◆第九話『第一の刺客Ⅰ』
「うーん……」
少しずつ目が覚めていく。段々と意識がはっきりしてくる。あれ? ここは、どこだ? と一瞬疑問に思うも、すぐに儀式の為に来ていた山の中であることを思い出した。
時計を見る。四時半。二時間半ほど寝ていたらしい。
ふと横を見ると、リリスが同じように伸びている。
「あれ、リリス、お前まで横になってるのか?」
「……ただ星を見てただけよ」
彼女はこちらに目を向けると、ぶっきらぼうに言った。
「意外とロマンチストなのか?」
「そう? 私は単に珍しがってただけよ」
そう言えば、天界には夜が来ないんだったか。僕は大した興味もなく頷いた。
……それにしても、淡白な反応だなぁ。それともわざと素っ気ない態度を取っているのだろうか。
だとすれば、少し警戒されている?
僕は勝手な被害妄想を繰り広げて少しだけ落ち込んだ。
「さて……」
リリスは立ち上がると、次に僕に手を差し伸べ、助け起こしてくれた。暗かったために表情はよく見えなかったが、言葉とは裏腹に、朗らかな表情をしているように思えた。
「もう身体の調子は良い筈よ。夜が明ける前に帰りましょう」
「そうだな」
くーっ、と背伸びをして立ち上がる僕。それを見て、彼女は声を出して笑った。
――その時だった。
急に一変する周りの空気。
何かを察知して、僕は身を震わせる。
──悪寒。
何か不穏な空気を本能で察知する。
「……なんだ……?」
思わず辺りを見渡す。
また魔獣か何かが現れたのか……?
そんなことを考えていると、リリスの大声が響く。
「章! あれ!」
リリスが指さす方向に目線を移す。
見晴らしのいい山頂の景色の中から目視したのは、遠くのある一点を中心に赤い空間が広がっている風景。
「嘘……このタイミングで……!?」
何が起こっているんだ……?
やがてその異変は凄いスピードで僕らの場所へと近付いてきた。
遠目で見るよりも、凄まじいスピードだった。
ヤバい……呑み込まれる!
僕は咄嗟に目を瞑って腕を構えた。
何か柔らかいものが身体に当たる感覚を覚える。
「きゃぁっ!」
突如としてリリスの叫び声が聞こえた。
「リリス!?」
リリスの方へと目を向けると、彼女は魔導書の形態へと変化していた。
そして同時に驚いたのが、視界全てが赤みがかっているということ。
「なんだよこれ……!」
しかも、気味が悪いくらいに、ありとあらゆる生物の気配が無くなった。
全くの無臭、全くの無音。
思わず鳥肌が立った。
異様過ぎる感覚。生きたまま宇宙空間に放り出されたかのような、孤独感。
リリスが居たから良かったが、一人では気がおかしくなっていたかもしれない。
「待って、一から説明するから!」
彼女も焦っているようだった。
「これは、『時に取り残された世界』。一言で言えば、“バトルフィールド”」
「ってことは、戦闘……?」
「竜人の霊魂が近くに居たんだわ、どうにかして倒さないと! そうしないと、ここから出られない仕組みなの」
「なんだよそれ、圧倒的にこちらが不利じゃないか……!」
「待って、ちょっと黙って」
「…………?」
リリスが気を張って何かを感じ取ろうとしているのが分かる。
だが、何をしているのかまで推測することは出来ない。
「魔法士が……もう一人居る……!」
「なんだって!?」
自分以外の魔法士とこんな形で会うことになるとは……。
「しかも相手の方が竜人に近い! 援護に行くわよ!」
色々なことが同時に起こり過ぎて、頭がパンクしそうだった。
「空からの方が早い!」
リリスは実体形態に戻ると、呆然としていた僕の襟首を掴んで空へと飛び立った。
足が地面から離れ、刺激で思考が戻る。
確かに一人で戦うより協力した方が勝てる確率は確実に上がる。
出来るだけすぐ駆けつけるべきだろう。
「空から飛んで分かるのか!?」
「人間の魔力の波動を感じるの! 目で見えなくても感覚で分かる!」
しばらく空中を浮遊し、魔法士を探す。
力になれないと分かっていても、僕は目視で魔法士を探した。
「居たわ! 降りるわよ!」
リリスが魔法士の下へ急降下する。
「わああああああああああ!」
突然のことだったので僕は間抜けな叫び声をあげた。
*
魔法士の背後へ降り立つと、僕は魔法士の姿を見て、驚いた。
――満身創痍。
それ以外の形容が思い付かない。
服のところどころが破れ、腕の付け根からは止めどなく血が溢れて続けている。
「ああ、また増えたのか……。じゃあ、さっさと殺さないとな……」
声がした方へ目を向ける。
魔法士の前方、魔法士の間合いから外れ、姿がよく確認できる程度の場所に、それは立っていた。
二メートルはあるかという身長、黒く縦筋の入った黄色い猫目、大きい水かきの名残のある手。病的に白い肌、黒い長髪。
その身体の大部分は、鋼で造られた軽装備の鎧で覆われていた。
こいつは……そんなに強いのか?
