◆第十話『第一の刺客Ⅱ』
リリスとの作戦会議後、僕は再び竜人に対峙していた。
周りの開けた土地、母校である中学校の校庭。
「どうも生命の断たれた感じがないと思えば、まだ生きていたのか。悪運の強い奴だ。しかし、まさか獲物自ら殺されに来るとは」
吐き捨てた後、彼は不敵な笑みを浮かべた。
万が一にも敗北することの無いように、作戦内容を頭の中で反芻する。もうリリスの魔法は使えないのだから、負けるということは、遅かれ早かれ死に直結している。
だがしかしこの時、僕はもはや死を恐れる気持ちより、目の前の相手に負けたくない、という気持ちの方がずっと強かった。
「一つ訊きたいことがある」
「どうした、冥土の土産に答えてやろう」
憎悪の篭った眼差しを向けながら、僕は問う。
「あの魔法士、お前、どうした……?」
「ああ……あのバカか」
竜人は小気味よさそうに話し始める。
「自分が負けているのにも関わらずヒーロー気取りなのが鼻についてな」
奴は口角を上げ、吐き気を覚える程の気持ち悪い笑顔を浮かべて、こう答えた。
「なぶり殺してやった」
「お前……!」
怯むことなくそう吐く竜人に、より一層怒りと嫌悪感を強める僕。
「途中から何も言わなくなってな。命乞いの一つでもしてくれたら面白かったんだが、どれだけ痛めつけてもこちらが期待するような反応はしてくれなかった。本当に、強くもない、面白くもない! 奴に生きる価値は無いな。だから、もう要らないと思った直後に頭を潰して魂だけ頂いた。まぁ表に出ないまでも、相当苦しんで死んだはずだが」
竜人は、なんの悪びれもなく独白した。
何の感情の起伏もなく、さもそれが当たり前の行為とでもいうような、吐き気のする邪悪。
僕はその台詞を聞いて、静かに、怒りと悲しみと激情が身体を駆け抜けた。
身体全体からエネルギーが放出される。
「章の怒りにイデアが呼応してる……!」
「リベンジを望むか、いいだろう。少し貴様が欲しくなってきた」
深呼吸をする、その、『倒すべき目の前の敵』。
「全ての我が気魂を我が霊魂で繋ぎ、我が器を中心にして、その影を複数の位置で現せ。分身幻覚!」
彼が呪文を唱えると、スライドするように彼の姿が四方八方に広がっていく。気がつくと僕は、周囲三百六十度を、彼の幻影に囲まれていた。
「これでは仕方なかろう!」
作戦通りにやれば、絶対に大丈夫。僕は自分自身にそう強く言い聞かせ、リリスの指導を、出来るだけ鮮明に思い出した。
*
「……本体を簡単に見分ける方法?」
僕はぽかんと口を開けてリリスを見る。魔導書形態の為、彼女の表情は読めない。
「そんなものが、あるのか?」
「ええ。アグネグ・レッポードは、分身魔法というより、分身幻覚魔法なの」
「それはつまり、本体しか実体がない……?」
「その通り。本体以外はホログラムのような感じだと思えばいいわ」
僕に対して人差し指を向ける。どうやらリリスの癖らしい。
「実体がないということはつまり、本体以外を警戒する必要がないということ」
「それはかなり意外だ。大して恐れる必要が無いってことじゃないか」
「だけど、一撃でも当たると致命傷よ? 本体を攻撃出来なきゃ意味がないんだから」
「それも……そうか」
肝心なところで抜ける自分を戒める必要があると思い、自らの頬を叩く僕。これは死に直結する戦いなのだ。目を覚ますどころか、覚醒するくらいで丁度いい。
「それで、見分ける方法っていうのは?」
「“音”よ」
「『音』?」
「そう。幻覚っていっても、音まで擬装出来る訳じゃない。彼の足音と、鎧のすれる音に耳を澄ませればいい。対処としては簡単でしょ? だけど見分けられなければ……一発アウトね」
アウト――つまりそれは……死。
簡単に死なせてくれる保証なんてない。
苦しみ抜いて死ぬ可能性だってある。
少なくとも奴は……そういう人間だと思う。
それでも、やるしか無いのだ。
僕はもう誓ったんだ。
叶の死も、そして恐らく死に至ったあの魔法士の人の死も、絶対に無駄にしない。
恐怖からなのか、あるいは武者の如きそれなのか、身体の震えが止まらなかった。
僕はふと姉の事を思い出し、深呼吸をして、目の前のことだけを考える。
深呼吸すると、医学的にも心が安定すると、姉が教えてくれた。
この命は、僕だけのものじゃない。
そう思い、決意を固めると、不思議と勇気が生まれてきた。
行こう。リリスを信じて、勝てばいいのだ。
……叶のためにも。
「……それだけ押さえておけばいいんだな?」
立ち上がろうとする僕を、制するリリス。
「まだ終わりじゃないわよ」
まだ何か考えがあるのだろうか。
「対処としては、それで終わりじゃないのか?」
「火炎の右手の操作の仕方を練習する必要があるでしょう。あんなの見れたものじゃないわ」
随分と厳しい言い方をされたが、その口調のひたむきさに、僕はその言葉を素直に受け入れる気になった。
「……確かに。じゃあこれからしばらく炎撃の操作の練習か?」
「五秒よ」
「五秒?」
「さっきの戦闘で魔力は大分使ってしまったからね。これ以上、練習なんて名目で、大量に使うべきじゃないわ。だからコツだけ教えるから、五秒だけ実践練習するわよ。しっかり覚えておいて。コツは、流撃を縄や鞭だと思うこと」
「縄や、鞭……」
「やってみなさい」
