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エピローグ

 波乱に満ちたサンシャイン、ハレーションによる月形ドームライブ。

 あの日から1ヶ月が経った――。



「恵、入るぞ…………あれっ?」

「あら、歩くん」


 数々の苦難を越えて、麗や会場にいる50000人の観客たちを救った俺たちだったが、本当の地獄はそれから始まった。

 圧迫されたスケジュール……ライブに続くライブで、休憩すら満足に取れないアイドルたち。


 アンコールを歌う頃には、たぶん6人とも心身ともに限界を迎えていた。

 だから幕が下りた途端に、みんなその場でパタリと卒倒してしまったんだ。


「今、ベッドのシーツを代えてるの。恵ちゃんなら、またいつものとこよ」

「あぁ。小町さん、どうも!」


 西川はアクセルターボを解雇された。


 ハレーション監禁の手引き、麗のマインドコントロール、数億円もの金額が動くライブイベントの私的乱用……罪状は十分過ぎるほどある。

 スキャンダルを恐れた事務所側の判断により、刑事事件にされなかっただけマシというものだろう。


「せっかく2階に昇ったのに、また出戻りか……」


 岬診療所の階段を下りながら、俺は面倒くさそうにつぶやく。

 でも、その語気はいやに明るくて……我ながら、おかしく思えた。


 目指す場所は、1階廊下の突き当たり。

 1ヶ月前までは無用だった一際広い部屋…………リハビリ室だ。



「ん、しょ。ん~しょ…………あっ、お兄ちゃん!」


 部屋に入ると、その真ん中に2本の平行棒による手すりが設置されていた。

 それに両手を沿えて、おぼつかない足取りを進めるのは俺の妹 本城恵。


「調子はどうだ? おっ、おいおい、そんなに急いだら――」


 かと思いきや、急にスピードを上げてこちらに向かってくる。

 やがて手すりの端まで辿り着き、そこでストップし、て……


「あ、あれ?」

「えへ、えへへ……見て」


 いや……歩いてる。恵が、自分の足で。

 足の運びはまだ不安定で、まるで赤ちゃんのよちよち歩きみたいだけど……でも、たしかに歩いている。


「んしょ……わったた――ふぅ」


 そうして俺の前まで来ると、胸の中へと倒れ込んできた。

 ぽふっ……という柔らかな感触がして、それには新鮮さと懐かしさの両方を感じた。


「んふふ~、ゴール!」


 満足げなその笑顔も、また同じく。

 ……一瞬の間に、感情のパラメータが最大値まで届きそうになる。


「すごいな……もう歩けるなんて」

「まだ少しだけどね。でも、だんだん足が昔の感じに戻ってきてるの」


 恵の足の手術は、先日無事に成功した。

 難解なオペだったが、1000万円もの治療費を請求するだけあって、医師の腕は確かだったという。


 完治するにはまだ時間がかかるらしいけど、この分ならそう遠くではないはずだ。


「頑張ったんだね、恵は」

「……ううん、違うよ」


 すると恵は、両手をよりギュッと俺の身体に巻きつけた。


「頑張ったのはお兄ちゃんの方じゃない。恵は助けてもらっただけ……」

「そう……でもないよ」


 俺にとって、それはやらなきゃいけない宿命のようなものだったから。


 恵は今ようやく、自分の人生を取り戻そうとしている。

 俺は奪ったものを元通り返してあげた……ただ、それだけだ。


「手術のお金、大変だったんでしょ? どうやったの?」

「えっ!? あ~……」


 それを、説明するわけには……大事な妹に知られるわけには……!


