第52話 不自然という前兆
視界いっぱいに広がる観客席。
そして、それを覆わんばかりの人波。
1階席にも、2階席にも……あの1つ1つの黒い影は、全てこのライブを見に来た人たちなんだ。
その数まさに50000人。何という迫力!
「…………」
でも、危ぶむべきなのはそれだけじゃなく、この観客たちのほとんどが静まり返っていること。
恐ろしいことに、ペンライトの光すら灯っていない。
この現象は……サンシャインファンのハレーションに対するブーイングってだけじゃ済まないよな。
どんなにヘイトを集めたって、ここまで会場が無音になるのはおかしい。
異常だ。
こんな異常事態を引き起こせる人物なんて――
「麗……」
ステージ中央で、スタンドマイクを握るサンシャインの片割れ。
そして、ネイチャー・ハウリングという特殊音域を武器に持つただ1人のアイドル。
泉野麗、彼女しかいない。
「……」
飄々としやがって。
正面を見据えたまま、ステージ下手のこっちには見向きもしない。
初っ端から、ここまで力を見せつけておきながら。
……っていうか、セリフ!
早くシナリオ通りに「よく来たわね」って返せよ。
「……」
どうしたんだ、おい!
そっちのセリフが無きゃ、ライブMCが進行出来ないだろ。
せっかくこうして観客席の空気をサンシャイン寄りに誘導したんだろうに、台無しになっちゃうぞ。
「……ちょっ……麗さ……」
あっ、隣りで玲奈があたふたしだした。
マイクに声が入らぬよう、小声で。
「早く……お客さ……」
必死に呼びかけてる……なのに、麗はそれすらも無反応だ。
「サンシャイン、何かトラブってない?」
「……あぁ。麗の様子が変みたいだ」
ハンドマイクを口元から下ろした美咲。
彼女の言う通り、どうも向こう側でトラブルか起きてるらしい。
「おねえ……ちゃん?」
ずっと上の空な姉を見て、さすがに妹の由香も表情を訝しくさせた。
……今さら気付いたけど、サンシャインが着てる衣装は中世時代の近衛服のような白いコート。
俺たちの黒っぽいデザインとは対極になってるんだな。
「ふっふっふ~……よく来たわね、ハレーション。歓迎しちゃうぞ~!」
すると、玲奈がいきなりマイク全開に喋り出した。
ビックリさせるな~。
でもこの流れはおそらく、彼女が麗の役も担当してくれるということか。
「へへっ、ありがと。やっと会えたね、玲奈たん」
「……また同じステージで」
よし、会話もやっと繋がった。
このまま、滞りなく進められれば……!
「ずっと待ってたんだよ。2人があたしに追いついてくれるの」
玲奈、美咲、いつき。
ここはその3人のパートだ。
かつて彼女たちが、ノービスというユニットを組んでたことを背景にしたくだり。
「もう……あの頃には戻れないよ」
「玲奈たんはサンシャイン。あたしたちはハレーション。戦うしかないんだ」
ここまでだ。
そう、ここまではいい。
でも――
「あの、私……こんな日を夢見てた……よ。おねえ、ちゃん?」
次は由香と麗、泉野姉妹のやり取りだ。
そうして最後に、俺が宣戦布告を叩きつけてサンシャインは一時退場。
ハレーションのライブへ……という流れになっている。
しかし、こうして由香が戸惑っているように、今の麗では――
「……」
「麗さん、ここはあたしが……ふふっ、残念ねぇ。由香ちゃん」
シナリオに無いセリフ!
玲奈、この状況まで1人でフォローするつもりなのか。
「あなたはもう過去の妹なの。今の妹はこのア・タ・シ。サンシャインの絆をなめないでいただける?」
妖しい笑みを浮かべながら、そっと麗に寄り添い、その頬に手をあてる。
……上手い!
即興で由香との因縁を作りにかかった。
これで1つ、ストーリーを組み立てられるぞ。
「あっ……いや、そんなつもりは」
「……由香! アドリブ……」
素でそれに答えようとする由香に、耳打ち。
「ここは玲奈に合わせてみよう。たぶん……上手くいくと思う」
玲奈がこちらに目配せしてくる。
もしかしたら、彼女の中ではもう芝居のオチまで完成してるのかもしれない。
「大丈夫だよ。玲奈たんがリードしてくれるって」
「……こういう時、あいつ頼もしい……」
美咲たちも後押しする。
それなら
「由香。もしヤバくなっても、みんなでフォローに入るから。どうにかそれらしく、玲奈と争ってみてくれ」
「……う、うん」
ハンドルを託してみよう。
ここは、高石玲奈に。
「き、絆? 何ですか、それ。私とお姉ちゃんは生まれた時からその……一緒だったから」
「そうだね~。麗さんと由香ちゃん、ちっちゃい頃からずっと仲良しだったんだもんね?」
「うん……そう」
おそるおそる言葉を並べていく由香に、玲奈は流暢に答えてみせる。
50000人の観客が観てる前で……大した舞台度胸だ。
「でも、見て見て! 今、あたしは麗さんのすぐ側にいるけど、由香ちゃんはどうかな~?」
「えっ……あ」
「ね! この距離が証拠だよ。悔しかったら、由香ちゃんも一緒に追いついてきなさい!」
「う……は、はい!」
……オチた。
今のやり取り、由香はほとんど相槌を打つばかりだったのに……いや、それすらも想定済みだったのだろうか。
何にせよ、玲奈のおかげで急場を凌げた。
「みんな、前置きはこれぐらいにしとこうよ」
そして、ここからが俺のターン。
「サンシャイン、私たちが来たからにはこのステージ……もういただいちゃうから!」
「な、何ですって!?」
挑発したり、驚いたり。
玲奈も忙しい役をやってる。
「問答無用だ! さぁ、ミュージックスタート!」
ライブMCはここで終わり。
そして前奏が鳴ってるうちに、サンシャインと入れ替わりになって、俺たちがステージ中央へ――
なんだ?
