◆第二十一話『突然の迷路』
翌日の朝。目を覚ますために、わざと窓を開け、爽やかで冷涼な外気に触れる。そして、深呼吸をして朝の新鮮な空気を胸いっぱいに送り込む。これは、朝起きてから行う、ちょっとした日課のようなものだった。最後に窓を閉めて伸びをすると、今日も爽快な一日の始まりだ。
朝食を食べ、身支度を調える。
ミスティック・リアの要求を飲むことにした僕とリリスのペアは、ミスティック・リア支部局を訪れる前に、詩織の家に立ち寄ることにした。
インターホンを押してしばらく待つと、中から現れたのは詩織だった。
「アキ君……」
寝不足だったのか、詩織の目の下にはクマが出来ている。
昨日の様子では詩織とテレサさんの意見が食い違っていたので、どういう結論に帰結したのか、僕はかなり気になっていた。
「色々話し合ったんだけどね、私アキ君と同じ道を選ぶことにしたよ」
二階から誰かが降りてくる音が聞こえる。
「あんなに強情な詩織は初めて見ました。アキラだけを行かせる訳にはいかないと、聞かなかったのです」
奥から現れたのは実体形態のテレサさん。若干、呆れ気味に見える。そんなに話が長引いたのだろうか。
「アキ君の行く場所に、ついていくって決めてるんだよ、私」
「……え?」
詩織の言葉に一瞬ドキッとする僕。
「幼馴染みのよしみだからね」
続く詩織の言葉に、僕は落胆と安堵を併せ持った複雑な感情を抱いた。
「……ありがとな、詩織」
それでも、感謝すべきことに変わりはない。
「うん!」
この時の詩織の笑顔は、まるで降り積もった雪を溶かす太陽のようだった。
僕は心が暖まるのを感じた。
*
ミスティック・リアに向かう最中のことだった。
ふいに、ある場所を中心にして、周りの景色が赤みがかったものに変貌し始める。
「ッ、まさか!?」
魔導書形態になってしまったリリスを咄嗟に手でキャッチする僕。一方詩織の方は、キャッチすることが出来ずにテレサさんを地面に落としてしまった。
「ご、ごめんね、テレサ!」
「詩織、少し痛いですが、大丈夫です。それより早く拾って戦闘に備えて下さい」
相も変わらない彼女のクールな対応に、僕は思わず感心してしまう。
……さて、気を取り直して。
「とりあえず、竜人を見つける為に、中心地を目指そう」
「そうですね、アキラ。こちら側から見つけると都合がいい」
頷くリリスと詩織。僕はテレサさんとのペアの方が少なからず上手くいきそうだと内心で思いつつも、さすがにリリスに失礼なので、口には出すことはしなかった。
「……あれ?」
詩織が何かに気付いたようだ。
「ここ、一本道じゃなかったっけ?」
目の前の道を見ると、先程まで道だった部分が塀になっている。
思わず全員が戸惑い、顔を見合わせた。
「リリス、この魔法に心当たりはありますか?」
淡々とした口調で喋るテレサさんの質問に、リリスが答える。
「……恐らくは、異世界迷路。一筋縄ではない迷路を作り出し、魔力を吸い取りながらじわじわと追い詰める。そして、生命力を搾り取り、死に至らしめる」
「その迷路というのは、どれくらいの範囲なんです?」
「魔力量にもよるけど、およそ、半径百五十メートル」
「半径百五十メートル!?」
僕は思わず大声を上げた。
「遊園地じゃないんだからさ……。そんなの攻略出来るのか?」
「右手法を使いましょう」
「右手法……?」
リリスに用語の意味を問う僕。
「迷路っていうのは、丁寧に直していくと、一本の線になるの。だから、右手を壁に付けながら歩くと、必然的にゴールに辿り着ける。上から見て確認出来ない、こういう大き過ぎる迷路には持ってこいの作戦よ。一度通った場所をまた通るようなミスを避けられるし」
「リリスさんって、本当に凄いね」
どうやら僕と詩織はお互いの守護天使を尊敬しているらしい。
「フフッ、そうかしら?」
リリスは小気味が良さそうだ。相変わらず調子が良い。
「じゃあ早速始めましょう」
*
しばらく右手法を使っていたのだが、一向に進んでいる気配がない。
「あれ? ここ、前にも通らなかった?」
「どういうことでしょう? おかしいですね……」
「まさか……」
「どうかしたのですか? リリス」
リリスが重大なことに気付いたらしく、大きな声を上げた。
「この区画は独立していたのかもしれない」
「独立していた? つまりはどういうことなんだ?」
「つまり、私達はある区画をずっと一周してたってこと。右手法を使うことが、これで出来なくなった。相当広い区画だから、全く気付かなかった……」
「じゃあ地味に攻略するしかないってことか?」
「ふぁあ……」
詩織があくびをしている。こんな時に何惚けてるんだか。
あれ、でも僕も少し眠いな……。
「詩織、あくびをしている場合では――」
