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第51話 踏み切ったステージ

「こっちよ、みんな。急いで!」


 月形ドーム。

 その地下駐車場に到着するなり、車を飛び出した冴子さんはみんなを先導しだした。


「あっ、待って。みんなぁ!」


 時間が無いのは百も承知だ。

 あとに続けと、俺たちも車から出て……あ、由香がシートベルトに絡まってる。


「えっと……えっと、ロックどこ?」

「えっ、由香。それって」


 何だ、あれ。

 ベルトが胸の前でXの字に食い込んでる……どうやったら、ああなるんだ?


「もう……もう! こんな時でも、このおっぱいは!」

「ありがとう、いつきちゃん…………うん、よし」


 いつきの手を借り、由香も遅れて車を降りた。

 みんな駆け足になって、冴子さんの背中を追いかけてゆく。


「はぁ~。もうここでライブ出来ちゃいそうだね~」


 走りながら、駐車場の中を見回す美咲。

 う~ん、さすがは月形ドーム。立派な広さだ。


 駐車場だけで、近所の大型スーパー並みの広さはあるぞ。


「さすが日本屈指のライブ会場だよな」


 ここに来る途中、窓からドームの外観を見ただけでゾクッとしてしまった。

 収容人数は約51000人。この会場でライブを行うことが即ち、トップスターの証。


 そんなところで、これからライブが始まるんだ。


「冴子さん。ちょっと!」

「はい、何? あ、エレベーター乗るわよ」


 走るのはここまでみたいだ。

 冴子さん、カオルちゃん、ハレーションの6人を乗せて、エレベーターは上昇していく。



「リハーサル……はぁ、大丈夫かな? せめて、1回通すぐらい」


 今日のライブ。

 一応、その全体の流れは事前に渡されたシナリオで把握出来てる。


 とはいえ、こうして実際に会場に来るとまた……新たな不安が。


「あんた、何言ってんの?」

「へっ!?」


 当たり前のことを訊いただけなのに。

 なんで、眉をしかめるんだ?


「時計見なさい、ほら14時半! 開演まであと30分よ。リハなんてとっくに終わってるっての!」


 腕時計を眼前に見せつけられ、怒鳴られた。

 そうか。事態はもう、そこまで追い詰められてたのか。


「カオルちゃん、着いたらすぐ控え室ね。ソッコーでメイクお願い!」

「ラジャー!」


 ぶっつけ本番かぁ…………このままでねぇ。


 あっ、ドアが開いた。


「早く、早く! こっち!」


 すぐさま、みんなが勢い良く飛び出して行く。

 でも俺は、なぜか足を動かす気になれなくて……


「はぁ……ん?」

「うぅ~」


 由香が涙目になっている。

 彼女と俺。エレベーターから出ない2人の想いは、おそらく1つ!


 この『閉』ボタンを押してしまえば…………しまえば!