演奏が始まらないぞ。
「えっ、どうして」
「バンドメンバーの人たち……?」
みんなもうろたえてる。
ステージの後方でギター、ドラム、キーボードなどを携えたバンドメンバーの面々。
その彼らが、ピクリとも動かないんだ。
「……どうなってんだ、これ」
まさか、ここに来て連中のストライキか?
どういう条件で働かせてるか知らないけど、せめて俺たちを巻き込むな!
音楽は鳴らず、見るとサンシャインもステージに残ったままだ。
あたふたする玲奈に、相変わらずどこ吹く風という様子の麗。
「どうしよ~、あゆみたん」
立ち位置を見つけられないハレーション……ステージは大混乱だ。
これじゃライブが成立してない。
さすがに観客席もざわついて――あれっ?
「…………」
まだ静まってるのか。
おかしいな。もう1曲目からだいぶ時間が過ぎてる。
そろそろ意識を取り戻すか、そうじゃなくてもサンシャインを猛烈に応援するような素振りが見えるはずなのに。
ステージの状況に対して、全くの無反応だ。
俺たちや玲奈だけであたふたしてるのが、間抜けに思えてくるほどに。
「分かんねぇ……でも、おかしいよ。ステージだけじゃなく、観客席も」
「……ライブ、一旦中止かも。裏方の人たちも気付いてると思う……」
いつき……そうかもな。
まさか俺たち相手にここまで大がかりなドッキリを仕掛けるほど、損得勘定の下手な業界人がいるとは思えない。
アクシデントなら、運営側から何らかの対処が為されるはず。
「ハッハッハッハ……」
するとステージの上手から、誰かがやって来た。
あれは……背広を着た男……西川さんだ。
「素晴らしいよ。思い描いた通りの光景だ!」
何言ってんだ?
悠々とステージを歩く西川さんは、やがて中央に立つサンシャインへ近付いた。
「西川さん! 麗さんの様子がさっきから変なんですよ」
「ふふっ。クックック……」
笑ってる? こんな状況で!?
ちゃんとしてくれよ。
あんた今、裏方なのに観客の前に姿を現してんだぞ。
「俺も行ってくる」
「あっ、うん。あゆみちゃん」
このままつっ立ってても埒が明かない。
俺もステージの中央へ駆け寄ることにした。
「んふっ、んふふふふっ……」
「西川さん、笑ってる場合じゃないですよ。おかしいんだ。観客も、バンドメンバーも」
「あっはっは!」
この人、たぶんこのライブの責任者だよな。
もしかして、プレッシャーで参っちゃってるのか?
「落ち着いて! 今はやらなきゃいけないことがあるでしょう。まずは冷静になって、現場の状況を――」
「…………なぜ君がここにいる?」
――突然、ギロッとこちらを睨んできた。
さっきまでの間抜けな笑みから一変して、鋭い眼光。
この視線……昨日、記者会見でチラッと見えたあの冷たい目だ。
「聖矢め……やはり詰めの甘い奴だ。あいつに任せたのは失敗だったか」
「え?」
聖矢……村岡聖矢。
ハレーションを襲い、危うくライブ不参加の憂き目にあわせようとした男。
「4人とも無事らしいな。まったく……麗!」
そして苦みばしった表情で由香たちを一瞥すると、麗の方へ。
麗……近くで見ると、彼女はまるで人形のような佇まいだ。
正面を向いてるのに、視線はどこに向かってるのか分からない顔をしている。
「もう1曲頼むよ。そして、そうだな……『恐怖心』を呼び起こそう」
「そんな場合じゃないだろ。きっと麗は疲れて――!?」
その時、ふいに俺の頭の中でピンとくるものがあった。
『西川さんから睡眠音楽のアプリを紹介されたの』
泉野家の浴室で。
『聖矢にもちゃんと……仕事は用意してやるから』
アクセルターボの会議室で。
『睡眠音楽の……アプリだっけ。あれ、聴いてないの?』
『……はぁ? 何言ってんの……そんなの知らん』
その帰り道で玲奈に。
『~♪』
『だっ、ダメだダメだ、麗!』
昨日の記者会見、一言も話さないまま突然歌い出した麗。
『業界に残りたかったらさ。もう上から来る仕事は何であれ断れねぇんだよ』
倉庫での、村岡の言葉。
『急げ! い、い、急ごう!』
『……』
ステージに向かう途中、ボーっと立ち続けていた裏方のスタッフたち。
「……~♪」
やがて麗が歌い出した。
曲は、今日のオープニングと同じ『return to orijinal』
それと同時に、頭に浮かんだ1つ1つの点が、それぞれの線に結びつこうとしている。
玲奈には与えられなかった睡眠音楽……そして、人形のようになった麗。
ハレーションを妨げた村岡……それを命じたのは西川。
沈黙したスタッフ、バンドメンバー……そして、50000人の観客たち。
「うっ、ぐ……!」
やがてそれらが1つの真実へ辿りつこうとする間際、心の中で衝撃が起こった。
何だこの感覚……ライブの失敗、手術費、恵の人生、母さんの老後……あらゆる不安や恐怖が、具現化したように襲いかかってくる。
こんな……理性を沈められ、本能を引っ張り出されるような、抗いようもないこの感覚は!
でも、以前はここまで強引なものじゃ無かった……!
「あんた、麗に何をした……?」
気付くと俺は足の力をなくし、舞台を這うように両手を突いていた。
「プロデュースだよ」
精一杯の力で頭を上げると、西川がほくそ笑むように俺を見下ろしていた。