「なんだか身体がだるくて。とても眠いの」
「まさか……!」
テレサさんの真に迫る声音は、僕らの空気に大きな緊張をもたらした。
「体内魔力が尽きてきている……?」
「大分搾り取られたみたいね。これ、まずいかもしれない。急がないと!」
リリスは頭を抱えているようだった。
「まさか迷路で独立した区画を生み出すなんて……。これが一つではないとしたら、地味に攻略するしかなくなる。その間に魔力を完全に搾り取られて、意識を失ったらおしまいよ……?」
場がお通夜のような雰囲気になる。
怖いほどの静寂が、辺りを包み込んでいた。
しばらくして、沈黙を破ったのは、テレサさんだった。
「リリス、良いことを思い付きました」
「良いこと……?」
「覚醒状態になりましょう」
「……つまり?」
リリスはテレサさんが何を考えているのか理解出来ていないようだった。
数秒黙り込んだ後、彼女は全てを理解したらしく、口を開いた。
「そういうことね!」
「何!? どういうこと!?」
「……どういうことなんだ?」
二人には通じたようだが、僕と詩織は話にすっかり置いていかれている。
「つまり、覚醒状態になって、私が上から俯瞰すればいい訳です」
「……章はまだ知らなかったわね。彼女の能力は“通視”。対象に手を触れることで、自分と感覚を共有する能力なの。そして、他の人の視界をジャックしたり、ある程度、遠くの光景を見ることも出来る。テレサが実体化して空から迷路を俯瞰して、それを章に見せて、攻略すればいい」
「攻略法、そんな簡単だったのか」
拍子抜けした結論に、僕は驚き呆れた。
「でも、それなら直接空からゴールに行けば早いんじゃ……」
「それは無理ね。この迷路は、見えない天井が存在するから。霊体である私たちならともかく」
「……なるほど」
「それじゃ、時間の無駄だから始めてしまいましょう」
魔導書形態から実体形態になるテレサさん。
「手を繋ぎましょう。光景を送り届けるには、直に触れないといけないのです」
テレサさんが真ん中になり、右に僕、左に詩織が来る形で手を繋ぐ。
「作戦開始です」
頭の中に、もう一つの視点が添加される。それは白昼夢を見ているような感覚で、目から見えるものと、頭に思い浮かぶものの二つが、僕らには見えていた。
予想以上の迷路の大きさに、驚嘆する僕ら。
「この迷路、こんなに広かったんだ……」
詩織は目を大きくしている。
「進みましょう」
僕達は頭の中に浮かぶ視界を元にして、迷路を一直線に進み始めた。
その後、僕達は何の苦難もなく、あっさりと迷路を攻略し、ゴールでふんぞり返っている竜人の元へと辿り着いた。
「まさか!? そんな筈は……」
余程迷路をクリアしたことが予想外だったらしい。
「詩織、結界で捕らえましょう」
「わかった」
即座に、手のひらを竜人へと翳す詩織。
「結界の檻!」
周りがガラスのような透明な壁に囲まれ、中に閉じ込められる竜人。
「意外とあっさり済みましたね」
竜人を確保し、胸をなで下ろす僕ら。
「とりあえず、この機械、使ってみるか」
僕は、ミスティック・リアから貰った携帯で、支部局に電話をかけた。
「もしもし」
出たのは大人びた女性だった。
「竜人を確保しました」
「わかりました、すぐに向かいます」
言うと、向こうはすぐに電話を切った。
「どうだったのかしら?」
「すぐに来るらしい」
「え、どうやって……?」
すると、宙からいきなり現れる、メイドの格好をした淑女。手に持つは、黒色の魔導書。
「「「「!?」」」」
全員が驚嘆の表情を浮かべた。
「驚かせて申し訳ありません。これは私の能力、空間転移です」
スカートの裾を上げ、その淑女は丁寧にお辞儀をする。
「挨拶遅れました、私の名前は藍原麻夜。ミスティック・リア支部局の『縛り役』を担当しております」
彼女は白と藍色のメイド服を着用しており、髪は三つ編みで前髪はパッツンだ。可愛いとも美しいとも形容しがたく、あえて言うとすれば、彼女は格好がいい。
「結局、『縛り役』って何なの?」
詩織が問いを投げかける。
「今からお見せします。……空間の箱庭」
麻夜さんが呪文を唱えると、空中に直径30㎝程度の魔法陣が現れ、彼女はそれに手を突っ込んだ。
そしてそこから鉄の棒をいくつか取り出し、それを組み立ててプレハブの檻を作り出した。
「どなたかわかりませんが、一回術を解いて下さい」
「わかった」
麻夜さんの指示通り、結界を解く詩織。
すると麻夜さんは、瞬く間に竜人を縄で縛りあげ、檻の中へと空間転移させた。
「これで、一件落着ですわ」
どこか凄みを感じさせるその微笑みには、妖艶な魅力がある。
彼女はおもむろに呪文を唱え、彼が捕らえていた魂を解放した。
「戦闘終了」
次にリリスが唱えると、僕らは元の世界へと帰還した。




