◇幕間劇二『斬新な防御Ⅱ』(文視点)
必死で命からがら逃げてきた私たち。体力のある将大君はともかくとして、私は肩で息をするほど呼吸が乱れていた。
近くの公園に入り、ベンチでしばらく一休みしつつ、作戦会議をすることにする私たち。
「さて、うまい具合に逃げ切った訳だけど……」
見事逃げ切ってから、最初に話し出したのはレンだった。
「ちょっ……と……待って……! 呼吸を……整える時間を頂戴……!」
「情けないなぁ、あややんは」
「燃やすわよ……! 馬鹿……!」
疲労困憊状態の女子に気遣いも出来ないなんて、男としてどうなのかしら!
「しかし、あの魔法は一体なんだったのかの……。レン殿、何か心当たりは?」
「うーん、多分あれは旧天界語だね」
即座に答えるレンを、私は黙って少しだけ見直した。
「旧天界語……ああ、聞いたことがある。確か詠唱を隠すための一つの手段であった筈だ。だが、解読方法を聞いたことがない。リリス殿が居れば良かったのだが……」
「いや、解読自体は楽だよ、レシムさん。ただ、紙と鉛筆がないと、ちょ〜っとだけ、わかりにくいけどね☆」
せっかく活躍してるのに、おちゃらけたキャラのせいで台無しね。
「御伝授願おう」
「暗号解読ってやつか? 面白い話になってきたじゃねえか」
将大君が会話に参加し始めた。
「あややん、彼の詠唱の呪文は覚えているかい?」
突然話を振られて、戸惑う私。大分呼吸が落ち着いてきた。
「えーっと、確か……」
必死で頭をフル回転させる。しかし、思い出せない。
「って、あんな意味不明な言語覚えてるわけないじゃない!」
「それは悪かったね、あややん。正解は、『グニリーハ・トゥナトゥスニー』だよ」
「恥じることはない、幻月文。だが、次からは覚えられた方が利口ではあるだろうな」
レシムさん、それは余計なお世話よ。
「これをローマ字で発音記号風にして書き出そう」
木の棒で地面に文字を書き出すレン。
「gniriiha tnatsnii、だね。次はこれを逆向きにする。iinstant ahiiring。そして読んでみる。イインスタント・アヒイリング。あとは発音に近い英単語を探す。あややん、君はわかるね?」
頭の程度については、ある程度の信用を得ているらしい。私は、自分の見解を早速示した。
「インスタント・ヒーリング。言ってみれば、即席治癒ね」
「流石だ。やはり君は頭が良い」
「べっ、別に褒めても何も出ないわよ!?」
珍しく私のことを褒めるレンに対して、動揺を隠し切れない私。
「ぷっ」
将大君が思わず吹き出す。
「何よ」
それに対して私は、苛立ちの篭った視線を投げかける。
「いや、何でもない」
「なら、いいんだけど」
それでも将大君は含み笑いをしている。ちょっと癪だわ。レンと仲がいいとでも思われてるんじゃないかしら。
「和ましい雰囲気のところ悪いが、閑話休題といこうではないか」
「いや、和ましくはないと思うよ、レシムさん」
「とりあえず魔法の特定が出来たな」
レンをスルーして話し続けるレシムさん。レン本人もあまり気にしていなさそうではあった。
「魔法名は、『即席治癒』。恐らく、人間本来に備わっている治癒能力を、急激に高めるものだろう」
「なら、武器を使う必要があるね」
「武器を使う……?」
将大君は顔をしかめている。
「なんだ将大、不服なのか?」
「俺は戦いで武器を使う趣味は無いんだ。俺が習ってるのは現代武道であって古武道じゃない!」
どうやら彼なりのこだわりがあるらしい。
「将大、これは戦争なのだ。相手を倒さなければ自分が倒される世界なのだぞ? 大人になれ、将大」
レシムさんが将大君を諭す。
「それに、竜人を倒さなければ、彼らが連れていった魂は解放されないのだ」
「なら、私がやるわ」
「は……?」
将大君は目を大きくしてこちらを見ている。
「私がやるわ、将大君は陽動をして」
「あややん、それは滅茶苦茶だよ!」
「将大君がやらないのなら、私がやる」
「冷静になろうよ、あややん」
今度はレンが私を必死に諭してくる。
堂々巡りしている議論を、押し黙って見ていた将大君は、しばらくして口を開いた。
「いい、文さんにやらせるくらいなら、俺がやる」
「やっとやる気になったか、将大」
「だけど、どこにそんな武器が……」
「私が持ってるの」
「文さんが!?」
将大君は大きな声を出して驚愕している。
「そんなに驚くことかしら?」
