◆第十二話『記憶の想起』
「何、この写真?」
アルバムから舞い落ちた、一枚の写真。一人の幼女と幼かった頃の僕が、仲よさげに写っている。
リリスはそれを見ると、不思議そうに拾い上げた。
「家族写真のアルバムだから、章、妹が居たのね。でもこの子、他のページには写っていなかったけれど」
「…………」
窓を開けて換気をしている最中の寒々しい室内で、一粒の冷や汗が頬から伝い、やがて零れ落ちる。
詩織が何かを察したようにこちらを見て神妙な顔持ちでしばらくの間黙り込んでいた。
「アキ君……どうする?」
詩織は心配そうにこちらに目を向ける。
焦りすぎて、何も頭に思い浮かばない。
思考不可能な脳内で、僕は直感に頼って回答することにした。
「全て話すよ」
「!」
詩織は驚愕していた。
その一方、リリスは、先程から怪訝そうな顔をこちらに向け続けている。
僕らの会話の意味が分かりかねるのだろう。
「なんで……? アキ君絶対に話したがらないのに、なんでリリスさんに!?」
「いや、いつかはリリスに話さないといけないと思ってたんだ。詩織に事情は……今は話せないけど、これはリリスに話すべきことなんだ」
ごめん、詩織。やっぱり、こんな非現実的な話を、お前にすることは出来ない。もし信じてくれたとしても、きっと凄く心配するだろうから。だから僕は、あえて今は言わないことにするよ。
詩織はいまいち納得出来ていない様子だったが、リリスの神妙な表情を見て、態度を改めた。
「アキ君が話せるなら……私は構わない」
「ありがとう、詩織」
詩織の言葉を受けて、リリスは顔をほころばせる。
「……これは、僕の妹の叶。五年前に……事故で亡くなった」
「……事故?」
リリスは眉をひそめた。
一方詩織は、僕らの様子を黙って見ている。
「話をする前に、適当に座ろう。少し、長くなるから」
二人は僕の勧めに素直に応じ、カーペットの上に座った。
「あれは、暑い夏の日のことだった……」
……。
…………。
………………。
あれは僕が10歳だった頃。
僕は両親と5歳年上の凛姉ちゃん、2歳年下の妹の叶の五人暮らしだったんだけど、僕らは幼い頃に両親を亡くして、叔父家族に引き取られた。叔父家族の人達は仲良くしてくれたけど、勉強にはシビアだった。
「お兄ちゃん、今日は何の日か覚えてる?」
妹は意味深長に聞いてきた。
「え、知らないよ、そんなの」
「……お兄ちゃん、本気で言ってるの?」
この時、塾に向かう時間がギリギリであることに苛立ちを感じていた僕は、妹の言動が鬱陶しかった。
「今忙しいから後にしろよ!」
正面から怒鳴ると、叶はこの世の終わりかのような表情をした。僕の言動に大きくショックを受けたようだった。
「もういい! もう、いい。私もうお兄ちゃんなんか知らない!」
こうして叶は、突然家を飛び出していった。
その後僕は、塾に行くか、叶を追いかけるかどうか迷った末に、非道にも、叔父を恐れて塾に向かった。
でも授業に集中出来ずに、僕は体調が悪いと言って早退した。
外はすっかり真っ暗だった。バスを待ち、家に乗って帰るまでの時間が、とてつもなく長く思えた。
乗っている途中で、携帯に電話が掛かってきた。姉からだった。
「家の明かりが付いていないから何かと思ったら、叶が家にいないの! あんた心当たりない?」
僕はギクリとして、何も言えなかった。
「それ……本当か?」
「今日ケーキ買ってきたのに!」
「……まさか……まさか!」
その日は、叶の誕生日だった。叶の誕生日は、帰りが遅い叔父夫婦の代わりに、毎回僕ら子供達で祝って、可愛がっていた。しかし、塾に通うことになったこの年に、僕は初めて祝うことを忘れた。それどころか、怒鳴って追い返してしまった。
「あんた何かしたんじゃないでしょうね!?」
