魔修羅の響馬
闇と影
喫茶麦々のドアを後ろ手に閉めたのは、午後四時を回った頃だった。
商店街で一番賑わいを見せる時間、あちらこちらに買い物かごを手にした女性人達が、其処かしこの店の主人と値下げ交渉の真っ最中だ。
そんなやり取りを横目で見ながら、商店街を一人抜けていった。
横断歩道を渡り、マンションのある方向へと足を向けた時だった。
右手にあるビルとビルの間、細い路地から小さく人の声が聞こえる、ふと、足を止めた一馬の耳が認識したのは、どうやら女性の声のようだった。
「もう、どこまで行くの・・・こっちへ来なさいよ、ミーコ、ほら、こっちこっち、戻ってよ、ほら」
逃げ出した飼い猫を呼んでいるのだろうか?路地の奥、暗がりに向かって懇願するように言い続けている。
暫くすると、その声が一瞬止まり、直ぐに悲鳴へと変わった。
「きゃあ~!なな何なのぉ~・・・誰かぁ~、きゃあ~」
路地に飛び込んだ一馬の目の先五メートル程だろうか、薄暗い路地奥に二つの影が見えた。
「おい!何やってんだよ!」
叫んだ一馬の目に、振り向いた二つの影が笑ったように見えた。
その足元、先ほどの女性だろうか、意識なく倒れこんでいる。
「何をした!」
もう一度、一馬が叫ぶ。
「何を・・・した?・・・くくく・・・何をした・・・だとよ」
影の一つが言い放った。それを聞いたもう一つの影が、にたりと笑い、
「くく・・・腹は・・・減る・・・だからさ・・・」
一馬の髪が、逆立った。
「お前ら!シャドー・・・ダイバー!」
「へぇ~、ご存じで・・・てめえ、闇狩りか!」
真っ黒な闇の塊が、身構えた一馬目掛けて弾丸のように走った、ゴルフボールほどの塊は、一馬の体までは届かずに数十センチ前で砕け散る。
「な・・・な・何だ・・・何をした!」
一発で仕留めるつもりだったんだろう、あてが外れた意識は嗚咽となった。
「よ・・・避けるどころか・・・潰しゃあがった・・・こいつ」
意識なく足元に倒れこんでいる女性の指が、ピクリと少しだけ動いた。
(まだ、息がある・・・)
フラッシュバックした過去の記憶、俯いた一馬の顔から、血の気が引いてゆく。
「十パーセントだ・・・今の僕にはそこまでしか・・・力が出せない、でも、少しだけど、戻ったんだ・・・あの時・・・僅かでも出せていたら、腹を借りた母を・・・助けられたのに・・・」
「寝言か?うじうじしやあがって!てめえ、闇狩りにしちゃあ弱っちいなぁ~
あんなもの弾き飛ばしたぐらいでいいきになるなよ」
先ほど闇の塊を打ち込んだ男が、今度は両手を挙げ、勢り立っている。
すると、もう一人の男が、暗がりの中、体半分闇に溶け込み始めた。
と、同時に、一馬の額が小さな光を集め始める。
闇との間合いの中、振動する空間が、音もなく歪みはじめた。
一馬が黒縁のメガネを外す。
「と、とんでもねえキーナ(波動)だぜ・・・こいつ・・・ただもんじゃあねえぞ!」
闇の中へと溶け込み始めた体が、元へと引きずり出される。
そして、一馬の額に浮かび上がった紋を目にした男達が震え上がった。
「げっ!ま、まさか!こいつ・・・魔修羅!」
一瞬にして蒸発した二つの影は、その痕跡も残さず完全に消滅した。
「おい、そこに居るんだろ・・・闇戯れ」
息を整えた一馬が、路地の入口に向かって言った。
「やっぱり、バレバレってか、へっ、あれで十パーセントだって?冗談きついぜ!ああ、おっかねぇ~、お前を敵に・・・回しちゃあいけねえな」
そう言うと、闇戯れと呼ばれた男が、肩をすくめた。
「頼みがある、そこの女、介抱してやってくれないか」
「けっ、まさかなぁ~・・・俺達アキア(影の民)が、フォス(日の民)を助けてるなんてよ、まあいいさ、響馬、お前はとっとと、帰りな」
