◆第十五話『灼熱と氷結Ⅰ』
元の女性服売り場まで戻ると、床に落ちていた魔導書形態のリリスは、案外簡単に回収出来た。
しかし、詩織とテレサの姿がない。
「詩織たちは?」
「お手洗いに行くって言ってたわ」
「まず合流しないと……! どこのトイレだ?」
「女性服売り場の角、エスカレーターがあるところよ」
「すぐそこか、早く行くぞ!」
詩織の身を案じて、全速力で合流しようと駆け出す僕ら。
目的のトイレの前に到着すると、突然反対側から突き刺さるような氷の刃が押し寄せてきた。
「章、危ない!」
「火炎の右手!」
右手に張り付くように魔法陣が現れ、竜巻のような火炎が手から放射される。身は守れたものの、その氷壁とも呼べるその巨大な氷の塊を崩すには、火力が足りなかった。向こうから舌打ちの音が聞こえ、その後、敵が反対側から逃げ去っていくのが辛うじて見えた。
「あの野郎……」
「この氷壁はさすがに崩せそうにないわね……。安否の確認だけしてちらを追いかけましょう」
リリスの判断は冷静そのものだった。そんな彼女と居ると、まるでその態度が伝染するかのように、こちらも不思議と落ち着いてくる。
「詩織! テレサ! 聞こえるか!?」
大声で氷壁の向こうへと呼びかける。
「アキ君、大丈夫! 私たちがここに居ること、気が付いてないみたいだから、早く追いかけて!」
「だってさ。行くぞリリス!」
「そうね!」
こうして僕らはショッピングモールを駆け回り始めた。
しかし、奴がなかなか見つけられない。
ついに僕は膝に手をつけながら小休憩することになった。
くそ、捜すだけで体力使うなんて、燃費悪いにも程があるぞ!
「あいつ、本当に、どこ行ったんだ……」
荒い息を漏らしながら、思わず独りごちる。
「さっきの氷撃を見るに、一撃でこちらを葬り去ろうとしたんでしょう。魔力の消費も相当したでしょうから、不意打ちでも狙ってくるんじゃないかしら」
「じゃあ相手の不意打ちを待って反撃に出るしかないのか?」
「今は夕刻だからね、こちらが火炎魔法を使ったら気付かれるけど、相手は氷撃だから不意打ちには適しているでしょう」
「その間に詩織が襲われた場合は?」
「それは――」
「キャアアアァァァアァ!」
突如として、館内に響き渡る悲鳴。
これは、詩織の声だ!
「早速かよ……!」
「急いで向かいましょう!」
詩織が閉じ込められていたトイレ付近に来ると、先程の氷壁が壊され、すっかり崩れ落ちていた。
「詩織……?」
中を覗いても、どこにも居ない。
無論女子トイレの中だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「どういうことだ……?」
思いがけない出来事に、僕は少しだけ不安になった。
「章、エスカレーター付近で詩織の気配を感じるわ! 悲鳴が上がった場所、ここじゃない!」
「ぐっ……くっ……!」
よく耳を澄ますと、近くから詩織のうめき声がうっすらと聞こえてくる。
「あっちか! 早く助けないと……!」
リリスの指示通りの場所に来ると、詩織が結界魔法で、繰り出される氷の刃を、必死に防いでいる現場に遭遇した。
「耐えて下さい詩織……! アキラの気配がすぐそこまで来ています!」
「……ッ章!」
「わかってる!」
僕は右手を対象に翳し、呪文を唱えた。
「火炎の右手!」
右手から放たれる火炎流。それを間一髪で飛び跳ねて回避した竜人は、再び豪速で逃走した。
「ヒットアンドアウェイを繰り返す戦法みたいね」
「厄介にも程がある」
「でも丁度いいわ。作戦会議をしましょう。流石にしばらく警戒して襲ってこないでしょう。休憩も兼ねるべきだしね」
僕と詩織は近くのソファーに腰掛け、改めて話し始めた。リリス達は魔導書形態のままだ。
「まず第一の事項として、詩織達のグループと分かれないことがあるわね」
「さっきみたいなことになると困るからな」
「……ありがとうございます。リリス、アキラ」
姿は見えずとも、声色と態度から、頭を下げているのが伝わってくる。魔導書形態の彼女は、淡い水色をしていた。
詩織の方は、ぐったりとうなだれて、じっと休息していた。
「大丈夫か、詩織……」
「この様子だと長時間の休憩が必要でしょうね」
リリスが決然とした口調で言う。
「正直この状態で戦闘に入るのは無理があるんじゃないか? どこか安全な場所で休憩させるべきだ」
「……それはむしろ危険なのです、アキラ」
テレサさんが話しに割って入ってきた。
「私達、守護天使の場所はある程度竜人に感知されるのです。足手まといかもしれませんが、詩織に同行して下さい」
テレサさんの語気が強い。僕は誤解を解くことに努めた。
「いや、足手まといだから切ろうってわけじゃないんだ。ただ、詩織の安全を確保したいと思ってる」
「……そういうことですか」
「そろそろ話しを進めてもいいかしら?」
リリスがせかせかと言う。
「大丈夫」
「どうぞ、リリス」
彼女は咳ばらいをすると、続けた。
「まず、相手はヒットアンドアウェイを基本にして攻撃してくる。恐らく、こちらの魔力切れか、体力切れを狙っているんでしょう。だから、次に来た時に逃げられると困るわけ。そこで詩織ちゃんの結界の出番よ」
「リリス、こちらの能力を詳しく説明した覚えはないのですが……」
「結界魔法くらいなら頭に入ってるわ。マイナーだけどね。あれは確か――」
「これ以上詩織を使うことはないだろう」
詩織の体力を配慮していないリリスの提案に、僕は思わず喧嘩腰になった。
「アキラ、落ち着いて下さい」
テレサさんに諭され、クールダウンする僕。
「僕達だけで、どうにかすべきだ」
「リリス、私も少し最適解過ぎる気がします。詩織の体力を考慮しましょう」
「…………」
リリスが黙りこくると、その場全体が静かになった。沈黙を破ったのは、意外にも詩織だった。
「……検知出来れば、いいんだよね?」
「詩織! 無理して話す必要はありません!」
「いや、防御結界じゃなければ大丈夫なの。探知の結界なら、平気。こうしようよ。私が周囲に検知用の結界を張るから、アキ君達はそれで位置を特定して、こちらから攻撃をする。体力的には余裕無いけど、休んでいていいのなら検知用の結界を張るのは簡単なの」
「そう上手くいくとも思えないけどね」
不機嫌そうに毒を吐くリリス。
「とりあえずそれでやってみるしかないんじゃないか?」
「……魔力的に余裕はあるのかしら?」
「ええ、リリス。最悪一回失敗しても大丈夫です」
「それなら、やる価値はあるわね」
リリスは素っ気ない態度で応答する。
「やりましょうか、その作戦」
「やろう!」
「御意です」
「やるか」
こうして僕らは、作戦を決行するに至った。




