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闇戯

 左腕に抱えたジャケットのポケットからティッシュを取り出すと、外したメガネのレンズを、慣れた手付きで拭き始めた。すると・・・ ぼんやりと滲む先の景色、こちらに近づく影が一つ有る。ゆっくりだが、確実に近づいて来るその影は、ベンチに腰掛けた一馬を認めるなり立ち止まったようだ。

 すかさず拭き上げたメガネを掛けると、立ち止まった影に目を見張った。

 薄暗い闇に半分溶け流れているように、黒い背広だろうか左肩あたりから始まるテーラー襟だけが、不自然さを伴なって見えている・・・男のようだ。

 これでもかと目を凝らす視線の左側にある暗闇が、そこに居る男の右半身を隠し、全身を見つけることが出来ない。

 危険な匂いが、一馬の鼻を突いた。

 闇を睨む視線を外さず、ゆっくりと立ち上がると、辺りの気配に神経を集中させる。どうやら此の場所には、一馬と闇に半分隠れる男、二人だけのようだ。

 緊迫する空間の中、時だけが静かに進んでゆく。二人の間合いは先程から変わることなく、その場に淀んでいた。

 均衡が崩れたのは、そんな時だった。突然目の前の影が瞬く間も無く、消えた。とっさに身構えた一馬の耳に、闇より聞こえる声がする。

「蒼いのか? お前の目に映る月は・・・蒼いのか?」

「な、何と! 誰?」

一馬の渇いた声が響く。

「お前は呼んだ・・・俺を呼んだではないか。忌な言葉で、呼んだではないか・・・闇戯(やみざれ)・・・と、なあ、(きょう)()よ」

「闇・・・戯、(かさね)さんの使いですか?」

 一馬は肩に張り詰めた力を緩めた。知っている男の様だ。

「様を付けろ、襲様と」

「用件は?」

「チィッ! 相変わらずだな・・・まあいい、伝えるぞ。襲様よりの伝言だ。

白蓮より放たれし者、その地に入り込んだ。と、云うことだ」

「で、僕に何をしろと?」

 ジャケットの袖に右手を通しながら、闇の中へと問いかけた。

「伝えたぞ・・・響馬」

闇より深い漆黒が、僅かな蒼い月明りによって一瞬キラリと耀、消えた。

「そんな事・・・僕には関係ない」

 闇戯なる者が消えた暗闇を睨みながら、一人呟いた。

 見上げた月が、紫色に染まる天空で、まるで大口を開け笑っているかのように一馬には映り見えた。何かが予感として頭の隅を走った。


 日が既に高く昇っているのだろう。折り合いの狂ったブラインドの僅かな隙間から、明るすぎる日差しが一馬の顔に容赦なく降り注いでいる。

 ゆっくりと逆方向に寝返りを打った体が、じっとりと汗を掻き、起きざるを得ない状況へと一馬を追い込んだ。

仕方なく起き上がった上半身が、おもちゃを取り上げられた子供のように、前屈みで項垂れている。それでも意を決し、おもむろに立ち上がると、首筋に流れる汗を右手で拭いながら、シャワー室まで歩き始めた。

途中、出窓に置いた目覚まし時計を、半分塞がった目で覗き見ると、午前十一時を指示している。

「いやー、久しぶりに良く寝た」

言うと、汗びっしょりに掻いたパジャマの上着を、しつこく張り付く袖口と格闘しながらも、足元へと脱ぎ捨てた。

 大いに睡眠を貪った体が、さぞや喜んでいるだろう。徹夜が続いた数日間、ろくに寝ていなかったから。

 カラカラとおかしな音を立て、主のいなくなったベッドの横で、それでも一生懸命回り続ける扇風機が何となく哀れで悲しかった。まさかこの御時世に自分が主役になろうとは思いも寄らなかったに違いない。早く修理屋さんに電話しなくてはと思うのだった。

 冷たいシャワーが頭の中を覚醒させ、開きっぱなしの毛穴を、きゅっと閉めこんでゆく。

 いつものボディシャンプーが残り少ない事を気にしながら、シャワー室を出ると、掛けっ放しのタオルを引きずり取り、ゴシゴシと拭いた。

 電話が鳴っている。小さなテーブルの上に置かれた一馬の携帯が、プルプルと震えながら着信を知らせていた。

 タオルで頭を拭きながらその携帯を取ると、高梨暮葉女史からだった。

「もしもし・・・」

「あ、先生! やっと繋がった。もう、何回も掛けてるのに全然出ないんだからぁ。今起きたんでしょ」

「あ・・・はい」

「一回目の電話で起きなさいよね。ほんとにぃ! そうそう、本日はそちらに行けませんので、あしからず。でも、遊んでちゃあ駄目ですよ。しっかり次回作のプロット宜しく頼みましたよ。分かりましたか、せんせ」

「分かりました・・・でも今日はどうして? 午後からの打ち合わせもあるんじゃあないんですか?」

「ごめんなさいね。今度と云うことで、明日また連絡するから、その時に詳しい状況説明するわ。じゃあ、しっかりお願いしますよ」

言うだけ言うと、一方的に電話は切れた。確かに着信履歴が暮葉さんで一杯だった。

何となく、腹の底から喜びに似たものが、沸々と音を立て湧き上がってくる。

「やった・・・」

右腕のガッツポーズと共に、小さく呟いた。


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