「恵ちゃ~ん。そろそろお部屋に戻りましょっか」


 あっ、ちょうどいい具合に小町さんが来てくれたぞ。


「じゃ、じゃあな、恵。また来るから」

「えっ、お兄ちゃん?」


 返答をはぐらかした俺は、そのまま逃げるようにリハビリ室から退散する。




「ふ~……さっきの誤魔化せたかなぁ」


 兄貴が女装してアイドルをやってた……そんな事実が、恵の耳に入ることは決して許されない。

 これからもずっとだ……そう気を引き締めつつ、俺は診療所の廊下を歩いていた。


 やがて、出口に差しかかった頃――


「おつかれさま~。おに~いちゃんっ!」

「妹さん……治って良かったね」

「えへへ、迎えに来ちゃったよ」


 美咲、いつき、由香。

 今をときめく3人組アイドルユニット ハレーションのお出ましだ。


「……何の用だよ? こんなヘンピなとこ来たって、仕事にならないぞ」

「仕事はこの後……テレビ局」


 月形ドームライブは結果的にだが成功を治め、その功績に3人や冴子さん、カオルちゃんは再びアクセルターボに所属することになったという。


 そして今や、サンシャインに肩を並べるほどの人気アイドルに浮上した彼女たちは、連日忙しい日々を送ってることだろう。


「へぇ~。良かったな、みんな。それじゃ!」

「ちょ~っと、待った! 迎えに来たって言ったでしょ?」


 そして同時に、本城あゆみというアイドルはこの世から姿を消したんだ。

 男だとバレてしまった以上、もう引退する以外に道は無いから。


「俺は男だ。もうハレーションのメンバーじゃない」

「あゆみちゃん、またそんなこと言って……」


 みんなはこんな風に、俺が男でも構わないと引き止めてくれたけど…………でも、肝心の俺自身にその気は無い。


 目標だった恵の手術代も、アテが見つかったことだし。

 しがらみだって消えた。


「これ、お姉ちゃんから預かってきたよ」

「……え?」


 由香が1枚の紙を差し出す。

 それは金1000万円の借用書だった。


 貸主は泉野麗。

 借主は本城歩。

 しっかりとサインと実印が押されてある。


「それがどうしたって言うんだよ……借金なら働いて返すって、麗に約束したぞ」


 ライブが終了した翌日、俺は麗に呼び出されて泉野邸を訪問した。

 そこに用意されていたのは、現金できっかり1000万円。


 事件を収束し、妹とも和解できたお礼にと、貸してくれると言うのだ。

 俺は一も二もなく、その天の救いに飛びついた。


「……で? 1回目の返済日は今日だけど?」


 いつきはスッと手のひらを差し出す。


「…………バイトが、みつからないんだ」


 だがそれに乗せるべきものを、俺はまだ用意できていなかった。



「ね~。そんな顔してちゃ荷物運びも新聞配達も、頼りなくて任せられないもんね~」

「……」


 美咲め、思ったことをハッキリ言いやがって。

 ……でも、実際その通りだったから返答のしようが無い。


「だからね。お姉ちゃん、この債権を私たちに譲ってくれたんだ。好きなように使っていいわって」

「な、何だって?」


 由香を始め、みんながニヤニヤと笑い出す。

 そんな……1回、返済が遅れたくらいで……麗、こんなに早く見切りをつけなくたって。


「ふふふ~。キミははめられたのだよ、あゆみたん」

「あっ、そ……そうか!」


 麗はこうなることを見越してて……だからって、そのために1000万円も!?

 くっ、これだから金持ちは!


「……わたしらぁ~、お金には厳しいんやでぇ~……返すアテが無いんなら、こっちに来なよ…………お嬢ちゃん」


 どこの映画で覚えたのか、インチキ臭い口調で凄んでくるいつき。


 じりじりと3人が、こちらににじり寄ってくる。

 逃げなきゃ…………いや、あの借用書がある限り、逃げ道なんて無いのかも。


「でも俺、男だし……」

「だ~いじょうぶ。言われなきゃ、誰も気付かないから」

「あゆみちゃん……ね♪」


 あの勝ち誇ったような顔……悔しいが、正解だと思う。

 今の俺の状況は、おそらく貸金業規制法でも守ってもらえない。


「……ほら。これかぶって」


 いつきが手提げカバンから、ガサゴソと何かを取り出した。

 そうして出てきたのは、藍色のウイッグ。


「うぅ……う~…………」


 それを手に取るべきか否か……答えは…………決まっていたけど、肝心の選ぶ権利が無い。


 金の問題を解決できるのは、金のみか。

 渋々ながらウイッグを手に取り、頭へと装着する。


「わぁ、久しぶり」

「やっぱそれ! あゆみたんはそうじゃなくっちゃ!」

「……かけがえの無い、戦友よ」


 すると、みんなの表情がぱあっと笑顔になった。

 晴れやかな眩しい表情……それを見せられ、不覚にも俺の心にまた明かりが灯る。


 借用書を見せられてからずっと、曇天の曇に覆われてたのに。



「それじゃ、行こう! 向こうにワゴン車あるの」


 美咲が駆け出し、俺たちもその後へ続くように走り出す。


「ハレーションは4人……ずっと4人……」


 いつき、まだ笑ってる。

 嬉しそうに……


「今日はサンシャインとも共演なんだ。だからお姉ちゃん、またベタベタしてくるかも……」


 由香はちょっと困りながらも、表情をほころばせる。

 以前と違って、今は姉の方が妹を困らせてるみたいだな。


「知らないからね……どうなったって」


 篠原美咲、猪瀬いつき、泉野由香、そして……本城あゆみ。

 4人で結成されたアイドルグループ ハレーションの活躍は、もう少しだけ続くみたいだ。

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