「行こっか、由香」

「うん……」


 アイドルらしく、爽やかに微笑み合う2人。


 その笑顔の裏に、戦慄、絶望、焦燥、躊躇、妥協……諸々のネガティブ感情が込められているとは、お釈迦様でも思うまい。




「すみません。ちょっと、すみません!」


 たくさんの部屋や階段に通路……まるで迷路のような構造の舞台裏だ。

 忙しそうなスタッフさんたちの間を、すみませんを連呼しながら冴子さんは駆け抜けていく。


「着いた! ここよ」


 やがて辿りついたのは、ある一部屋。

 ここが控え室か。


 あれっ、でもドアの前に何も書かれてない。

 こういうのって普通、ハレーション様控え室とか何とかプレートに表示しておくもんなのに。


「いっそげ、いっそげ!」

「焦り過ぎも良くない……」

「う~、もうすぐ本番だよ~」


 あ、そうだった。

 今は細かいこと気にしてる場合じゃない。


 みんなに続いて、俺も中に入らなきゃ――


「こら」


 と思ったら、ドアの手前で通せんぼされてしまう。


「えっ、みんな何を」

「……デリカシィ~」


 いつきがジッと睨む。


「あゆみちゃん。ううん、歩くん! みんなこれから着替えるんだよ?」

「あ……」


 由香も困ったような表情。

 そうでした……つい、気付かなかった。


「じゃあ、あの……ここで待ってます」

「うむ! ちゃんと気を付けてねっ」


 珍しくしかめっ面な美咲を最後に、ドアはバタンッと閉められた。


「……」


 1人、取り残される。

 すると舞台裏のスタッフさんたちの喧騒が、やたらと耳に入ってくる。


 この新鮮な疎外感……いや、いいんだ。

 ハレーションの間に、もうウソはない。


 本来、これが自然な姿なんだから……




 ――控え室の壁に寄りかかり、しばし時を待つ。


 ガヤ……ガヤ。


 数十人といるスタッフさんたちの中にも、段々と息をつく人が現れだした。

 もうライブ準備が仕上げに入ったということなんだろう。


「ホントに……大丈夫なのか?」


 シナリオでは、開演したらまずサンシャインがステージに登ることになっている。

 そして『return to orijinal』をフルコーラスで歌った後に、ハレーションが乱入という運びだ。


 だから、実際はほんの少しだけ時間にも余裕がある…………とは言っても



「お待たせ~! もういいよ」



 突然ドアがバンッと開き、美咲が姿を現した。


「あ、うん……」

「どしたの? ボーっとして」


 黒を基調としたジャケットにミニスカート。

 アンダーには、着崩したYシャツと緩めたネクタイ。


 顔のメイクも程よく際立っていて……いつものあどけないイメージとは見違えてしまう。


「早くおいでよ。次、あゆみたんの番だよ」


 そのまま彼女に手を引っ張られ、控え室の中へ。


 部屋のドアが閉まると、外からの音は全く聞こえなくなった。

 出演者がここで集中するためだろうか、完璧な防音が施されてるみたいだ。


「あゆみ、あなたも着替えて」


 メンバーは全員、既に衣装に着替えていた。

 みんなお揃いの黒ジャケット……つまり悪のイメージなのかな。


 人それぞれにネクタイの緩め方が違ってるのは、カオルちゃん流のアクセントだろうか。 


「わたしの次、だから……」

「きゃっ! ちょっといつきちゃん、動かないの~」


 いつきは椅子に座って、カオルちゃんによるメイクアップの最中だ。


「あゆみちゃん。ほら、これ衣装だよ」


 由香の方は、美咲と同じようにメイクも完了してる。

 俺の分の衣装を手にして、こちらに駆け寄ってくれた。


「ありがと。じゃあ、えっと……」


 そうして受け取ったのは、みんなが着てるのと同じ黒ジャケット、スカート、Yシャツなどの一式。

 さて、これに着替えるための場所は……


「あゆみたん! ほら、時間無いよ?」

「あの、着替え場所……」


 見ると、部屋の奥にカーテンが敷かれている。

 たぶんみんな、あそこで着替えたんだと思うけど……美咲が俺の前から動かない。


 さらに両手をブンブンと振り回し、視界を覆おうとしてる。


「いいから、いいから! あたしたちに構わないで」


 顔が赤い……緊張してるのか?

 いや、それにしては目がキラキラしてるような。


「でも、ここだとさすがに」

「あゆみちゃん……ね。今さら恥ずかしがらなくていいよ」


 さらに由香までもが……なぜ2人とも、俺の行く手を塞ごうとする?


