◆第二十三話『危険な実験』
僕達は暗がりの階段を上がり洋館に戻ると、連絡通路を通り、研究棟に案内された。
真っ白な壁と床が印象的で、清々しい程の無臭。滅菌が隅々まで行き届いている印象を受ける、清潔感のある化学工場のような場所だった。洋館は二階までであるのに対して、こちらは三階まであり、喩えるならば一般的な公立の中学校の、約半分ほどの大きさをしていた。
僕らは『経過観察室』というプレートが掲げてある部屋に通された。そしてガラス張りの窓から、隣やや下方に位置する実験室が見えた。観戦席のような作りだ。そこからは、様々な器具が取り付けられていく竜人の様子が見えた。
「どんな実験が始まるの?」
文先輩が麻夜さんに質問を投げかける。
「竜人の脳を制御して、時に取り残された空間に人為的に侵入しようとする実験です」
「竜人さんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫……とは?」
詩織の問いかけに対して、更に問いかけで返してしまう麻夜さん。
「怪我したり、しないよね?」
「仮に失敗したところで経過観察室の私達には何の影響もございません」
詩織の質問に答える彼女の態度は、驚くほど淡々としていた。しかも、返答が詩織の意図を汲んでいない。
「麻夜さん、そうじゃないと思う」
返答が質問の意図と違うにも関わらず、折れてしまいそうな詩織のカバーに入る僕。
「詩織は僕達の身を案じてるんじゃなくて、あそこに居る竜人の身を案じている筈だ」
「それならもっと問題ありません。今後のためにも、丁重に扱うつもりでございます」
にこりとした笑顔を詩織に見せる麻夜さん。
まただ、この作り笑顔。彼女の竜人に関する感情表現は、急に偽物になる。何故この人は、こんなにも竜人を嫌っているのだろう。
そんなことには気付かず、詩織はほっと胸を撫で下ろしているようだ。
「…………」
テレサさんは無言で麻夜さんを睨みつけている。それを知ってか知らずか、麻夜さんはそしらぬ顔で冷徹な態度を貫き通していた。
「始まりますよ」
麻夜さんの言葉を皮切りにして、室内にサイレンが鳴り響く。怯えている詩織を、テレサさんが肩を持って元気づけているのが見えた。対してリリスは、腕を組み神妙な顔付きで実験室を眺めている。そして僕を含めた他の面子も、リリスに習って実験室を眺め出した。
「意外と落ち着いておるな、貴奴は」
「あまり苦痛を伴うものでもなさそうね」
冷静過ぎる二人に、僕はあまり良い気がしなかった。
相変わらず詩織は怯えており、テレサさんが背中をさすっている。
一方将大は逆に、食い入るように見つめている。
「おい、あれ……」
将大の指差す先で、竜人の周りの機械から脳に何かーー恐らく電気信号だろうーーが流れ始める。
すると、突然竜人を中心にして景観が紅く変貌し始めた……!
「成功した……!」
文先輩の興味はどこか危険なところはあったが、研究者同様に喜ぶ姿は、僕を少しだけ怯え上がらせた。
お約束とばかりに魔道書形態になるリリスたち。
「セルッケン・ウト・ムオフスナルト」
将大が何やら唱えると、魔導書形態のレシムさんが小型化して首飾りに変化した。
僕は少し驚いたが、気にしている余裕も無かった。
そして二回目のサイレンが鳴り響く。
「またサイレンか……」
「二回目……? そんな筈はございません。いや、まさか……!」
突如、猛獣の雄叫びが鳴り響く。
咄嗟に実験室内を見ると、魔獣――恐らくキメイラ――が出現している。
「研究者の皆様、お逃げ下さい!」
騒然としている室内で、麻夜さんの携帯が鳴り響く。
「はい……功栄様。……ええ、はい。分かりました」
携帯をポケットに戻す麻夜さん。
「皆さん、応戦して下さい! 私は竜人を保護します! 文さんは研究者の方々を避難させて下さい! 緊急時の為の地図を渡しますので! 詩織さんは実験室内に結界を張って!」
言い残すと、麻夜さんは能力で実験室へと転移した。
「怖い、怖いよ……!」
テレサさんが光を放ちながら、覚醒状態になり実体化する。
「詩織、落ち着いて下さい」
彼女は詩織の肩を持ち、諭すように話し掛ける。一方、文先輩は、研究者達を先導する為に早々とその場を出ていってしまった。
「嫌だ、怖い、怖い!」
半泣きで泣き叫ぶ詩織を見て、思わず赤子の泣くそれを連想するほど、彼女は冷静さを失っていた。
「詩織、落ち着いて」
テレサさんが肩を揺さぶるが、依然として詩織のパニック状態は解けない。彼女の動揺が周りに伝染しかけたその時、テレサさんが溜息をつくと、刹那、室内に大きな打音が響き渡った。
直後、静まり返る一同。
「詩織、こちらへ来なさい」
テレサさんが手を引いて、経過観察室のガラス張りの窓へと連れていく。
「実験室を見て下さい」
彼女の言葉で、詩織は赤い目で室内を見つめた。
「魔獣が暴れて実験室の外に出ようとしています。あれが外に出てしまうと、下手をしたら犠牲者が出てしまうかもしれません。詩織……」
彼女は詩織の肩を持ち、その真摯な瞳で詩織の目を捕らえる。
「あなたの能力で、未然に犠牲を防ぎなさい」
嗚咽をしながら、詩織はいじらしく、彼女の言葉に応えた。
「っひぐっ、分かった、分かったよ、テレサ」
テレサさんが魔道書形態に戻ると、詩織は呪文を唱えた。
「結界!」
実験室内に結界が張られる。麻夜さんが中に居るが、彼女なら心配はないだろうというのはその場にいる全員が満場一致の意見だろう。
「おい! ぼさっとしてないで、俺らも支援しに行くぞ!」
「でも、どうやって行くんだ、あの部屋……?」
「探すしかないだろ!」
「その心配はございません」
麻夜さんが突然その場に姿を現す。
「直接ご案内します」
彼女が肩に手を置くと、視界が書き変わったように、僕らは実験室の結界内に導かれた。
「行くぞ、リリス!」
「行くぞ将大! 我々は前衛だ!」
「了解! 硬化の拳!」
将大が呪文を唱えると、彼の手が鋼のように鈍色になり、硬化し始めた。
「容赦しねえからな」
彼は腕を鳴らすと、助走を付けて魔獣に殴りかかった。
地響きのような魔獣の呻き声が響き渡る。
「こいつこんなでかい声出してたのか……!」
「一気に決めるわよ! 章!」
「了解!」
将大と魔獣の近接戦闘が、詩織の結界内で繰り広げられる中、僕は呪文を長々と唱え始めた。
「我が血潮は心臓を巡り、全身を巡り、脳髄を巡れり。満たされよ器、満たされよ霊魂、満たされよ気魂きこん。大地に巣食う精霊どもよ、生の力を汝うぬらに与う。与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ。焼き尽さん、火炎の右手!」
龍のような火炎流が、魔獣に一直線に向かっていく。将大は咄嗟にそれを避けてみせ、魔獣は大声を上げながら、光を放って消滅した。
そして、僕らは時に取り残された空間から見事脱出した。




