◆第十六話『灼熱と氷結Ⅱ』
「まずは作戦に最適な場所を探しましょう。出来るだけ死角が多くて、探知結界の張りやすい場所。探知結界を張るための条件は?」
「必ず一度は八隅のうち四隅以上に印を付けること、です」
リリスの質問に、テレサが丁寧に応えた。
「張れる最大の大きさは?」
「最大で……ですか」
しばらく黙り込むテレサさん。魔導書形態の彼女の様子は見えないが、もしかしたら、右肘を左の掌で押さえて考えているのではないか。そんな想像を、僕は巡らせた。
「詩織、私自身は確認していませんが、今の技量でどの程度の探知結界が張れますか?」
「うーん……周囲二十メートル立方くらい、かな」
「じゃあ、外の歩道橋の、本屋の下辺りが最適なんじゃないか? あそこなら、隠れられる場所も多い」
この街には、下のバス停群を覆い尽くすほどの巨大な歩道橋が存在している。ところどころに下の道に降りる階段があり、死角となる場所はかなり多い。その中でも、僕が指した場所は僕にとって最適の場所だった。
「恐らくそうでしょうね。詩織の体力を回復させる為にも、出来るだけ時間は稼ぎたいところだわ」
「まずは四隅を先に訪れておきましょう、リリス」
「そうね、テレサ、それがいいわ」
二人の仕草が見えないのが、僕としては結構残念だった。
息を切らしながら歩を進める詩織。
「大丈夫か、詩織……」
「大丈夫、話をしている間に少し回復してきたよ」
「無理だけはするなよ?」
「大丈夫、大丈夫だから」
彼女は気丈に振る舞いながらも、その表情から疲労感を拭い去ることは不可能に近かった。
「次は歩道橋の下だね」
「それで終わりです詩織、頑張って下さい! 結界を張ったら後はかかるのを待つだけですから……」
「…………」
リリスが不機嫌そうに睨みつけている姿を、僕は見逃さなかった。
「何で不機嫌そうなんだ、リリス」
詩織に聞こえないくらいの音量で、魔導書形態のリリスに囁く。
「さぁ、なんででしょうね」
予想通り、御機嫌斜めの態度で彼女は返してきた。
それを受け、少々の間考えた末に、僕はある結論を導き出した。
「……さてはお前、自分の話した作戦が受け入れられなかったから不機嫌なんじゃないか?」
「……そんな筈ないでしょう、成功するかもしれないんだから」
「何か裏で考えてるのなら言うべきだろう」
僕はある意味でリリスのことを殊に信用していた。僕を欺ききれないと悟ったのか、彼女は、苛立ち気味に独白し始めた。
「いいわ、正直に話しましょう。この作戦、成功しないと思うわよ」
鬱憤を心の内に溜め込んでいたのだろう、そのカリカリした口調からは、明らかな苛立ちが滲み出ていた。
「成功しない……?」
「……私の目測だと、また逃げられるわ」
「根拠は?」
「氷結魔法は不意打ちに適しているから。あの量の氷刃で連携を断つことに魔力を費やしておきながら、詩織を倒そうとした時にも大量の氷刃を放出していた。相手の魔力に相当な余裕があることは間違いないわ。あちらは不意打ちで一発当たれば勝利。私が相手の立場なら、ヒットアンドアウェイを繰り返して、相手を消耗させてから潰しにかかるわ。だから恐らく、次も簡単に逃げてくる、これだけは間違いない、と、私は思うわ」
リリスは一気呵成に独白した。
「これ以上詩織が消耗したら……!」
「下手したら死ぬかもしれないわね」
それはあまりにも、冷淡な口調だった。
「なぁリリス、何で詩織のこと邪険にするんだ?」
「……別に邪険になんかしてないわよ、可愛い子じゃない。私、ああいう子は嫌いじゃないのよ」
「じゃあ何で……」
「……あなたにはわからないでしょうね」
僕は御機嫌斜めのリリスの様子を気にかけるより、先に彼女の見解を詩織たちに知らせるべきだと考えた。
丁度良いタイミングで、歩道橋の下、四地点目の場所に辿り着くと、早速詩織は呪文を唱えた。
「我は天界の加護を受く者なり。大地に巣食う精霊どもよ、霊気を以て我が目となり鼻となり耳となれ。結界感覚」
精一杯の力で呪文を唱えると、詩織はその場に座り込んだ。好機だと思い、抱えられている魔導書形態のテレサさんに小声で話し掛けた。
「テレサさん、リリスの見解を話しておきたいんですけど……」
「はて、リリスの見解……?」
何故今更そんなことを、と思ったのだろう。テレサさんは訝しげに応えた。
「リリスの見解だと、もしかしたら――」
「…………!」
一瞬、詩織の身体が座礁して、僕はそれに吊られて一驚した。
「どうかしたんですか、詩織……?」
「竜人が五時の方向から接近してきてる……!」
「章、臨戦態勢!」
小声で僕に勧告するリリス。僕は深く頷いてそれに応答した。
「詩織、方向を手で指差せば早いのでは……?」
「わかった! ……小声で距離も指示するね」
五時の方向を指差す詩織。
「十五メートル……十四メートル……」
少しずつ指先の方向が四時の方向へと変化していく。
「出来るだけ引き付けなさい、章」
「わかってる」
「相手も気付かれないように音を立てずに近付いてきますね……」
場に緊張が走る。
「八メートル……七メートル……六メートル……五メートル……」
「章! 今!」
「火炎の右手!」
詩織の指差した方向に、全力で火炎を放射させる僕。
「つっ……!?」
喘ぎ息を漏らす竜人。しかし、竜人は咄嗟に飛び跳ねてそれを避けてみせ、間もなく逃走を始めてしまった!
「やっぱりじゃない……!」
舌打ちをするリリス。
「……結界!」
詩織は即座に反応して、なんと超広範囲の感知結界をバリアーに転換させた! 竜人は結界に閉じ込められ、逃げることが出来ずにいる。
「行って……! アキ君……!」
詩織の言葉を皮切りに、僕は全速力で階段を駆け登った。
「急いで! 無茶をしたせいで早速結界が途切れかけています!」
背後からテレサさんの、僕と詩織に対する激励が聞こえる。
「章、詠唱から始めなさい!」
「えっ……?」
「いいから、早く!」
「……わかった!」
僕は大きく息を吸い込むと、魔導書リリスを開き、呪文を唱えた。
「我が血潮は心臓を巡り、全身を巡り、脳髄を巡れり。満たされよ器、満たされよ霊魂、満たされよ気魂。大地に巣食う精霊どもよ、生の力を汝らに与う。与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ。焼き尽さん、火炎の右手!」
早口で詠唱を終えると、半径一メートルほどの、破格の大きさの魔方陣が現れ、莫大な量の火炎が放射された。
「な、なんだこの量……!?」
その莫大な量の火炎は詩織の途切れかけていた結界を破壊し、内部に閉じ込められていた敵まで、見事到達してみせた。
竜人は倒れ、僕は捕らわれていた魂を呪文で解放する。
「霊魂転換」
彼女の身体から白い輝きを放つ『魂』が解放されると同時に、それは、どす黒い光を放ちながら消滅した。
「戦闘終了」
紅く染まっていた周りの景観が、竜人を中心にして、鮮やかさを取り戻していく。
そして元の世界に還ると時を同じくして……詩織が、道端に倒れ込んでしまった。