「アハハッ! いいじゃないの、あゆみ。景気づけよ。サービスしなさい」


 その様子を見て、冴子さんがニヤニヤと笑う。


「……ふぅ」


 もう間もなくメイクを終わろうとするいつきは、呆れるようにため息。


「な、何なんだよ一体……」


 どういうわけか知らないけど、みんなの目から圧力を感じる。

 こんなことで手間取ってもいられないし……しょうがない。


 この場に従うか。



「……」

「……」


 まずは上着を脱ごう……とするも美咲と由香、2人の視線が妙に気になる。


「2人とも、なんでそんなジロジロ見てるの?」

「えっ!? ううん、別に見てないよ」

「ヒュ~……ヒ、ヒユ~……」


 手のひらを右往左往と振り乱す由香に、ヘタクソな口笛を吹く美咲。

 挙動が不審なのは確かだけど、そうなる理由が分からない……

 いいや、さっさと着替えてしまおう。


 そうしてパーカーを全部まくり上げると――


「おぉ~!」

「キャッ」


 2人は両手で目を覆い隠した。

 ほら、こうなるから向こうで着替えようと……ん、あの両手。

 やけに指と指との間隔が広い……


「……」

「……」

「…………あ~、もうっ!」


 何だか分からないが、不愉快な気になってきた。

 ササッとYシャツを手に取り、そのままスカート、ネクタイ、ジャケットと早着替えをしていく。


 まるで水泳の時間が嫌いな小学生みたいな気分だ。


「あ、あ~ぁ……」

「うぅ……そんなアッサリ」


 意気消沈していく2人をよそに、よし! 着替え完了。

 あとはメイクアップだけだ。


 ちょうどいつきが席を立ったので、入れ替わりに入ろうとすると


「……青いな、少年」


 すれ違い様に、そう囁かれた。

 俺は高校生で……彼女は小学生なのに。


 何か分かったようなことを言われてしまった。





「はい、オッケーよ~!」


 やがてその歓声とともに、俺のメイクアップも終わった。


 肌はツヤツヤ。目にはアイラインとハイライト。

 リップを塗られた口元は、ほんのりとピンク色に彩られている。


「へぇ~、お見事!」

「……悔しい……やっぱ悔しい」


 その顔を見て、みんなが頷く。

 まぁ……うん。俺もカオルちゃんの腕は、確かにすごいと思うよ。


「素材がいいのよね~。頭で描いたイメージが、そのまま現れてくれるみたい……やっぱり理想のモデルね!」


 カオルちゃんの腕はすごいよ。



「さっ! じゃあ、みんなで円陣組んで」


 そして冴子さんの号令の下、6人が円を囲むように並んだ。


「ついにここまで来たわね。ハレーション」

「うん、いろいろあったな……でもやっと、あたしたちもドームに立つんだ」

「待ってろ…………玲奈」


 美咲、いつき。それぞれの思い。


「ステージに……お姉ちゃんがいる。きっと私のこと、待ってる」


 由香にもまた、ステージにかける思いがある。

 そして、俺も。


「……」


 俺……も?


「あゆみもほら、何か言って」

「あ、うん……」


 俺の思い、それは


「みんな……俺はたぶん、みんなほど純粋にアイドルと向き合えていない」

「あゆみ?」

「ただ今日のステージで有名になって、たくさん仕事して……妹を救いたい。そんな願いしか、心の中に無いんだ」


 こんな時は、頑張ろうとか負けないぞとか、ありきたりな文句を言うべきだって思ったけど。

 ……事ここに至って、本音しか吐けなかった。

 ウソなんて、今まで散々ついてきたのに。


「いいじゃん、それ」


 美咲?


「わたしたちも、純粋なんかじゃない……あゆみと一緒」


 いつきも。


「自分のために頑張ることが、みんなのためにもなるんだよ。そうだったでしょ?」


 由香……そっか。

 振り返ると、そうだったかもしれない。


「みんな……ありがとう。俺――」

「わ・た・し! でしょ?」

「あ……」


 3人一斉に、人差し指をピンと向けてくる。


「ごめん……あっ、ごめんね。私、みんなと一緒に精一杯ライブしてみせるから」

「うん!」


 それぞれにやりたい事、叶えたい願いがあって、みんなはここに集まった。

 自分のために……そして、みんなのために! 


 やっぱりいいな……こういう気分、悪くないよ。


「それじゃあ、あんたたち! ステージはすぐそこよ。思いっきり……暴れてらっしゃい!!」

「はいっ!!」


 俺たちはアイドルユニット ハレーション。

 暗い土の中に埋もれる日々は、もう終わりだ。


 そう。ドアを開けたその先に、もう栄光の未来が――



「~♪ ……」



 今、聞こえたのはサンシャインの『return to orijinal』

 その終わりのメロディ……?


「!」


 みんなの表情が、一瞬でギョッとした。

 控え室でアレコレやってる内に、もうまさに今、出番が来てしまったんだよ!


「急げ! い、い、急ごう!」


 全員でステージに向かって走り出す。

 是も非も無い。走り出す!


「……」

「……」


 通りがかるスタッフさんたちは、なぜか皆ボーっとしてる。

 どう見ても俺たち、緊急事態なのに。


 やる気が無いのか……あ~っとっと、そんなことにも構ってられない!




 やがて、ステージの袖付近まで辿りついた。

 ここからでは客席はほとんど見えず、会場が暗転してることしか分からない。


 ただ……ステージが恐ろしく静かだ。

 たぶん、俺たちが登場しないから段取りが滞っているんだろうか。


「美咲。最初のセリフ、大丈夫?」

「う、うん! 任せて」


 最初の勢いが肝心だからな。

 頼むぞ……!


「よ、よ~し……行くよ、いつきたん、由香たん、あゆみたん!」

「……おしっ」

「うん!」

「行こう、みんな」


 そして俺たちは、月形ドーム。

 その栄光のステージへと足を踏み入れた――




「待ってぇ~い!」

「この会場は……いただいた」

「わたしたちは、地獄の底から舞い戻った」

「逆襲のアイドル。ハレーションだ~!」


 ど、どうだ?

 間に合ったか? 間に合ってるよな!?


「!!」


 う、うわぁぁ~……観客席がっ、広過ぎる!

 この迫力が、5万人という規模のなせる業なのか。


 あの中にいる全ての人間が、このステージを見ている……なんてプレッシャーなんだ!



 すぐ近くにはサンシャイン。泉野麗、そして高石玲奈がいる。

 これから互いの掛け合いが――あれっ?


 ていうか、それよりも……


「…………」


 一応これ、突然ステージにハレーションが乱入するっていう……演出で。

 盛り上がることを想定して、考えられたものなんですけど。


「…………」


 お客さん、何もそこまで静まらなくたっても…………いいじゃないですか。

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