「いや、優等生の文さんが……」
「あややんの能力は戦闘には不向きなものだからね、護身用のナイフは持たせているんだ」
「これをジャックナイフを、あなたに授けるわ」
私がダウンジャケットの中に隠し持っているナイフを、将大君に渡す。
「お、おう……」
彼には明らかに引かれてしまったが、なりふり構っている状況でもないので、気にしないことにした。
「それじゃ、竜人の元に戻ろうか」
「そうだな、行くとしよう」
「戻るって、どうやって?」
うまく戦線離脱出来たことはいいが、逆に竜人の位置がわからなくなってしまっている。
「それは問題ないよ、あややん」
私の質問に、レンが答える。
「僕達守護天使は、第六感が良く発達している。竜人の位置も、ある程度はわかるんだ。だから、探し回ればそのうち探せる」
「その逆も有り得ることを、君達は知らなかったのか?」
道角から竜人自らが現れた。それを見て、レシムさんが荘厳な声で笑い出す。
「探す手間が省けた、獲物が自ら現れおったわい!」
レシムさんは小気味よさそうだ。
「獲物はこの場合、貴様らのことだというのがわからないのか? 猿人」
挨拶とばかりに、ナイフを投げてくる竜人。
「硬化の拳」
将大君は呪文を唱えると、恐るべきことにそれを手で掴んでみせた。
「ナイフ程度で傷つけられるほど、俺の魔法もヤワじゃねえよ?」
「相当な硬さみたいだね、これは驚いた」
将大君の行動に、驚きを隠し切れないレン。
「じゃあ、行かせてもらおうか!」
お互いに距離を一気に詰める竜人と将大君。
竜人はナイフを投げるのを止め、近接戦闘に力を注ぐ。
「恐らく、投げられるナイフが切れてきたんだろうね」
とんでもない硬さの皮膚で、ナイフに素手で応戦している将大。
ナイフを使う暇すらなく、ただ時間だけが経過している。
「おい将大……」
「爺さん今話しかけんな……!」
「支援しよう、あややん!」
「わかったわ!」
私はイメージをする為に念を集中させると、呪文を唱えた。
「精神幻覚!」
本からピンク色の靄が発生する。
「はっ!」
それに対して、竜人は後ろに後退した。
「あの靄さえ吸わなければいいのだろう!」
それに合わせて、将大君が接近する。
「今だ!」
将大君は、私が授けたナイフで竜人を斬り付けた。
「ふんっ」
だがその直後、相手の手持ちのナイフではね飛ばされてしまった。
そして、せっかく付けた切り傷は、即席治癒ですぐに治癒してしまった。
「将大、切り付けるということではない、刺さないと意味がなかったのだ!」
「万策尽きたか、猿人め」
勝ち誇って、竜人は笑う。
「……これ、勝ったよ、あややん」
「え……?」
これの何処が勝ったというのだろう。これで戦況が泥沼化したというのに。
「仕方が無い、お前のやり方でやれ、将大!」
「おうよ!」
「はっ、やって見せるがいい!」
再び肉弾戦が始まる。両側が一点も譲らない戦い。あまりに速く洗練された二人の動きに、私は魅入ってしまった。これは空手の動きだろうか?
しばらく何の進展もしない二人の戦いだったが、やがて竜人の動きが鈍ってきた。
「なんだ……これは……?」
「破ッ!」
将大君が再び打ち込むが、またすぐに治癒してしまうのだろう。……と思っていたら、竜人は仰向きになって苦しみ始めた。
「うがっ……ぐっ……あっ……!」
「これは……どういうことだ……?」
「ヒ素だよ、レシムさん」
衝撃を受けているレシムさんに、答えるレン。
「あややん、君が『人道的じゃない』って言うと思って黙っていたんだけど、このナイフ、先端にトリカブトが塗られていたんだ。だから、切り付けるだけで良かったんだよ」
「レン、何故黙っていた……?」
「隠してあった方が緊張して成功率が上がるからね、あえてだよ。さっきのを見てればわかっただろうけど、切り付けるだけでも、充分難しかった筈なんだ」
「なるほど、騙すのは味方から……という寸法か」
しばらく倒れてもがき苦しんでいた竜人は、文の呪文により、白く輝く丸い光体──連れていた魂──を解放すると、黒い靄を出しながら消滅した。
「戦闘終了」
レンが唱えた直後、赤みがかっていた空と周りの景色が、通常の状態に戻り始める。
「さて、ようやく終わったね、戦闘が」
「そうだな、これでまた霊が解放されたわけだ」
「…………」
私が戦闘終了直後に見た将大君は、彼らしくないもので、ただ俯いて唇を噛み締めていた。