「逃……げろ……」
満身創痍の魔法士がそう告げる。
リリスは魔導書形態に戻り、僕はそれを空中でキャッチした。
「雨でもないのに、辺り一面が濡れているわ。あなた、水流魔法の使い手ね」
淡々とリリスが話し出す。しかし、僕は冷静ではいられなかった。
こんな……こんなになるまで戦わなきゃいけないのか……?
でも、今助けなければ、この人は死んでしまう。
怖い――
――この人がここで死んでしまうことも、自分が痛い思いをするのも……どちらも同じくらい怖い。
でも、ここで戦わないと。
強い震えが止まらない。
死を身近に感じた経験なんて、人生史上初めてだった。
これは細胞の観察でも、カエルの解剖でもない。
肉体と肉体同士の、命の駆け引きなのだ――。
僕は願いを叶えるんじゃなかったのか……?
竜人を倒して、願いを叶えるんじゃなかったのか……?
この人をここで見殺しにするのか……?
……叶…………。
「じゃあ、死んでもらおうか」
竜人が魔法士の下へ迫る。
気付くと、感情と頭が動くよりも早く、僕は行動していた。
魔法士の下へ駆け出し、呪文を唱える。
「与えし活力を以って我が脅威を圧倒せよ。焼き尽さん、火炎の右手!」
呪文を唱えると、翳した手の前に半径約五十センチの魔法陣が現れ、そこから竜のように火炎が流れ出す。それは竜人に直撃し、竜人は勢いのある炎撃に、足を滑らせながら後退を余儀なくされる。
「お前……そんなに死にたいのか……!?」
竜人の目が血走る。
初めて感じる、本気で殺そうとする相手の、殺気。
蛇に睨まれた蛙のように、その場から動けなくなる。
ゆっくりと近付いてくる竜人。
「あ…………」
金縛りにあったかのように、身体が動かない。
……きら……あき……きら……。
何かが聞こえるが、頭に入ってこない。
僕の五感のキャパシティが、竜人に全て向けられていた。
……ら……あき……き……。
「あ……あ…………」
竜人が、剣を振り下ろす──まさにその瞬間だった。
身体に衝撃が走り、横に突き飛ばされる。
ショックで思考が正常に戻り、何が起こったかを確認する為に、衝撃が生じた方向へと目を向ける。
そこには──。
右腕を切り落とされた魔法士の姿があった。
止めどなく流れ出す血しぶきは、あの時のことをフラッシュバックさせた。
『危ない! お兄ちゃん!』
「叶……?」
あ。あああああ。ああああああああ。
ああ。あああああああ。ああああああああああ。
「アァアアァアアァアアァアアァアアアア!」
僕は完全に自我を消失させた。
鼓動が異様に早まり、血が体中を駆け巡り、それはさらに身体をヒートアップさせ、更に鼓動が早まる。
「章! 章! しっかりして!」
ああ。あああああ。ああああああああああ。
「まずお前からだ」
あああああ。ああああああ。あああああああああ。
剣を構え直し、竜人が尻もちをついた僕の方へと近付いてくる。
そして僕の前に立つと、僕の脳天へと刀を振り下ろし──。
「章ぁぁぁ!」
今度は実体形態に戻ったリリスが僕を強引に引き寄せ、僕は耳を切り落とされるだけで済んだ。
そのままリリスは完全に自我が崩壊した僕を空中へと逃がした。
「絶対に逃がさない……!」
僕はその時、見てしまった。
恐ろしい顔をした竜人が、魔法士の方へゆっくりと目を移す様子を。
*
リリスと僕は近くの小学校の屋上へと降り立つと。
僕を渾身の力で引っ叩いた。
あまりの衝撃に、正気に戻る僕。
「馬鹿じゃないの!? なんで逃げなかったの!? あなたのせいで……あの人は……!」
僕は真顔のまま涙を流した。
「怖かったんだ……何も考えられなかった……それに……また僕は人を身代わりに……!」
「馬鹿! じゃああなたはあの人のあの勇気ある行動を無駄にするの!? もし償うつもりがあるのなら、あの竜人をあなた自身が戦って倒しなさい!」
悲しいほど、筋が通っていた。
僕は自分の頬を引っ叩いた。
今度こそ正気に戻る僕。
「目が覚めた。ありがと──」
更にリリスは引っ叩く。
「目が覚めたって言ってるだろ!」
「なんか目が覚めたら目が覚めたで生意気でむかついたのよ!」
「ええ…………」
なんて理不尽な奴なんだ。でも、リリスのその行動のお陰で僕は適度にリラックスできた。
「とにかく、次はこうはいかないわよ!」
僕は俯きながら小声で笑った。
「何……? 気味悪いわね」
顔を上げて決意を言い放つ。
「ああ。叶の死も、あの魔法士の人の死も、無駄にしない。やってやろうじゃないか、やってやるよ!」
リリスはそんな僕の様子を見て、朗らかに微笑んだ。
「いつもの調子、戻って来たじゃない」




