◆第八十五話『加速の顕現』
僕ら──詩織、将大、燦鳥さん、李衣陀君、そして各々の守護天使――が“礼拝堂”に入ると、天雷さんが僕らを出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。本日は所属の魔法士様方が全員揃うまでここでお待ちください」
どうやら、何か僕らに伝えたいことがあるらしかった。
全員揃うまでといっても、残りは学年の違う文先輩だけなのだが。
*
「酷いわ! 私だけ置いてっちゃうなんて!」
「いや、学年で授業終わる時間違ったんだから仕方ないじゃないですか」
なんとなく予想はしていたのだが、僕らの姿を見るや否や文先輩に駄々をこねられた。
「んー、あややんは章君が居なくてきっと寂しかったん──ゴフッ」
文先輩がレンの腹にパンチを決め込む。
「どうしたんですか?」
「なんでもないのよ」
文先輩は僕に笑顔を向けながら言う。その笑顔にはどこか凄みがある。
彼女の気迫に押されて、僕はそれ以上何も訊くことが出来なかった。
「話を始めてもよろしいでしょうか?」
天雷さんは若干困っているように見えた。
僕と文先輩はそれを察して、そそくさと長椅子に腰かけた。
「結論から申し上げますと、ルシフェルが顕現を急いでおります」
とうとう黒幕が満を持して表舞台に出てくるわけだ。
「え、それは一体どこからの情報なの?」
文先輩のお陰で話が進みやすい。
「麻夜様から連絡が届きました」
室内が騒然となる。少なくとも麻夜さんが無事なことが分かった。
麻夜さんが、生きてる……!
そう思うと、喜びが込み上げてきた。
「それで、近況報告とかはあったの?」
今度は冷静にリリスが踏み込んでいく。
文先輩とリリスはやはり似ている。
だからこそ初対面でぶつかったのだろうが。
リリスの質問に天雷さんが応答する。
「事務的連絡以外にも色々と近況報告はなされておられました。お話致しますか?」
むしろ『聞きたい』以外の返答をすると思ったのだろうか。
「聞かせてくれ!」
将大が真っ先に声を上げた。
あー、そうか。そういえばそうだったな。
それからは天雷さんが麻夜さんがした体験を細かな部分まで教えてくれた。
文明レベルや世界観、竜人の長の演説を聞いたこと、異界の宿屋に泊まったこと、神殿内に入るまでの苦労、盗聴の最中に死にかけたこと。
麻夜さんはこれまでの短い期間に、中身の濃い冒険をしてきたようだった。
「そして最後に彼女はこうおっしゃいました。『出来る限り妨害をするつもりでいますが、あまり残された時間はありません。覚悟はしておいて下さい』と」
室内が静寂に包まれる。
……近いのだ、決戦が。
──息を呑む。
その場の全員が緊張しているかと思われた。
──そして、なんとこの中で静寂を破ったのは、他でもない燦鳥さんだった。
「悲しい運命ですわね」
……悲しい運命?
いきなり何を言い出すんだ?
周りを見回すと、その場の誰もが唖然として燦鳥さんを見つめていた。
「正義の反対は、悪ではありません。正義の反対とは『また別の正義』。正義とは相対的なもの。絶対的な正義なんてものは存在致しません。ただ主張や立場の違いで、争いが生まれてしまう。戦争はしようと思ったときに始まりますが、終わってほしいと思ったときには終わらない。それは人を燃料とした火事のよう。どちらが正しいのかを決めるのではなく、どちらが生き残るかを決めるのが戦争なのです」
「そうかしらね」
燦鳥さんの主張を聞いて、リリスがそれに食って掛かった。
「世界には確かな悪が存在するわ。そして、人道的見地に基づく武力行使は正当よ。確かに昔、戦争は権力を追求し相違を解決するための方法だった。だけど、悠久の時の流れの先で、考える者や神に仕える者、国を先導する者たちが、戦争の破壊力を規制しようと試み始めた──」
「当然ですわ。戦争そのものが悪ですもの」
リリスは真っ直ぐな目で燦鳥さんの目を捉えている。
「――その結果、『正当な戦争』という概念が生まれた。『最終手段として、または自衛のために遂行されるか』、『行使される武力は適正であるか』、『可能な限り文民が暴力から回避されているか』、この一定の条件が満たされた時だけ、戦争は正当化され得る。単純な話よ。正当な理由で悪を打ち倒す。あなたもそのことが分かるからこの戦争に参加したのではないの?」
……ああ、本当に真っ直ぐだ。
だから彼女は人とぶつかっていく。
でもそれは彼女が人と仲良くなる過程なのだと、今では理解している。
今回もその例に漏れないと、僕は信じている。
「私はただ……願いに釣られただけですわ」
燦鳥さんは、何かを悟っているかのように穏やかな目で、ただ遠くを見つめていた。
「何が悲しい運命なのでしょう。笑ってしまいますわ。自らの欲に釣られて、自分で正しいと思っていない選択をするなんて、私の運命の方がよっぽど哀れですわね。でも、それでも、私はその願いを捨てることはできないのです。たとえ、自分の信念を曲げないといけないとしても」
リリスは今までに見たことがない動物を見るかのように、目を大きく開いて燦鳥さんを見つめた。
僕は燦鳥さんのことを立派だと思った。それが正しい道だと僕も思っているから。
だけど、リリスは違う。
リリスは何かを犠牲にしてでも自分の信念を曲げたりはしない。
……燦鳥さんの考えは、リリスには理解できない考え方だったのかもしれない。
そう僕は、解釈した。
しばらくの静寂の後、文先輩が口を開いた。
「明日、魔法士全員で昼食を摂らない? 仲間も増えたことだし、それぞれの願いについて語り合うっていうのはどうかしら? 結束が深まると思うわ。あ、もちろん嫌じゃなかったらだけど」
文先輩は燦鳥さんに視線を向けた。
何かを察知したかのように、燦鳥さんはこう返した。
「ええ、私は構いませんわ。私も皆さんの願いが気になりますし、ね」
こうして文先輩の提案で、明日は昼食を全員で食べることになった。