両手で夕日を遮りながら、一馬が路地から出てきた。
「あんな奴らが、昼日中出て来るなんて、襲の力も大分弱ってきているんだろうか?」
夕暮れの空、もう小一時間もすれば辺りは闇に包まれ、それと同時に街の灯りが眩しい位にこの窓の外にも輝き始めるだろう。
厚手の遮光カーテンを閉めると、それでも少しは眩しさを遮れた。
「気になるな、あんな事言われれば」
ベッドに横たわりながら、闇戯れの言葉が気になっていた。
「白蓮・・・か・・・何故・・・また動き始めたんだろう・・・それと、シャドーダイバーが現れたのも偶然じゃあないな、きっと殺されたっていう女の人も何か関係があるんだろうな」
枕に半分埋めた顔が、少しだけ高揚しているようだ。徐に起き上がると、台所にある冷蔵庫の前まで行き、開けた中から炭酸水のペットボトルを取り出した。
ごくりと一口飲み込むと、クシャっとなった顔を想像しながら歯を食いしばった。
「駄目だ、気になって眠れそうもないや」
それでも、戻ったベッドで横になりながら天井を見つめていると、足元から這い上がってくる疲れが、一馬の目を閉じようと攻めてくる。そして、いつしか深い眠りへと落ちて行くのだった。
(やっぱり・・・行かなきゃなんないのかな・・・)
眠りの中、呟いた。
朝方、携帯がバイブレーションしながら、置いてある出窓の縁でカタカタと暴れている。一馬の鼻っ面に落ちた携帯の画面に、暮葉の二文字が見えた。
飛び起きた体が思うような動きをしない、それでもかろうじて動く指先が携帯を掴んだ。
「あ・・・おはよう・・・ございます」
「なぁ~に寝惚けてんですか、しっかりして下さいね。起きてます?」
「は、はい・・・もう、大丈夫です・・・もう」
「昨日はごめんなさいね、突然呼ばれちゃって、編集長にね、別の企画で緊急会議だったんですよ、もう、やんなっちゃう」
「そうだったんですか、それは大変でした」
眠い目を擦りながら、労った。
「それでね、今日だけど、これから伺うわ、新しい企画書持ってくから」
「そうなんですね、実は・・・僕の方からもお話があります・・・ので」
「あら珍しい、何かしら、まあいいわ、ところで、サンドウィッチがいい?
それとも、おにぎりかな、どうせ朝ご飯まだでしょ」
「ああ、はい、では、おにぎりが・・・いいです、えっと、おかかと鮭で」
「はいはい、わかりましたぁ~、でわ、後程ね」
そう言うと、通話は一方的に切れた。
「ふう・・・まいったな・・・おっと、急がないと直ぐ来ちゃうからな、あの人のフットワークは凄いんだから」
大きくため息をつくと、一目散に洗面所へと向かった。
因縁の地
新横浜駅新幹線ホームは、夏休みが終わった平日にも拘らず、大勢の人でごった返している。
その人混みを掻き分け、黒いボストンバッグが右へ行ったり左へ行ったり、揺れ動きながらホームへと近づいて来た。
「せんせ、こっちこっち!ほら、早く」
白いブラウスに茶色のジャケットを羽織り、同系色のスラックスを履いた暮葉の姿が、グリーン車の乗り口前に見えた。
「遅くなっちゃって・・・でも、凄い人ですね・・・前に進めなくって」
鶯色のジャケットに斜め掛けしたガマ口バッグからハンカチを取り出すと、額の汗を拭った。
「ほら、いいから乗りますよ」
「あ、はい・・・えっ、暮葉さん荷物は?」
「先に乗っけちゃいましたよ、遅いんだから、せんせ」
一馬のボストンバッグが棚に収まった頃、新幹線はゆっくりとホームを離れていった。
進行方向右側の席、窓側に座った暮葉がハンドバッグからガムを取り出すと、一馬の顔の前に持って行った。
「せんせ、噛みます?」
「あ、はい、頂きます」
