◆第八十三話『新規の解放』
放課後に燦鳥さんを連れてミスティック・リアに出向くと、また麻夜さんの代理のメイドさんが〝礼拝堂〟で僕らを出迎えた。
「いらっしゃいませ。本日もよろしくお願い申し上げます」
抑揚の無い声でメイドさんが挨拶する。彼女の言葉を聞いて、僕は少しだけ麻夜さんのことを懐かしく思った。
しかし、相変わらず金属製の義手が目につく。
「本日は訓練の代わりにあるお部屋へお連れするように仰せつかっております。それではご案内致します」
ある部屋?どういうことだろう。
よく分からないが、天雷さんに案内されるがまま、僕らはミスティック・リアの廊下を歩いていく。
歩いている途中で、ふと疑問に思ったことがあった。
「燦鳥さん、ちょっといいかな?」
「ええ、なんでございましょう?」
「燦鳥さんの守護天使は、何故一言も喋らないんだ? 無口なのか?」
「いえ、そういうわけではございませんわ」
「それならなんで……」
燦鳥さんはバッグに入れて持ち歩いていた魔導書を出し、ポンポンと叩いた。
「ん……んん?」
「起きて下さいませ、レオン様」
「……おう、どうしたお嬢」
「章様がお呼びでしたので」
「……ん? 誰だお前?」
「まさか今までずっと眠ってらっしゃったんですの?」
「何が何だか分からねえわ、悪いな、寝てた」
ここまでちゃらんぽらんとした守護天使が居るのかと、僕は少し呆れた。
「到着致しました、こちらです」
天雷さんが足を止め、ある一室の前で僕らも立ち止まると、その部屋にはよく見覚えがあった。
「まさか……」
「中へどうぞ」
促されるがままに部屋の中に入っていく僕ら。
そこには困り顔をした少年が立っていた。
「君は?」
「……錬創李衣陀って言います……。あの、ここはどこなんでしょうか?」
目の色も髪の色も黒。髪は天然パーマのようで、目が隠れるほど前髪が長い。
一見してサイズの合わない大きな黒縁眼鏡からわずかに見える双眸は、伏し目がちで頼りなかった。
「ここはミスティック・リアの宮本支部だよ」
「ミスティック・リア……? 何のことだかさっぱり……」
やはりそうか。
この子は魔法士だった頃の記憶を失っているんだ。
だから麻夜さんと同じ魔術を使って彼の記憶を戻そうとしている。
よく室内を確認すると、室内奥には、拘束された“捕虜”が居て、以前使用した悪魔召喚用の大きな箱がある。
「彼に関しては説得に難航しそうでしたので、帰り道で一人になったところを拉致して参りました」
さらっと凄いこと言うな。
「私のことは覚えてらっしゃいますわよね?」
きらきらとした目で李衣陀君の答えを待つ燦鳥さん。
たぶん覚えてないと思うぞ。
「えーっと……どこかで会ったことあったかな?」
李衣陀君の返答に、彼女は口を膨らませたかと思うと、今度はそっぽを向いた。
あ、ちょっといいかも。
……何故か背後から殺気を感じる。
「困った子だよ。私がいくら魔術の有効性を示そうと、彼はマジックだとか科学的根拠があるはずだと言って耳を貸さないのさ」
全く聞き覚えの無い声が李衣陀君の後ろから聞こえてきた。
「あなたは?」
僕が訊くと、彼女は揚々とした口調で答えた。
「僕の名前はHumasnake=Revelc・da・Heaven。ヒューマでいいよ。守護天使でトップレベルに賢い天界の生き字引さ」
眼の色は黄色に近く、膝ほどまである長髪は色素が抜けたように真っ白だ。
肘まで袖のある漆黒のイブニングドレスを着用している。
「──って、君は!」
「あらヒューマ、久しぶりね。少しは知恵を付けて、トップレベルの実力じゃなくて本当の実力トップになったかしら?」
「知り合いなのか?」
「もちろんさ! 僕とリリスは生粋のライバ──」
「私が何かやる度に勝負だ勝負だって言って突っかかってきた迷惑な奴よ」
「そうなのか」
「リリス、君はどうやら僕の闘志に火をつけたようだね」
「あなたの場合勝負に関しての闘志なら活火山みたいに常に点火してそうだけど」
テレサさんがジェスチャーで耳を貸してくれと言ってきた。
「でも実際ヒューマさんはリリスに勝ったこともあったんですよ。それに、リリスに次いで最終試験二位です」
なるほど、中身はリリス並みに優秀だということは分かった。
「でも勝負なら後にして頂戴。今すべきことはこの子の記憶を元に戻すことよ」
「……そうだね。その通りだ」
話がひと段落し、ようやく、目線が天雷さんに集まる。
「それでは、始めさせて頂きます」
彼女は何やらパワーストーンを握り締めながらなんらかの呪文を唱える。
すると“捕虜”がぶつぶつと喋り始め、しばらく様子を見ていると、箱の中から嫌な気配がし始めた。
――この瘴気には慣れない。
僕は竜人と戦い、いくつもの死線を潜り抜けてきた。
それでも、実際の悪魔を前にすると、その場から逃げ出したくなる。
「私を呼び出したのは……誰だ?」
くぐもったような低い男性のような声が響き渡る。
ああ、またか。
「この少年に記憶をお戻しください」
「対価を払え」
「ええ。私の魔力と、幼少期の記憶を与えましょう」
「ちょっ……!」
天雷さん、正気か!?
「気前がいいな。それでは頂こうじゃないか。この箱に触れろ」
なんだと!?
「この箱に触れろ」
「ちょっ、ま――」
天雷さんが二メートルはあるその箱に触れたかと思うと、箱から謎の発光体がフワフワと浮きながら移動していき、李衣陀君の胸に入り込んだ。
やっぱりまた気絶するのか……?
僕の予測に反して、李衣陀君が倒れることはなかった。
「……そうか、僕は……魔法士だった……」
「倒れないか……どうやら脳の容量が大きいお陰で大量の情報が入ってきても処理出来るみたいね」
「どうだい! 僕の子は凄いだろう!」
ヒューマさんは置いといて次に僕は天雷さんの心配をした。
「なんで見ず知らずの人のために自分の記憶なんて……」
「私には元々幼少期の記憶がございません」
それって、つまり……。
「悪魔を出し抜いた……のか……」
この人は麻夜さんよりも厄介な人かもしれない。
僕はこの時、そう思った。
「燦鳥、さっきはその……悪かったよ」
伏し目がちになりながら燦鳥さんに誤る李衣陀君。
「いいえ、思い出したのなら構いませんわ」
ニコニコしながら対応する燦鳥さん。
なんであれパートナーの記憶が戻ったことが嬉しいのだろう。
「それで、あなたも章様に協力致しますわよね?」
李衣陀君は少し考える素振りを見せると、数秒後に応答した。
「当然だよ。協力させてもらう」
こうしてまた一人心強い仲間が増えたのだった。