リリスに促されるがままに、右手を前方へと翳し、左手でもう一方の手を支えるように構える僕。
「与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ。焼き尽さん、火炎の右手!」
翳した掌に張り付くようにして半径五十センチ程の魔法陣が現れ、そこから火炎の流撃――火炎の右手が繰り出される。
その炎撃は、二の腕を動かすことで、鞭のようになびきながら、少しずつその流動を変化させた。
リリスの合図で、火炎の放出を止める僕。
「イメージは付いたかしら?」
「……なんとか。でも、鎧姿だったのに炎撃が効くか……?」
「大丈夫。じゃあ最後に、狙えれば、狙うべき箇所を言うわね。場所は……」
きっとえぐい場所だと思い、思わず身構える僕。
「みぞおちよ」
*
「これでは仕方なかろう」
周りを完全に幻影に囲まれたが、この程度で怯んでいるようでは、誰も助けられない。何しろ彼に捕われた魂を救出するには、この戦いに勝つしか方法が無いのだ。
「章、むしろ好都合よ。どの角度からなのか、はっきりとわかる。絶対に勝てるわ、信じなさい」
リリスの応援に、深く頷く僕。
「行くぞ」
周りの『幻の』軍勢が、時に跳ね、時に陽動しながら、四方八方から接近してくる。
僕は目を閉じ、周りの物音に神経を集中した。
――右斜め後方。
「五時の方向だ!」
「同意するわ!」
まだ方向が分かっただけで完全には見分けられてはいないが、早めに攻撃をしておくに越したことはないだろう。
僕は身体の向きを変えると、右腕を構えた。
「与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ! 焼き尽さん、火炎の右手!」
構えた右腕の掌に一メートルもの魔法陣が現れ、大規模な炎撃を放出する。
音の方向的に疑わしい三体全員を相手にしようとして、失敗を繰り返す僕。凄い身のこなしだ。特定しなければ、絶対に当たらない……!
もう距離に余裕が無い――そう思って諦めかけた瞬間。
「…………!」
突如として閃きが脳髄を駆け巡る。
火炎の右手をあえて上方へとずらし、竜人の幻影――とその中に存在する一人の本体――をよく観察する僕。
「あいつだ!」
約二秒後、僕は本体を特定した。
炎撃をなびかせ、そのみぞおち――鎧の隙間――に、当て続ける。やがて彼は、そのあまりの熱さに耐えられなくなると、全ての幻影が消え失せると時を同じくして、その場に崩れ落ちた。
竜人はうめき声を上げながら、目を丸くしてこちらを睨む。
「何故、わかった……? この数で、見分けられる筈が……」
「『音』と、“影”……そして、砂埃だ」
「…………!」
「鎧が擦れる音、そして足音で、ある程度の場所を特定して、あとは火炎の右手の光が作り出す影が、存在するかどうかで、見分けさせてもらった。ホログラムに影は出来ない。さらには、この校庭は芝生でもなんでもないからな。走って足元に出来た砂埃を確認して、確信したよ」
竜人はただでさえ丸くしていた目を大きく見開いた。
空気感で、リリスも驚いているのがわかる。
「……何か不自然だったんだ、炎撃を放出した時。何かと思ったら、本体以外に影が見えてなかったんだよ。足元の観察も良かったかもしれないけど、流石にこの暗さでそこまで見える筈がないからな。どちらにしろ炎で照らす必要があった」
「凄い! 凄い! そこまで考えるなんて!」
そうリリスが大絶賛すると、竜人は不愉快そうに黙ったまま僕を睨んだ。
「……降伏を認める?」
魔導書形態のリリスは、一転して冷たい声で問うた。
「……認めざるを得ない」
「……それじゃあ、捕われた魂を返して頂きましょうか」
淡々とした口調のリリス。僕は彼に対する彼女の静かな怒りを、肌で感じ取った。
「章、私を開いて。そして、輝く部分の詠唱文だけを読み上げて」
「了解」
僕は魔導書形態の彼女を開き、指示通りの場所を読み上げた。
「彼岸を望むは人の性、此岸を望むは霊の性。矛盾を孕むは空の道理、矛盾を無くすは色の道理。どうか哀れなる魂を、あるべき場所へと返し給え、霊魂転換!」
竜人の心臓当たりから白い発光物が現れる。その“魂”らしきものは、しばらく僕の周りを挨拶するかのように旋回すると、遥か遠くへと飛び去っていき、やがて見えなくなった。
「酷い最期だったかもしれないけど、あの世で幸せに暮らしてくれ……」
一方、竜人の身体はどす黒いオーラに包まれた後に、黒煙をあげて消失した。
「竜人の方は、絶命したみたいね」
「絶命、か」
「家族の元に帰ったのよ。人間にとって吐き気のするような邪悪でも、他の存在にとってそうだとは限らない。もしかしたら、彼も家族にとっては良い父親だったのかもしれないわね」
「家族、か……」
叶のことを思い浮かべる。
叶は僕のしてることを祝福してくれるだろうか?
結局、やっていることは人殺しなのだ。
……いや。
…………それでも。
僕は叶を救わなきゃいけないんだ。
「何か思い詰めているように見えるけど、あなたは一人の魂を救ったのよ。何も悪びれる必要なんてない」
リリスの言葉が後押しになり、多少の罪悪感が薄まった。
リリスは良いパートナーになる、僕はそう予感した。
「戦闘終了」
彼女がそう言うと、僕らは元の世界へと帰還した。