受け取った一馬が銀紙を剥く。
「静岡かぁ、久しぶり・・・何年ぶりかしら」
窓からの景色を追いながら、暮葉が呟くと、少しだけ上がった口角が、笑みを浮かべていることを感じさせた。
「暮葉さん・・・今回は、有難う御座いました、ほんと、助かります、まさか知り合いが・・・いえ、お友達が居たなんて・・・静岡に・・・」
「気にしないで、古い友達・・・っていうか、親友よ。学生の頃からのね、随分ご無沙汰しっちゃてるけどさ、でも今回は楽しみだわ、この取材旅行」
そう言ながら一馬の方に視線を向け、今度はハッキリと笑った。
何故、静岡なのか、どんな目的なのか、何を取材するのか、暮葉は一切聞かなかった。いつもそうだ、一馬が決めた事には口を出さない・・・が、後になってからグチャグチャと文句が始まるのだが・・・。
昼間の寝ぐせがついている一馬の背中が、居心地の良いシートを頼りながら、こっくりこっくりと、舟を漕ぐ。
新横浜を出発した新幹線は、僅か五十分足らずで静岡駅のホームへと入った。
「着きましたよ、せんせ!」
暮葉の声で目覚めた一馬が、小さく頷きながら背伸びした。
(何故だろう?目覚まし時計では起きれないのに・・・この人の声には反応してしまう・・・いつも)
降り口のアナウンスを聞きながら、一馬が暮葉の大き目なバッグを棚から下ろすと、自分のボストンバッグを抱え込み新幹線を降りた。
暮葉に続きながらホームを離れ階段を下り改札を抜けると、駅の南口から外に出た。
「暮葉!此処よ、ここ」
右手前の道路横に止めてある車の群れ達、その一台の窓から上半身を乗り出し、
こちらに向かって叫んでいる女性が見えた。
「ああ!静香、って言うか、静ぅ~」
暮葉にしては珍しく、小躍りしながら、その声の持ち主へと近づいて行った。
残された暮葉のバッグを拾い持ちながら、一馬も続いた。
「静、紹介するね、此方、私が担当してる作家さんで、響一馬先生」
紹介されると同時に、右腕を掴まれ強引に静と呼ばれた女性の前にと、突き出された。
一馬の目の前に現れた女性は色白で小顔の美人さんだ、さらっとした黒髪は肩辺りで奇麗にカットされ、白いトレーナーとジーンズに良く似合っている。
「あ・・・響と言います、今回は無理言っちゃって・・・すみませんでした」
人見知りの癖は幾つになっても直らないらしい。
「山脇静香と申します。わぁ~、感激です響先生、愛読書なんですよ先生の作品、暮葉から頼まれた時から今日を楽しみにしてました。此方こそ何のおもてなしも出来ませんが、よろしくお願いしますね」
それを聞いて、増々恐縮する一馬であった。
二人が乗り込んだ白いジープのチェロキーは、海岸線を走る国道150号を西へと向かった。
その間、静香と暮葉、昔話から始まった二人のとめどなく弾む会話は、車窓から見える太平洋のように、果てしなく続くのではと思わせる程。
どれ位走っただろうか、突然、静香が、指を差した方を見るようにと、一馬に促した、
「先生、あれが千浜原発、見えます?」
静香の指さす方向に、巨大な建造物が見えた。
「わ!かなり大きな建物ですね・・・凄いな」
「でしょ、色々と言われてるけど、此の御蔭で街が潤っている事は間違いない事実なんですよ、原発の恩恵は大きいんですよね」
一馬は、それを聞いて、難しい問題なんだと痛切に感じた。
「もう少しですからね、此の原発を過ぎた処が、私が住職をしている薙ぎの院と云う寺です」
静香の車がゆっくりと、原発を左手に見ながら、右へとハンドルを切った。
さて、「骨線の三日月」は、取り合えずこれで終了とさせて頂きますが、
この物語は、{続・お祓い屋 京介}へと、続いて参ります。
現在、執筆中にて、乞う御期待!