「…………」
僕はあまりの後ろめたさと、怒気の含んだ姉の声への畏れから、しばらくの間黙りこくった。
「なんとか言いなさいよ!」
「……してないって言えば、嘘になる……」
悪びれて、小声で打ち明ける。
「この馬鹿! いいから帰ってきたら捜すの手伝いなさいよ!」
「……警察には電話したの?」
「したに決まってるじゃない!」
そして僕は帰るまでの間、嗚咽が出る程泣いた。バスの車内では、乗っている人たちから、憐憫の目が向けられた。理由も分からなかっただろうに、世の中捨てたもんじゃないな。
家に帰ると、リビングで泣いている叔母が目に入った。
「叔母さん! 叶、見付かった!?」
「まだ見付かってないわ……。同級生の家にも居ないそうよ。ああ、どうしましょう、このまま見つからなかったら……」
「……僕……僕、探してくる!」
「ちょっと! 危ないからやめなさ――」
僕は叔母の忠告を最後まで聞かずに、玄関に鞄を置いて叶を探しに家を飛び出した。
「叶ー! 叶ー!」
近所付き合いの少ない都会では、近隣の住民に捜索を頼むことは難しい。でも叶のクラスメイトの家に連絡は行っているだろうから、見つかるのは時間の問題の筈だ。
僕は、叶が以前、家出した場所を知っていた。
近所の公園の、ジャングルジムの中。
「叶……?」
僕はジャングルジムの中を覗き込んで、静かに呼び掛けた。
「……居ない」
僅かな手掛かりが、無くなった。
僕は段々と、不安になり始めていた。
焦る気持ちで、ふと公園の出口を見ると、街灯に照らされた叶が、とぼとぼと歩いているのが目に入った。
入れ違いだったのかもしれない。
「叶ー!」
僕は全速力で、道を挟んだ叶の下へと駆けて行った。
「叶、ごめん! 僕そんなつもりじゃなかっ――」
「危ない!」
こちらに全力で駆け出す叶。
突き飛ばされる僕。
「え……?」
左方の視界には、運送用のトラックが映る。
僕が後退すると同時に、トラックが叶の小さな身体を、吹き飛ばしながら、右側へと追いやっていく。
僕が受け身を取るのと同時に、叶が宙を舞った。
………………。
…………。
……。
「叶は意識不明の重体だった。叶はそのまま――息を引き取った」
「…………」
「…………」
重苦しい空気に包まれる室内。時計の秒針の音だけが、僕らに時の流れを感じさせた。
「僕はもう一度、あの日をやり直したいと思ってる」
「やり直すなんて、無理だよ……。出来る筈ないよ、アキ君!」
詩織が哀れみの視線を向けてくる。
「いや、こいつはそれを可能にしてくれる。そうだろ? リリス」
目に涙を溜めながら僕らの話を聞いていたリリスは、はっきりと、こう答えた。
「死者蘇生は……出来ない」
「不可能? そんな……話が違うじゃないか!」
僕は無慈悲にも、目に涙を溜めたリリスを怒鳴り付けた。
「な、何を言ってるの? 意味わかんないよ……。おかしいよ、アキ君!」
詩織が表情と態度で批難してくる。
僕はそんな彼女の様子を見て、逆に冷静になるべきだと、出来る限り自分をコントロールした。
「信じられないかもしれないけど、リリスは契約と引き換えに、願いを叶える力を持っているんだ」
僕の見るからに真面目な態度と、一見不真面目そうに思えるその言動に、詩織は目を大きくする。
「信じられるわけ、ないか……」
この時、僕は一人友人を失ったと錯覚した。
「信じる、私信じるよ、アキ君」
「え……?」
予想外の反応に驚き、リリスと顔を見合わせる僕。
「アキ君の言葉だからじゃ、ないよ?」
詩織のよくわからない言動に、僕は困惑した。なら、どんな理由があるというのか。
「何、意味不明なこと言ってるんだよ……」
「だって私――」
続く言葉を想像して、まさか、と、僕らは息を呑んだ。
「魔法士……だから……」




