えたり、古代の呪文の発音を覚えるのは、早い方が都合が良かったのだという。
私はそこで、魔術の英才教育を受けた。十数年後に訪れる、世界の危機では、それが何の役にも立たないとは知らずに。
時に取り残された空間では、魔術の使用が制限されている――というより、滅菌状態の研究室のように、魔術に必須の精霊が存在しない。よって魔術の使用は不可能で、天界のエネルギーを借りた、魔法を使うことのみが可能なのである。
なら一層、そんなものを習ったところで、とうとう実社会には何のメリットもなかったのでは――とお思いだろうか?
“戦闘”という一点において、魔術師一人は莫大な戦力になる。
私達、孤児院のエリート魔術師は、軍の秘密兵器もといミスティック・リアの資金源として、未来的に利用されようとしていた。
魔術には色々なものがあるが、正式なもの――つまりは白魔術――には殺傷能力はない。宗教に関する魔術で正式なものは、全てが白魔術に分類される。意外に思われるかもしれないが、魔術的要素の全く無い宗教というものは存在しない。
だがしかし、それが黒魔術となると話は変わってくる。表立って活動すると、宗教団体に弾劾されてしまう。ミスティック・リアが秘密結社である理由は、ここにある。
さて、話を孤児院のことに戻そう。私達は昼間に厳しい訓練をこなして、風呂に入ると、それから寝るまでが唯一の自由時間だった。
私達には遊具として一組のトランプとボードゲーム、パズルが与えられていた。
ミスティック・リア側からすれば、頭の体操も兼ねていたのだろうが、私達にとってはこの自由時間が、一日の生活の中で至福の時間だった。
私達はそれで遊び、集団部屋で消灯までの時間を過ごした。
そこで私は、いつも未来という子と一緒に将棋を楽しんでいた。
お互いに大した腕ではなかったのだが、ルームメイトの中では私達が一番強く、また私と彼女は拮抗した実力を持っていた。だからだったのだろう、私が本を読んでいると、彼女は必ず対局に誘ってきた。
私は少しずつ彼女と打ち解けていった。
十八歳になり、一人前の魔術師となった私たちは、早速、中東の紛争地に飛ばされることになっていた。
私が皆と同様に荷物を大型のリュックサックに詰めていると、ふと未来が話し掛けてきた。
「また機会があれば、ここで会いましょう」
彼女が差し出した手を、私は強く握った。未来もまた、私の手を強く握り返した。
彼女は予知能力者で、その能力の特性からミスティック・リアに留まり、本部に異動することになっていた。
準備が済むと、私と仲間達は『施設』のワンボックスカーに乗せられて船着場に向かった。
だが、向かう途中で、監視役の『施設』の職員が、無線で意味深な連絡を受けた。
「JA1MTR、こちらJA1NNS、JA1MTR、応答せよ」
車に取り付けられた無線機器のマイクを取る職員。
「こちらJA1MTR、JA1NNS、どうした」
「こちらJA1NNS、実験的に行った能力の行使で未来がとんでもない預言を告げた。盗聴の危険性があるため、詳しくは着いてから追って報告する。至急帰還せよ」
「こちらJA1MTR、了解した」
無線が切れると、職員はUターンして「施設」へと踵を返した。
「何かあったんですか?」
移送役の職員の人は舌打ちをすると、こう応えた。
「私にだってわからん、とにかく、蜻蛉帰りだ」
そして『施設』に着くと、私達は寮の集団部屋に戻された。
そこで真っ先に目に入ったのは、虚ろな目をして宙を見つめている未来の姿だった。
「……未来?」
私は彼女が心配で、その姿を見るや否や、即座に話し掛けた。
「未来、ねえ、未来!」
身体を揺さぶっても一切反応しない未来。静まり返る室内。
どうしようかとあたふたして周りを見渡すと、私は部屋の中に、少し厚めの本がぽつんと落ちているのが目に入った。
手に取ると、頭の中に声が響き渡った。
「お前は、誰だ?」
「……っ!?」
私は驚いて、思わずその本を投げ出した。
「酷いことを、するんだな……」
「あなたは、誰!? 未来は、未来はどうしちゃったの!?」
「あいつの魂は、竜人との戦いに敗れたせいで、Anneheg送りさ」
「ノガルドティアン? アネヘーグ!? 意味わからない! あなた何者なのよ!?」
「落ち着け、一から話してやる」
「ねえ、麻夜……」
ルームメイトの声で、周りがざわついていることに気付く。
「あなた、誰と話しているの……?」
彼女は訝しげに問い掛けた。
「お前ら、招集だ! すぐに会議室へ向かえ! ……何をしている?」
「未来が話し掛けても何も返してこないの!」
「麻夜が本と会話し始めたのよ! 未来は死んだみたいに動かないし……どうなってるのよ!」
「なんだと!?」
職員は無線を耳に当てると、他の職員と話し始めた。
「……ああ、適合者だ」
*
私はその魔導書から、未来のこと、そして、幻想戦争に対する様々な知識を得た。
未来が竜人に襲われ、魂を彼らの世界Annehegへと連れさらわれたこと。戦争が終わるまで生き残れば、一つだけ、願いを叶えられること。
『願いなんて要らない、私は未来を救い出せればそれでいい』
これが私の本心だった。
そしてこの事件の後、ミスティック・リアと守護天使たちの橋渡し役として、私だけが日本に残った。




