◆第二十八話『迷宮と召喚』
「何が……一体何が起こっているのです……? No.6にこんな力が……? いや、これはこの空間の性質なの……?」
建物全体に魔獣が出現したことで、人々はパニックになり、場は騒然としていた。そして、意外にも麻夜さんは、その例に漏れなかった。
「とりあえず研究員の人達をここに避難させましょう! 詩織ちゃん、あなたは結界で安全地帯を作り出して! 文、あなたは能力で小型魔獣の陽動をしながらここに誘導を! 将大、あなたは大型魔獣を捜し出して叩いて! 章は私と異形召喚を探し出して叩くわよ!」
果敢にも、僕達に即興の指示を下すリリス。僕らは互いに顔を見合わせて、頷きあった。
「了解だ!」「わかりました!」「オーケー!」
たとえ魔導書形態でも、リリスの存在は変わらずに大きい。そう僕は実感した。
「恐らく既に脱走した異世界迷路が研究棟内を迷宮にしている筈。全体の様子を見る為に警備室へ行きたいところだけど、研究員の人達の避難を優先しましょう!」
「か、勝手に指示を出さないで戴けますか!」
麻夜さんが仕切り役となったリリスに不満を漏らす。
「……伊達に百年以上生きていないわ。こっちは戦闘のエキスパート、守護天使なの。悪いけど仕切らせてもらうわ。あなたも避難を手伝うべきよ、麻夜」
リリスは敢然とした態度で麻夜さんを諌める。それを受けて、麻夜さんは抜の悪そうな顔をした。
「行動開始! 行くわよ章!」
「お、お待ちなさい!」
不意に麻夜さんの声が裏返る。まだ異存のありそうな彼女を置いて、僕らは迷宮と化した研究所内部に足を踏み入れた。
ちらほらと見かける小型魔獣を炎撃で倒しながら、無闇に探索をする僕ら。
「この迷宮の攻略に、策はあるのか?」
「いえ、ないわ」
「……は?」
あまりに拍子抜けした返答に、僕はポカンと口を開けた。
「じゃあなんで策があるみたいに言ったんだよ!」
「あの場だとああ言うしかなかったのよ! まずは安心させないといけないでしょう! 余計パニックにしてどうするのよ!」
「はぁ……」
呆れて思わず溜息をつく僕。
「右手法は使えないのか?」
「研究所の性質的に独立した区画がある可能性が高いわ。恐らく無理でしょうね」
「前回の方法は?」
「天井があるから不可能」
「…………」
「…………」
「打つ手無し、か……」
今度は二人揃って溜息をつく。
そして、考えること二十数秒。
僕は、あることを閃いた。
「異形召喚って、名前と状況からして魔獣を召喚するんだよな?」
「ええ、そうだけど?」
「……制御って、難しいのか?」
「こんな時に何聞いてるのよ……」
もしリリスの姿が見えていたら、間違いなく不快そうに眉をひそめている姿が見えたことだろう。
「いいから! 答えてくれ!」
「本人には危害は加えないだろうけど、基本的にそこまで忠実にはならないわよ。もし異形召喚に仲間が居ても、大型魔獣なら、それを理解出来ずに襲ってしまうでしょうね」
「異世界迷路もその例に漏れないのか?」
「ええ、恐らく。でも、なんでそんなことを訊くの?」
「……小型魔獣の進んでくる方向から判断するのは?」
「なんですって?」
リリスは驚嘆の声を上げた。
「異形召喚はともかくとして、異世界迷路は大型魔獣に襲われる危険性があるんだろ? それなら前みたいな安全地帯に一緒に隠れないと、自分まで襲われちゃうじゃないか。だから、迷路のゴールに二人の竜人が居る可能性が高い。だから、異形召喚が居る、召喚の中心地がゴールだ」
「…………」
「……リリス?」
「いい案ね。嫉妬しちゃうくらい」
リリスがにやりと笑っている姿が目に浮かぶ。
「それでいきましょう!」
「オーケー、じゃあ中心地に向かうぞ!」
3.
「中心地に難なく辿り着いたのはいいが、随分とでかいガーディアンが居るもんだな。思わず壁の裏に隠れちまった」
砦の前には、鎖で繋がれた、五メートルもあるかという大きさのトロールが、棍棒を携えて待ち構えていた。
「詩織のサポートが無いと、完全詠唱は無理そうね……」
「私のサポートは不要ですか?」
「うわっ!」
突然背後から現れる麻夜さんに、露骨に驚く僕。
「陽動くらいなら、お手の物ですよ?」
「麻夜さん、つけてきたんですか?」
「不祥事を起こしてしまった側の立場として、黙っている訳にはいきませんので」
彼女なりの責任感なのだろう。何故か竜人にはやたら冷たいが、頼りになる存在だ。
「ええ、有効に利用させてもらうわ」
「臨むところです」
麻夜さんは小野小町を彷彿とさせる雪のように真っ白な顔に、一種の妖艶ささえ感じさせる、麗しげな笑みを浮かべた。
「麻夜さんの能力でこの中に入ることは出来ないんですか?」
「私の能力には制限がありまして、知人の三メートル範囲内か、一度訪れた場所でなくてはいけないのです。ですから、こうして後をつけてきたのです」
「なるほど。正面突破しか出来ないってことか……」
「私が囮になりますから、章様たちは完全詠唱をお唱え下さい。それで突破致しましょう」
「いい案ね、乗るわ」
「いつまでも隠れている訳にはいきません。参りましょう」
言うと、麻夜さんは魔獣の前へと躍り出た。
「いくわよ、章」
「ああ」
麻夜さんは瞬間移動能力を駆使して空中への転移を繰り返し、トロールの気を引き付けている。
攻撃を間一髪で何度も躱しているところを見ると、飛び抜けた動体視力と反射神経を兼ね備えているのだろう。
「空中にも瞬間移動できるのか……」
僕は思わず感心してしまった。
囮役を彼女に任せ、ゆっくりと手をトロールに向かって構えると、大きく息を吸い込んだ。
「我が血潮は心臓を巡り、全身を巡り、脳髄を巡れり。満たされよ器、満たされよ霊魂、満たされよ気魂。大地に巣食う精霊どもよ、生の力を汝らに与う。与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ。焼き尽さん、火炎の右手!」
直径一メートルにも及ぶ火炎流がトロールに向かってうねりながら伸びて行く。麻夜さんはこちらに背を向けているにも関わらず、余裕を持って、それを能力で躱してみせた。
そして彼女は、どうですか? と言わんばかりの自慢げな顔をこちらに向けた。
「それではこの扉をお開けください、章様」
トロールが守護していた大きな扉を開けると、中には一人の――そう、一人の――竜人が待ち構えていた。麻夜さんはすぐさま異世界迷路を縄で拘束して、簀巻きにする。
「残念だったね、異形召喚は逃げた後だ。迷路の魔法が解けても、警備室はここから遠いよ?」
「すぐに魔法を解きなさい」
片足を竜人に乗せながら、右手で縄の縛りを強くする麻夜さん。
「オーケー、オーケー。解くよ。解くからやめてくれ」
空間が歪んだと思うと、しばらくして元に戻り、研究棟は元の様相を取り戻したようだった。
「さぁ向かえよ、警備室に! 僕はわざわざ対角線上にある一番遠い場所にゴールを配置したんだ!」
「おやすい御用です」
「……なんだって?」
「境界を統べし者よ! 我は天界の認めらるる者なり! 霊界の理に従い、我が霊体とその器を虚ろの空間へと転移させよ! 空間変異、瞬間移動!」
唱えると、麻夜さんがその場から姿を消した。
そして、一分後。
彼女は、縄で縛られた異形召喚を手土産に戻ってきた。
「案外、役に立つものでしょう?」
彼女の作り物の人形のような微笑みを、僕は素直に華麗だと思った。




